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読書体験としての読み聞かせ

※追々々々々々々記あり

ほとんど放出しているんだけど、唯一下書きに残したまま、なかなか出せない記事がある。

タイトルは「私が読書ボランティアをやめたわけ」

※追々々々々々々記:ようやくアップしました

で、今回はその前段階となる話なんだけど、ちょうどその話題で盛り上がったところなので、書き留めておこうと思ったわけです。(そして、やっぱり躊躇してて良かったと思った)

※追記あり:盛り上がるというか、どうしても記事に納得のいかない人は一定数いる。

ことの発端は以下の記事。

これは私的に大変頷く内容だった。

子供が小学校にあがったと同時に読書ボランティアのサークルが立ち上がり、初期メンバーだったので、県立図書館から指導者を招いて、しっかりじっくり研修を受けた。

そのときに言われたことが、よく書かれてある。

抑揚をつけて読んではいけないとあるけれど、七色の声で読むのがうまい読み聞かせではないということを、びしっと指導された。

まったく平坦に読めということではなく、声色を変えるのまではやりすぎということなのよね。

読んでて悲しかったら、自然と悲しい気持ちは出る。それを役者がやるような悲しさを、大きく表現しようという工夫はしなくていいと言われた。

読書体験をさせるために音楽をつけるなんて、もってのほかだって感じ。それならテレビでいいわけだしね。

音をつけたり、抑揚がおおげさだったりすると、子供の想像力を阻害するからやめましょうと指導を受けた。

そこで例題に出されたのが、「かいじゅうたちのいるところ」だ。

この絵本の中には文字がなく、ただかいじゅうと踊るシーンという見開きページがある。

このページは静かに長く時間をとりましょうと言われた。

すると、子供たちの頭の中にはかいじゅうたちと踊る音楽が流れてきます、と。

膝を打ったね!

そして、それこそが私も与えたい読書体験だ!

と快哉を叫んだ!

そのような体験をしたいと思ったし、ぜひ子供たちにもしてもらいたいと思ったんだもん。

それに私の子は、確かに私が大仰に読むと、いや~な顔してた。

うるさかったらしい。

――ごめん。君の脳内を母は邪魔していたらしい。真摯に反省した。

県立図書館からの読み聞かせ指導は、上記の読書体験をさせるための注意点だったのだ。

※追々記:絵本の世界に没頭させるために、本の持ち方から、ページのめくり方まで、邪魔しないというのを徹底して教えられた。練習するにしても、ひっかかった読み方をして没入感の邪魔をさせないためだけ。決して演じ方が上手とかじゃないのよ。それは演劇でやればいいことであって、ここでは違う。ためをつくったり、ここはゆっくりめくったりというというのはアリ。もちろん勝手に内容を変えたり付け加えたりはNG。それは後で書く作者への冒涜になるから。読書体験としての読み聞かせと、役者さんとかがやる朗読劇的な読み聞かせとは明確に質と目的が違う。エンターティナーを見せることと、読書体験をさせることは全く違うからね。
※追々々記:子供はお金を出さないから、子供の体験を大切にする指導はどうしても公共性が高いところが受け持つことになるんだろうなあ。図書館員による指導や保育士による指導が、それね。親を満足させるのか、子供を満足させるのかは全然違うから。

そして、指導の言葉の端々に「あくまで子供主体での読み聞かせ指導なので、親が演じる喜びを暴走させない」という点を感じた。

あくまで子供の中に頭の中に沸いてくる音(想像力)を邪魔しないための読み聞かせとしてはそうだと思う。

同じような読み聞かせサークルを指導してきて、どうしても親の表現の場重視になってしまうところをたくさん見てきたんだろうなあと感じた。

親が演じて表現して満足を得ることが悪いわけじゃなくて、それと子供の想像力をかきたてる場作りは分けましょうってことだ。

※追々々々々記:さんざん親の自己表現の場にしないようにというレクチャーを受けた後に、「読む練習してきたので読み聞かせさせてください」と参加した方がいきなり読み聞かせ始めたのには驚いた。これだけ言われた後に!なんという強心臓!!!

さて、この読み聞かせで自己表現するっていうのは、別のことも侵害してくる可能性がある。

作者がその意図では書いてないって点。

親の解釈が子供とも作者とも違う場合とかね。親の表現の介入がなければ、子供は作者の伝えたかったことをストレートに受け取れてたかもしれない。

ちなみに指導員の人が担当した読書サークルが読み聞かせだけでなく、絵本を演劇にして上演して、作者も呼んだことがあったそうだけど、そのときに作者から

「これは著作権侵害です」

と、言われたそうだ。(金、取ってたのかな? 改変があったのかな?)

このエピソードも衝撃的だったわ~。

子供の想像力を邪魔しない読み聞かせと、そうではない読み聞かせが世の中にはある。

少なくとも私は、頭の中に音楽が流れてくる読み聞かせ実践の研修を受けて、目からウロコだったし、感動した。アハ体験だった。

その世界があることを、すんなり受け入れられた。

でも、そうではない人たちもいる。

今までの自分を否定されたと思うようだ。そうじゃなくて、頭の中に音楽が流れてくるような読み聞かせでは、NGだよって行動があるだけなんだけどね。

※追々々々記:子供が喜べばいいじゃないかという意見もあるだろうけど、そりゃあテレビだって演劇だって子供は喜びますよ。でも、自分の中にある自分の音や声を聴ける体験ということをさせたい場合はNG行動になるって話。そして、この心の声を聴く機会が圧倒的に少ない。だからこそ、やる価値があるなあと感じた。

で、最初に話した「読み聞かせボランティアをやめたわけ」は、ちょっと上記の話ともからんでくるかもで、離れていったんだよねえ。

※追々々々々々記:ちなみに、この研修で私は「声がかわいいから、この絵本の読み聞かせがいいわ」と指導員にすすめられたのがコレ!

もう一度言うね!

私は声がかわいい!!

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