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「読む」ではなく「聞く」から始める読書 〜私の読書の秋2021〜


今年の秋は、読書を頑張った。

私は普段本を読まない。
本当に滅多に読まない。

noteの中で人の記事を読むのは好きだ。
それなのに、なぜか本にはあまり手が伸びない。

そんな私はnoteのおかげでこの一ヶ月ちょっとの間で5冊もの本を読んだ。
約1ヶ月で5冊。
本の虫の方に言わせたら「え、5冊で何をそんな...」と思われるかもしれないが、これは私にとっては驚異的数字である。
「1年で5冊」で換算したとしても、おそらく今までの人生で一番本を読んだ年になるのではないだろうか。

noteで読書感想文のコンテストが開催されたことと、9/24に配信されていた石戸諭さん古賀史健さんの対談の中で「苦手だと思うものほどやってみよ」という話を聞き、"じゃあ本、読んでみるかぁ"と思ったのがきっかけだった。



普段読む習慣がない私は「これ、読みたい」というものを自分で見つけるのが苦手だ。
そこで読書感想文の投稿コンテストに向けて、課題図書とされているもののの中からであればなんとか読めるのではないかと思った。

調子のいい性格の私。
「よーし、課題図書を出している出版社は19社もあるんだからそこから1つずつ、余裕があったらもう1冊で切りよく20冊を目標にして、この機に本を読んでみようじゃないか!」なんて意気込んでいたのだが、結果的に実際読み切れたのはわずか5冊であった。
私のお調子者な頭と怠慢心が見事に反映された数値であると思う。

今回色々な本を読んでいく中で、実は読み始めてみるも最後まで読めずに脱落してしまったものも何冊かある。
そこで私はどうやらこういう感じの本はあまり興味がないらしい。こういう本が自分の中では読みやすく好きらしい。と、自分と本との関係性というか得意不得意のようなものがちょっとわかってきた。

本全般に対してなんとなく苦手意識のような、私なんかが本なんてという謎の分不相応のような気持ちがあったのだが、蓋を開けてみると本の中でも、好きな本、読みやすい本や、苦手な本というのがあるということがわかったのだ。
それだけでも私の中では大きな進歩だった。


そして今回、私は本を読む上で1つの裏技的読書法も発見した。
私はとにかく、本の内容や世界観の中に自分が入っていくまでが苦労するタイプだった。
ある程度最初の方で入り込めないと集中力が切れ、脱落してしまうのだ。

そしてその「入っていく」時に一番ハードルが高いのが、冒頭だ。
最初の十数ページ。ここで夢中になれるか、自分の中でうまく頭に浸透させられるかどうかがかなり鍵を握っていた。
どうも最初の数ページを読んでいるとどんな本でも睡魔が襲ってきてしまう。活字を眺めていると眠くなるのは学校の授業や教科書だけの世界だと思っていたのだが、どうやらそれは私の中では今もご健在の症状であるということがわかった。

うとうとしながら読んでいて、はっと我に返る。
そしてどんな流れだったんだっけ、と2〜3行立ち戻ってまた読み直す。それの繰り返しだ。
3歩進んで2歩下がる状態である。これではなかなか読み進められない。

そしてテレビや音楽、音が聞こえてくる空間で文字を読むというのも私にはなかなか難しい作業だった。
電車の中で読んでいても、ふと隣の人や周りの話し声が耳に入ってしまうと、もう文字よりもその声の方に気を取られてしまってなかなか文章が入ってこない。しかし、無音の空間には睡魔という別の敵が待ち構えている。
八方塞がりである。

しかしそこで気がついたのだ。
私はもしかすると視覚よりも聴覚優位なのではないだろうかと。(絶対的睡魔優位でもあるが)
そこで、私はあることを試してみた。
携帯の「読み上げ」機能である。

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