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へなちょこ東京生活 0918


明日は休みだ。久々の正式な休みで、今からワクワクしている。いや、休めよ。

ここ1週間、劇団の新人公演で駆けずり回っていて記憶がない。駆けずり回る、というよりは空回りしていたという方が正しいだろう。ぼんやりしていると面白い出来事は頭の上を流れていき、あとには何も残らず、"ただアトリエにいた日"になってしまうのが新人劇団員(仮)の哀しき性で、私はひたすら面白いことを見つけてはほじくり返すアリクイになっていた。だって、先輩たち後輩のこと使わないんだもん。全部自分たちでしちゃうんだもん。ノー知識な私が見よう見まねで覚えられることなどたかが知れている。ああ、私も何か仕事がしたい。

この1週間で出来るようになったことと言えば照明のアオリ釣りと怖がらずに脚立へ登れるようになったくらいのものだ。それでいいのか、新人よ。しかも私が所属している音響セクションには音響を専門に勉強しているぱーぺきな同期が要るので、ますます私の存在意義が危ぶまれるところ。こんなことを気にしている時点でへなちょこ決定である。
こんな感じで私はあんまり関われていないが、今回の新人公演は面白いぞ。あちこちで喧伝しているのでもうそろそろ苦情が来そうだが、あえてここでも言っておく。面白いぞ、まじで。見てくれ、みんな。

それはそうと、劇団の先輩にアカウントがばれてしまった。なにかトンデモナイことを書いてないかと不安だが、さかのぼるのはあえてやめておく。過去の自分を信頼することも脱・へなちょこの一歩である。そもそも私は軽佻浮薄の口八丁、風見鶏でありかつほら吹きの見栄っ張りと末期フルコース人間だ。何を言うていても、まあ信頼度は大して変わるまいよ。

先輩たちと話していたら妙に高校時代が懐かしくなった。もしやと思って古いUSBを探すと、過去に書いた脚本が出てきた。読んでみたら、これがまあ顔から火が出るほどに恥ずかしい。『苺ヂャム』という題の、世界滅亡をテーマにした一人劇なのだが、台詞がいちいち詩的で回りくどいうえに結末がとんでもない。なぜこんなラストにしたのか今の私にはわかんないよ。

美についての話をする。
上記したぱーぺき同期は芸術大学に通っているのだが、どうも最近流行りのコンセプトありきな芸術に疑問を抱いているらしい。伝えたいメッセージからよりも自分が美しいと思うもの、感じるものから芸術を作り上げていきたい、という意見は彼女の経験に裏打ちされていて中々面白かった。実際、私も芸術のメッセージは最初から作者によって設定されるものではなく観る人と作者の偶然の共通美意識とでも言おうか、共犯関係と言おうか、そういうものから作り出されるパーソナルなものだったらいいな、と思う。理想だ。着地点が「結局バランスとるしかないよね」だったのはちょっぴり寂しいが。

今夜は眠い。昨夜ミッド・サマーを半分くらい観たせいで寝不足なのだ。ちなみに残り半分は怖くて見られなかった。誰だ、ミッド・サマーは精神的に来るだけであんまりヴィジュアルはグロくないよ、とかほざいた奴は。しっかりがっつりきちんとグロかったじゃないか。下手したらその辺のスプラッターよりよっぽどタチ悪いぞ。
私はへなちょこなので冒頭から泣いちゃいそうだったし、ひとりで景気づけに「きゃーこわーい」と笑いながら見ていたのにどんどん無口になっていく自分と部屋の静寂が死ぬほど怖かった。誰かしら起きている深夜のツイッター万歳。メンタル回復を図るため星野源のオールナイトニッポンリスナー大感謝パーティの星野ブロードウェイを見た。野木亜紀子万歳。

最後に。劇団の先輩と公演終わりにだらだらと喋っていたら何やら面白そうな企画に参加することになった(仮)。これも口八丁手八丁の成果である。せいぜい現場に行ってガッカリされないよう自己鍛錬に励むべし。とりあえず日記は毎日書け。
風見鶏には明日も突風が吹きそうだ。


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