「僕たちは大人になれてしまった」

燃え殻さんの本を読みました。
というタイトルのノートを、私の周りの人たちが同時期に、互いに知り合いでもないのに投稿していた。

燃え殻というのを名前に持ってくる辺り、ニヒルな自嘲や世界への何ともない諦め(かつては期待とかもろもろに燃えていた)が伝わってくる、あ、私には。

私が初めて「燃え殻」と「僕たちはみんな大人になれなかった」のセットに出会ったのは、夜の高速を走る家族の車の中で、ラジオを何ともなしに聞いていた時だった。
夜のラジオから得られる情報は、何故だか、誰もいない場所で見つけた野花に似ている気がした。音だけを聴いて私の頭の中でイメージを作る孤独な工程が、そんな気分にさせるのかも知れない。
ほーっと聴いていたラジオから得られた断片的な記憶をまとめれば、燃え殻さんというのは元々SNSで人気を集めていた人で、最近「僕たちはみんな大人になれなかった」という小説を発表し、これまた人気を博しているらしい、とのことだった。ちょっと嫉妬した。怠け者な書きたがりなので。
それから多分半年以上が経って、私の周りでなぜか同じタイミングでノートに相次いでこの本の感想が投稿された。ただの偶然に何となく影響されて読みたくなっていたところに、友だちが本を貸してくれた。これは感想をノートしなければならぬ、と思った次第である。流行りにはノリノリで乗っかていく輩である。

とても読みやすい本だった。内容がすべて理解出来るかは別にして、話し言葉で独白するような一人称の小説だったのでするすると読み進められた。最近1冊の小説を頭から最後まで一気に読むということをしていなかったので(※非常に由々しき事態である)、爽快な達成感が得られた。

初めに謎に推し人物を述べておくとヤクザのお兄さんと七瀬が好きだ。おしなべて、幸せになって欲しい……。

私小説なのかしら、と思うくらいリアルな生活の出来事に、結構詩的な主人公の心理描写が絡む。正直なことを言うと私は心が荒んでいて詩的な表現に関しては最果タヒさん至上朝井リョウさん及第という(極めて不遜で)偏った目で見て「クサい」判定してしまうのでそこまで好みではなかったんだけど、出来事のデザインに関しては、工場とかストリップ劇場とかスーのこととか、経験に頼らず作っているならかなり巧みだ。圧倒的な雰囲気にふつうに「へーこういう世界ってこうなんだ〜」と学んでしまった。
ただ、ちょっと幸せすぎるかなと思ったのは、ヤクザのお兄さんの行方が分かったことだ。んー、まぁ無くはないと思うんだけど、フィクションの中で見るといささかやっぱハッピー過ぎるかもだ。そんなアングラでコアな雑誌を運良く手に取れるかしら。多分、多くの場合は、週刊誌の中でさえ出会えない気がする、ああいうふれあい方をした人は。いやもちろん小説は奇跡を書く自由に溢れているけど、もう好みだよな、どこに大半の不幸を忍ばせるかは。肝要なとこでもないしネ。
でも、たった1度のふれあいに意義や価値を見いだせるようなシーンはとても好きだ。

全体的に、何となく馴染めないからせめて必死に面白くあろうとするボクとかかおりの恋とか、目まぐるしく変わって親しいと思っていた人の背中も見届けられない世の中とか、そういうのがスケールもそのままに描き切られていて、ボクという1人の人生を垣間見た実感があった。

ただ1つ、その会話はそれで良かったの? と思ったところがある。あえて噛み合わないようにしたのかも知れないけど、私ならそうは返せないな、と思ったこと。まぁボクの詩的センスに苛立った(はっきり言い過ぎですね)要因のひとつでもある。

あ、ここから蛇足です。

ボクは冒頭で、女優志望の女の子と接している。彼女は多分自分の性を売り物にしながら、必死に女優として成功したいと足掻いている。そんな彼女が、ボクに「夢って努力すれば叶うのかな」と尋ねたのだ。
ボクは答える。「それはナポリタンは作れるのかなっていうのと同じだと思う」
私は彼女と一緒に首を傾げた。もちろんボクは丁寧に解説してくれる。彼女にした以上に、私に。いわく、ナポリタンはナポリタンのレシピ通りに作ればナポリタンぽいものは出来るのと同じで夢も努力すれば近いものにはたどり着けるけど、問題は誰と行くかだ、ということらしい。
問題は、その上で納得できなかったということである。なのに終盤で彼女は納得した。私を置いて。いやまぁいいんですけど。

いや、例えば彼女の例をとってみたとしても、夢、女優でしょ。いや少なくともあの時分かってた情報としては。もしかすると彼女は妊娠してたかも知れないけど(超絶仮説)、にしたってその時は分かってないよね。
で、女優になるべく努力をしてなれるかどうかってのと、ナポリタン作れるかどうかは同じか? 私は違うんじゃないかと思う。ナポリタンは手を加えるの自分一人だけど、女優になるには選ばれ続けなきゃならない、自分以外の誰かによって。その辺には自身の技術や見た目や運も関わってくるし、料理とは別モンじゃない? 近いものにすらなれない可能性大じゃない? 誰と行くか以前の問題じゃない?

すまない。論点が作中の意図と合っているかすら分からないところで熱くなってもしょうがないのだが、多分このへんが私と恋愛小説のソリが合わない部分なのかなぁと思う。まあ冷静に見ると、多分この辺には現実そうなのかという部分が重要ではなくなるような、恋という魔法がかかっているのだ。多分彼女は女優ウンヌンではなく恋を潜在的な前提として尋ねていて、彼も恋というテクスチャの上でナポリタン説を講じているのだろう。そして、私のテクスチャは恋ではなかった。要するにこの小説の雰囲気にまだ馴染めていなかった、個人主義すぎる私が悪い。

ただ、私が彼女に返すならこうだろう。燃え殻さんと私のこの場面で捉える重要なところが違うという点を踏まえつつ。

「努力しても叶わない夢はあるよ」

とても冷たくて酷い返事だ。でもこうも言う。

「でも、叶わなかったと決めるのは君一人だ」

君一人だ、だって。ここで孤独の強調。他人を前提としない考え方。どうしようもなくこの小説に合わないね。
要するに、夢は叶うのか叶わないのかという話を私は純粋に考えたくなった訳です、この小説の主題から大きく逸れて。
これ以上ないほどの努力をしても、女優になれない未来は存在する。でも、諦めたとラインを引くのは自分自身だ。夢を抱いたのが他ならぬ自分自身なんだから。誰かの反応を元に決めるのは、あまり賢いやり方ではない。判断基準にするのは良いけれど。
傍目には叶わなかったと捉えられる状態でも、本人が今叶えている途中だと思っているなら、それは叶わなかったことにはならない。主観の位置を間違えたくはない。
私は他人のことをあまり信用していないんだろうけど、やっぱり夢は自分自身の手で守っていくべきものだと思う。叶わないことがままあるものだからこそ。

まあ、前提が違うってのは燃え殻さんの環境に関しても言えるんだけども。東京の、しかも芸能界隈だと、それこそ色んな仕事があるだろうし。女優だと同人映画女優とか、小劇場女優とか。誰にも忘れられない女優そのものにはなれなくてもそれに近似した違うものにはなれるっていう例が、私が想像した以上に高い密度で存在しているのかも知れないし。まあそれでも色んな事情でそれにすらなれない人もやっぱり多くいると思うので、んーやっぱ他のとこでも判断基準違うのねって。

蛇足終わり。

けど、タイトルの大人ってなんなんでしょうね。本当に好きな人と一緒になれた人? ちゃんとナポリタンそのものを作ることが出来た人?

私からしてみれば、逆かなぁ、と思う。大人は、大きくなった人。好きな人とも一緒になれなかったし、ナポリタンも作れなかったけど、それでも傷を抱えたまま生きて、目に見えないものも伴って大きくなることが出来た人。
ボクは立派な大人だよ。ちゃんと自分の拠り所になる思い出もある。今は一緒にいなくても、かつてそういうふうに心を通わせられた人がいて、ずっと自分の中に留まっている。
自分の本当の傷を認識できないから/管理できないから、当然他の人の傷にも気づけないまま/向き合えないまま、上辺の痛みばかり叫んで誰かを傷つけるような人のことを、大人になれなかったと言うんじゃないかって、私は思うよ。

むしろ大人になれてしまった人の苦しみが、何だかひりひりするような1冊だった気もする。

人をかきわけて前に進んできた。自滅してった奴らの方が、どっか尊い気がするよ。

さらっと私的ハイライトなセリフ(↑概要)を言った関口のやつ、七瀬のこと好きだったりしねーかなー。(親子みたいって言ってただろ。でもあれ他からの主観だからね)

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