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先生よ!子どもの声こそが「イシュー」だ! #これからのみんなの授業展20200523

子どもの声がこぼれてきた

実は、教育系youtuberタカタ先生の授業の枠で、スタッフながら子どもたちの意見を聞くタイミングがありました。

「先生って、ぼくたちが話したいこと、ちっとも聞いてくれない」

「先生って、寄り道したくてもしてくれない」

「タカタ先生は、寄り道してくれる、聞いてくれる」

みたいな、子どもの生の声


そんな中、ぼくの心の声がこんなことを言い出したんです。

「ここに来ている子は、みんな『できる子』ばっかりだから、1人でも勉強できるんじゃないか?」

と。


「できる子」は1人で勉強したいか?

タカタ先生は、主に算数の授業について楽しく教えてくれる教育系youtuberさんです。

そんなタカタ先生のクラスに参加した子に話を聞いてみました!

「自分の考えを聞いてほしい」「いろいろな考え方をして寄り道をしたい」


と言うのが、発言してくれた子たちの意見だったんですよね。

この言い分、とても納得できますよね。

でも読者の皆さんなら、気づかれると思いますが


「そんな全員の考えを聞いている時間はない。」「他の子もいるし」「できる子ばっかりじゃないし」


というのも、最もな意見です。

ただし、これは「既存の授業の状態であれば」という仮定つきだと考えます。

これを「教室の中の空気」「先生の役割」考えてみたいと思います。


仮説① できる子はできる子だけで集まりたいか?

ぼくは聴きながら、予想をしていました。

子どもたちは「できる子」同士で集まりたいか。

結論:できる子だけで集まりたいとは思っていない。


特徴を書いてみると 

同じような人で集まる・・・お互い高め合いながら学び合える 
違うタイプの人と集まる→違う考えをぶつけ合える


ですね!


仮説② 先生はいらない・・・?

いや、これはNoです。だってタカタ先生は、モテていた。

先生はいい!と言われている。


じゃあ何がいいのか? 次の2点が、子どもの主張です!

・話を聞いてくれる(=自分のことを受け止めてくれる)
・寄り道を許してくれる(=考える自由を保証してくれる)

結論:子どもたちは、先生を使いたい!


先生も必要、他の子の存在も大切。

これまで「子どもと先生」「子どもと子ども」について考えてきました!

じゃあ、それぞれの人との距離感について考えたら、もう少し「学校では先生が話を聞いてくれない」「寄り道が許されてない」について、答えが出せるのではないでしょうか。

教室での先生と子ども、子ども同士の距離感ってどんなカンジ?

普通の教室の距離感って、机にずっと座っていれば、常に一定。

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この常に一定なところが、先生との関係性、友だちとの関係性について、

「くっついたり離れたりしにくさ」を出しているんじゃないかなあ?


子どもたちは、「おんなじ考えの人」とも「違う考えの人」とも話題を共有したいことを考えると


いろいろな人の話を、自分で選んで聴けるようにする


環境を整えることで、子どもの「自分の考えを聞いてくれない」は解消されるんじゃないでしょうか?


子どもたちの意見もありがたいことに!?

「先生はいて欲しい」だったので

先生の使い方も、


教えて欲しい / 自分で考えるから付き合って欲しい / 見守って欲しい

をから選べるようにしたら、「寄り道をしても大丈夫」な自由は保障されるはずです。



おまけとまとめ 学校の本質は?

この「これからのみんなの授業展」で、柴田先生が

「やっぱり僕らの本質は、一緒に学ぶだ」

と話されていました。異論はありません。

この一緒の色の濃さが

薄かったり、濃かったり、ムラがあったり、べったりだったり

というように

「選べる自由があること」

が、学校の大原則になっていることが、子どもの事実から、見えてきた気がします!



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