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命の大切さ

普段は、強く在るためのことをnoteに書いてきた。
でも、今日は「命の大切さ」について書く。

これを書きたいと思った理由は、
学校の授業である自立と共生という総合学習で、
自分の人生や家族とは、生きるとは、死ぬとは、などを深く追求してきたからだ。
そして、この間の自立と共生の授業で、「命の大切さ」についてスピーチをしたし、みんなのも聞いた。
そして、なにより、「てんしのいもうと」という昔小学1年生の子が書いた作文を見て、とても心動かされた。

是非、一度見ていただきたい。

そして、ここからは私の話をしたい。
私は中学2年のころ、小学生から仲が良かった友達(Aさん)が自殺し、亡くなった。
それを知らされた時は明確に覚えている。

朝8:25くらいに登校し、
教室に行くと、先生が緊急朝礼だと体育館に集まれと言う。私はその時点では、なにも知らず、誰かがなにかやったんだなと思っていた。
そして、ゾロゾロと全校生が集まる。

いつも、朝礼の時は、先生たちが生徒を静かに整列させるために大声を出している。
しかし、その時はなにも言わず、顔が暗かった。
今思うと何故だか理由がわかった。

そして、朝礼が始まり、校長先生が前に立つ。
「昨日に2年生のAさんが亡くなりました。」と。
私は、そこから先生たちがなにを言っていたのか覚えていない。
私は全く状況整理もつかず、ポカーンと過ごしたのを覚えている。
周りの友達は泣いている子もいた。

そして、そのあとなによりも驚いたことがある。
Aさんは自殺した。ということだ。
自殺の理由は「いじめ」だったことだ。
自殺し亡くなったこと、いじめがあったこと、
私はショック、いやなんとも言葉では表せない程の気持ちになった。

そして、このことを告げられた晩にお通夜があった。
私は、大会も近かったため、練習に行ってからお通夜に行くことにした。
みんなは、6時ごろに先生や友達は先に行き、帰った。

そして、1人で行くことに。
制服を着た私は、1人で葬儀場へ入ると、そこに居たご遺族の皆様が全員、冷たい視線で私を見た。
その視線は忘れられない。とても痛かった。

Aさんのお母様と、どういう関係?などとお話をさせていただき、ご焼香をさせていただき、お顔も見せてもらった。

その間も私への冷たい視線、「なにしにきたんだ」という雰囲気は絶えなかった。
私は今すぐにでも出たかった。
しかし、ここで逃げてはいけない。と思った。
そして、お話も終わりその日は帰った。

次の日学校へ行くと、
Aさんの話が出回った。「だれだれがいじめてた。」と。
それと、昨日みんなが行った葬儀場に行った時に、
ご遺族に怒られたという話もあった。
そらそうだ。誰かまで特定されたが、周りから見ると、その学校自体がいじめた。と見られる。

私は悔しくてたまらなかった。
私の無実を晴らすとかじゃなく、いじめた人、いじめていたことを知っていた人が普通の顔をして学校に来ていること、泣いて、学校に来ないこと。
「じゃあするなよ‼️」と言いたくて、
見て見ぬ振りしたやつに、「止めろよ‼️誰かに言えよ‼️」と、どれだけ言いたかったか。

これで、私の体験談を終わる。
だが、これを読んだ人にわかってもらいたいのは、
その一言、一つの言動で人の命をすぐになくなる。ということ、友達が、親友が、家族が、今この瞬間に生きているということは、本当に「ありがとう」なんだということ、

そして、一生懸命生きろ。死ぬな。
あなたが生きている時間は、誰かが生きたいと思った時間だあること。
一生懸命生きようとすること、
それが命を大切にすること。だということ。

以上です。
長く、わかりにくかったと思いますが、読んでいただき本当にありがとうございます。
Aさんの分までしっかり生きます。

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