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へっぽこ部長だった私のささやかな目標


3月29日、noteの新しいコンテストが発表された。


「#スポーツがくれたもの」


うわぁ、スポーツか。
私は最初そう思った。

というのも、私はこれまで運動とはあまり縁のない人生を送ってきた。
何かを語れるほど、熱中したスポーツがそんなにない。
もう、一つしか、ない。


私が唯一3年間取り組んだスポーツ。
私はこの「スポーツがくれたもの」のコンテストに、今までの人生でたった一つだけ、自分が3年間頑張ったスポーツのことを書こうと決めた。

しかも、あまりメジャーな競技ではない。
これはきっと他の人ともあまり重ならず、しかもこんな世界もあるんだなとその魅力を伝えられる絶好のチャンスなのではないかと思っていた。

少しずつ、あの時の気持ちを思い出しながら文字を積み上げていく。
そしてその間も続々と投稿されていく、色々な人のスポーツへの熱い思いや、心に響く文章を読む。


そして4月12日。
私はある記事を読んで、衝撃を受けた。
頭の中でドギャーーーンというタライが降ってきたような音が鳴った。

4月12日に公開されたたけもこさんのお手本記事「高まるために捨てる」。



なんてこった。
驚愕した。共感した。とても感動した。
そして「あちゃー」と思った。
頭の中のタライがクワンクワンと余韻の音を残しながら、コロコロとそのへんに転がっていく。


私は高校3年間、弓道部だった。



後出しジャンケンのようにそんなこと言っては、おこがましいにも程があるが、そこには自分が伝えたかったことがほぼ全て、そしてとても素晴らしい表現で詰まっていた。

弓道部を選んだ理由、的を射た時のあの音の魅力、プレッシャーや自分の心、そして早気はやけ(弓を引き静止した状態を十分に保てずに矢を放ってしまうこと)との戦い。

早気になってしまった焦り、苦しみ、そしてそれを克服することから学んだ弓道、ひいては物事への本当の意味での向き合い方。


もう、全部詰まっていた。
うんうんと頷きすぎて首がもげそうだった。



ただ一つ、違ったことは、私は運動神経が悪かったこと。
3年間頑張ったけれど、まるでぱっとしない、強い選手ではなかったこと。
私が早気であろうとなかろうと、部にとってなんの懸念にもならないような、団体戦のメンバーにも選ばれないへっぽこ選手だったということ。


私の所属していた弓道部は、はっきり言ってそんなに強豪校ではなく、予選に勝ったら万々歳、全道大会(県大会の北海道版)に出場できたら記念に大きな舞台を楽しんでこいくらいのレベルの高校だった。

弓道は個人競技のようなもののため、基本的な射法が身につけばあとは自分との戦いだ。私たちの部には、みんなで走り込むようなそろって行う練習メニューもなかった。
新入部員が的前に立てるようになるまでは、それなりに先輩が教えるのだが、その後はただひたすら各々が的と自分と向き合い、腕を磨いていくことになる。そこに時々現れる弓道経験者の顧問がたまにアドバイスをする、というような体制だった。


そして私は、へっぽこなくせに、なぜかその弓道部の部長だった。
経験者でもない、技術があるエースでもない、へっぽこ部長である。
それにはちょっとしたワケがあった。


弓道は、男子女子が分かれているものの、基本的に試合は同じ会場で同日に行われる。
全ての高校がそうかはわからないが、私の学校やその地区の他の高校も、練習をする時も男女同じ空間で練習をするし、男子部女子部という区別はなくまとめて一つの「弓道部」だった。武道は大体そうかもしれない。

そうなると、部内には「女子主将」「男子主将」という2人の主将が存在することになる。
そして前年度までは、男女どちらかの主将が全体統括としての部長をもれなく兼任していたのだが、私達の代はそのどちらの主将も「部長」を担うことを拒否したのだ。

女子の主将は、間違いなく部内の女子の中で一番上手い、中学までバスケをやっていた女の子になった。
やはりあまり動かない弓道とはいえ、運動神経のいい人は体のうまい使い方を知っているのかもしれない。
その子はクラスも同じで、明るく男女ともに好かれるような、とてもカリスマ性のある、まさに部長うってつけの女の子だった。

しかし彼女はこう言う。
「主将はなんとなく響きがかっこいいからやってもいいけど、部長はやだ。
顧問とめっちゃ話さなきゃいけなそうだし、色々めんどくさそうじゃん」

彼女は自由奔放で、どんどん自分で研究し一人黙々と練習したいタイプだった。そしてそのせいで、もっとここを直したほうがいいと指摘をしてくる顧問との折り合いがあまり良くなかったのだ。

指導を聞いていたらさらにもっとすごい選手になったのかもしれないが、顧問から逃げ回る彼女は、それでも十分に実力のある選手だった。
そんな背景もあり、彼女は今までよりももっと顧問と絡まなければいけないであろう「部長」にはなりたくなかったのである。

となると、男子主将が部長をやるしかないのだが、ここにも問題があった。
私達の代には男子部員が3名しかおらず、彼らは皆とても静かで引っ込み思案な性格だった。そして誰が上手いかという話でも、なんとも大差がつかないという絶妙な3人だった。
彼らはどうしても主将という名前がつくのが嫌で、しょうがないからと3人でジャンケンをして男子主将を決めた。すごい決め方である。

「男子主将はしょうがないから3人の中から決めたけど、部長はみんなやりたくない(そもそも主将もやりたくない)」


先輩からの任命制ではなかったことで、私達の代は「部長」の座だけがぽっかりと空いてしまった。


その時、カリスマ女子主将の彼女が鶴の一声を発する。

「ねぇ、部長やってよ。部長だけでいいからさ。まとめるのとか、うまそうじゃん」

明らかに自分に「部長」がふってこないようにするための一言だったが、正直この空気になってしまっては誰からも「じゃあ自分が部長をやる」という声は上がらず、皆一斉に彼女のその一言に「そうだよそれがいいよ」と乗っかった。
「じゃあ俺が...」「私が...」という前フリをされてもいなければ、まだ私も何も言っていないのに、既に全員、ダチョウ倶楽部顔負けの「どうぞどうぞ」状態だった。

そんなこんなで、大して上手くもないこんなへっぽこな私に部長が務まるとは到底思えなかったが、私は名ばかりの「部長」となってしまったのだ。


とは言っても部長がやることなど、さほどない。
部活紹介などの華々しい舞台では、女子主将、男子主将がデモンストレーションをするし、弓道の特性的に競技にあたって何かチームを取りまとめたり、みんなで作戦を立てるということもあまりない。
あるとすれば、顧問に練習の報告をすること、顧問から連絡される試合などの予定を伝達すること。
あとは、練習前後に号令をかけることくらい。


そんな中、へっぽこ部長の私は一応自分の中でささやかな"部長としての目標"を作った。

それは、

・誰よりも正しい姿勢で礼をし、綺麗な音で手を鳴らすこと。
・誰よりも大きな声で「よし」と言うこと。

この2つである。

綺麗な音で手を鳴らすというのは何かというと、弓道場には上座かみざという場所があり、射場に出入りする時はそこに向かって礼をするという作法がある。
そして練習を開始する際、終える際にも皆で整列し、上座の神棚に向かって「二礼、二拍手、一礼」をする。
(※拝礼の作法は神棚、国旗など設置されているものや流派、その弓道場によって異なる)

部長は部の代表として整列した部員の一番前に立ち、練習前と練習後、号令をかけて二礼二拍手一礼を行うのだ。
へっぽこなりにもみんなの先頭でやるのであれば、せめて美しく正しい姿勢できちんと礼と拍手ができるようにと、私は部長になってから、家の神棚の前で鏡を見ながら姿勢を確認し、小さな手でも凛とした美しい拍手ができるように練習をした。
特に信心深い家庭でもなかったため、我が家の神棚も「こいつはいきなりどうしたんだ」と思ったことだろう。


そして「よし」というのは、練習中や試合中に矢が的にあたった時に発する掛け声のようなものである。
ちなみに矢を放っている本人は言ってはいけない。
周りで見ている人も「よし」以外の「やったー!」「いいぞいいぞ!」などの応援の声をあげてもいけない。
声を出していいのは、的に中った時の「よし」のみである。
(※これも学生の試合かどうかや、それぞれの学校、競技規則などによって異なる場合がある)


私は練習の時はもちろん、試合の時には自分が成績で貢献できない分、中っている人や、的前に入っている人を精一杯応援してその声が少しでもチームへの貢献となればと考えた。
自分が中った時に、周りから「よし!」の声が響くと、なんだか背中を押されて次の1本も集中して頑張ろうというパワーがもらえる気がしたからだ。


そんなささやかな目標を掲げ部活に取り組んでいた私だったが、この目標を立てたことで、よくなったことがあった。

礼の姿勢や正しい動作を日頃から意識するようになった結果、競技中の姿勢も自然と改善され、的中率も少しだけ上がったのだ。
ほんの少しだけ。

そして、誰の的中にも逃さず、誰よりも大きな声で声を出そうと決めたことによって、私は部員一人一人の細かな動きをよく見るようになり、そのおかげで団体戦での向いているポジションや本人も気づいてないミスをするきっかけやクセ、いい結果が出る時の姿勢などがなんとなくわかるようになった。

そしてそれを本人に伝えることによって、スランプから脱出できたり、部内にお互いのフォームを見て気になったところを言い合うなどの場面も増えていった。


とはいえ、そこから漫画のような感動的な展開や、すぐに超強豪校になるようなどんでん返しがあるわけでもなかったのだが、私達は引退前の最後の団体戦、ちょっとだけ強くなれた気がして、いつもより意気込んで試合に臨んだ。


弓道の団体戦というのは大体5人一組のチームで行われ、前の人から順番に矢を放っていく。
後ろの人が前の人よりも先に矢を射ることは許されない。
一人4本の矢を放っていく中で、おのずと最後の矢、最後の人の方にプレッシャーがかかってくる。
団体戦ではあるが「この人のこの1本に勝敗がかかっている」という場面もよくある。
サッカーで言うところのPK戦をずっとやっているような感じだろうか。

私はへっぽこだったので、もちろん団体戦のメンバーには入っていなかったのだが、射場の外からひたすら集中して、仲間の試合を見つめた。

ピリピリとした静寂の中、固唾を飲んで矢を放つ瞬間を見守る。
そして的を貫く音が響き渡ると、全身全霊で「よし!」と声をあげた。
「よ」と「し」のたった2文字に、あんなにも想いをのせ、そしてあんなにも喜んだり、泣きそうになりながら必死で叫んだことは後にも先にもこの時くらいしかない。

結果、私たちは全道大会に駒を進めることはできなかったが、全員がそれぞれの力を出し切って試合を終えることができたと思う。


試合後、みんなで整列し、私はいつも通り前に立って号令をかけ、二礼二拍手一礼をした。
最後の、今までの感謝を込めた、二礼二拍手一礼。


「これでこの射場に来るのも最後かぁ。」そう言いながら、3年生は道具を片付ける。「いや明日からも普通に練習来てくださいよ〜!」と後輩達が言葉を返す。

そして帰り際、私はなんとなく隣にいた一人の後輩に「これから頑張ってね〜試合の時は見に行くよ〜」なんて声をかけた。
するとその後輩は「今までありがとうございました。部長の『よし』の声が聞こえるとすごくほっとしたし、奮い立たされる気持ちになって頑張れました。来年は絶対全道行けるように頑張ります!」とまっすぐ私を見て言ってくれた。



私はへっぽこ部長だ。
主将じゃなかったし、早気だったし、選手としては全くと言っていいほどいい結果を残せなかった。

けれど私は、3年間弓道をやって本当によかったと思っている。そして部長も、やってみてすごくいい経験になったなと思った。
部長になったおかげで色々と変わることができた自分もいる。

周りの環境が、周りの人が、私に弓道の楽しさと、的を中たった時の快感、集中すること、戦うこと、自分と向き合うことの大切さ、喜びや悔しさを分かち合うことの素晴らしさを教えてくれたのだ。

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