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挫折とかけ算

こんにちは。

大分寒くなってやっと年末感が出てきましたね。
みなさんはどうお過ごしですか?

私は前回の記事で、noteの執筆における下書きの必要性が低くなったと感じ、記事更新のハードルが一気に下がり、絶妙な成長を感じた今日この頃です。

今回は「挫折とかけ算」というテーマについてお話しします。少し長くなりますが、よろしければお付き合い下さい。

私はこれまで人生23年間生きてきて、数え切れない程の挫折を経験しました。よく覚えているものから、あまり覚えていないものまでたくさんあるけれど、今回は大きくこれからの人生に必要となる3つの挫折について触れていきます。

私は広島県尾道市という小さな港街で観光地の、全く観光が栄えていない方の山間部で育ちました。(絵に描いたような田舎)

私の両親は共に塾の講師でした。私が幼い頃、2人は自宅で小さな教室を開いていて、地域の子供たちに勉強を教えていました。

そんな家庭に産まれたから、私は小さい頃からずっと勉強をしていました。とりわけ、母親は英語の先生だったから、私は小学生で英検準二級(高校一年生レベル)に合格したり、学校の勉強で困った事はなく、常に成績もAばかりでした。

田舎で小さな教室を開いていた父と母。
そんなに裕福な家庭ではなく、欲しい「モノ」がすぐに買ってもらえる環境ではなかったけど、やりたい「経験」はたくさん与えてくれる両親でした。

私は勉強をする事でいい成績を取り、周りに褒められる事がただ嬉しくて、友達が放課後に遊んでいる時も、学校が休みの日も、ずっと勉強をしていた記憶があります。

そして小学6年生の時、父に勧められた事をきっかけに、当時開校して間もなかった、県内唯一の県立中高一貫校、県立広島中高等学校への受験を決めました。

小学生の私が受験を決めた理由は、オープンスクールに連れて行ってもらった時、出来たばかりのピカピカで大きな校舎に、都会っぽいブレザーを着た(地元の中学校はほとんどセーラー服だった)お姉さんがたくさんいるのに憧れたから。
私もあの制服を着て、綺麗な校舎でキラキラのスクールライフを送りたい!と思っていました。(めちゃくちゃピュアな理由)

受験を決めてからは、それまで以上に勉強に専念し、随分夜遅くまで塾に通っていました。そして見事、高倍率を潜り抜け、合格を手に入れた私。


ここまで挫折とは無縁な話に聞こえると思いますが、実はここからが私の挫折人生の幕開けです。



中学生になった私は、もちろん、今まで通り自分は勉強が出来るもんだと思っていました。

でもそれまでの私はまさに井の中の蛙。

私が卒業したのは小さな田舎の小学校で、中学校で出会ったのは、県内各地から難関を突破して入学してきた仲間たち。それまでとは余りにも景色が違っていて、私は自分の能力の低さに一気に直面して、完全に勉強のやる気を失いました。

中学を卒業する頃には、完全に勉強を諦めていて、でもその現実を見たくなくて、マスクを口じゃなくて目に被って授業中に寝たり(先生あの時はごめんなさい!)、放課後も友達と遊びに行ったりしていました。

あまり努力をしなくても学校で一番の成績を簡単に取れた小学生が、今まで通り頑張っても簡単には周りに追いつけない中学生になった。


これが人生初めての大きな挫折。ではここで、この挫折で勉強を諦めるまでに私がした成長の値を一旦xに置き換えます。


一方で、中学に上がった私はそれまでずっと勉強で我慢していた、体を動かすこと=部活動という新しいコミュニティに出会います。

バスケ部に入部しましたが、バスケットボールはほぼ未経験。

ですがここでも持ち前の負けず嫌いを発揮します。

door to door で片道1時間半の通学時間だった為、朝5時に起きて朝練に向かい、誰よりも早くコートに入り練習を繰り返しました。

「勉強じゃ周りのみんなに勝てなくても、バスケなら勝ち目があるかも」と思った私は、とにかく練習をして副キャプテンとなり、スタメンを維持していました。

怪我をして練習が出来なくなっても、家で動画を見て身体の動かし方を勉強したりと、とにかくここでは負けたくないと必死でした。

しかし高校に上がり、またもやそこで待っていたのは2度目の挫折

私よりずっと勉強が出来て、ずっとバスケも上手な仲間たちがたくさん増えました。

中学3年間、それまで努力してきた勉強を諦め、バスケにばかり励んだおかげで、やっと上手くなってきたと思っていました。

なのに自分よりバスケが上手で、しかも自分が諦めた勉強も出来る友達がたくさん居たのです。

私は退部を決意し、3年間努力した部活動を辞めて、帰宅部となりました。

ではここで、2度目の挫折を経験するまでの私が努力して成長した値をyに置き換えます。



それからというもの、勉強と部活動、のめり込んでいたものを両方手放した高校生の私は、恋愛したり、遊んだりして、完全に今までの努力を放棄しました。

でもたまに疼くどこか悔しい気持ちや自分を諦めたくない、という思い。

一方で学校に行けば、大学受験に向けて必死に勉強をしている仲間たち。

偏差値という奇妙な値で分類され、優劣を決められる世界。

今振り返ると、たかが学校の勉強の成績が悪いだけで、まるでダメ人間かのような錯覚を受けて、何にも頑張れない自分がいて、どこにいても自分の居場所を見つけられない気がしていました。

そうして学校に行くのが嫌になったから、高校三年生の時、しばらく不登校になった私。

学校を休んでいる時間は、瀬戸内海をぼーっと眺めて、学校の勉強と全く関係のない、人はどうしたら幸せに生きていけるのか、どうしたら人の役に立てるのか、について書かれたビジネス書や自己啓発本を片っ端から読む奇妙な女子高生になりました。

そんな気味の悪い女子高生が出会ったのが、
そう!料理です!(謎のテンション)

幼い頃、小麦粉や砂糖などの白い粉がクッキーやケーキに、生では食べられない肉や魚が美味しい料理に、変わっていく様子が魔法みたく大好きで、料理をしてくれる母の隣で、ずっとその様子を見ていました。

だから高校生になった私は、勉強も部活も辞め、時間が出来たのを理由に、小さい頃好きだった料理を始めました。

最初は料理と言っても、クッキーや、ケーキなどのお菓子を作っては友達や当時の恋人にプレゼントしていました。

そしてその時、自分の作った料理やお菓子を食べて、美味しいと褒めてくれる友達や恋人がいて、気づいた事がありました。

「勉強は頑張れば周りの人(大人たち)が喜ぶから自分が楽しくない時も頑張れた。

バスケは自分が身体を動かすのが好きだからやっていたけど、私に勉強をして欲しかった周りの人(両親)は喜んでいなかった。

でも料理をする事は、作る自分も、食べてくれる自分の周りの人も、初めてどちらもを幸せに出来る事かもしれない。」


そう気づいた私はそこで、料理をして生きていきたいと言う新しい夢が見つかったのです。

(高校時代の私。将来料理をしたいと気づかせてくれた友達と修学旅行先のハワイにて。)


その後、志望大学の受験は全滅し、行きたくなかった大学に進学して、半年で料理の道に進むためにその大学を辞めてしまいました。

そして大学を中退し、オーストラリアに留学をした私はそこで本格的に料理を勉強し始めました。


でも大好きな料理を始めても結局今までと何も変わりませんでした。

そう、またたくさんの挫折が待っていたのです。

でも料理だけは諦めたくなかった。

悔しくて苦しい事があっても、料理は唯一自分も自分の身の周りも幸せに出来る私が初めて見つけた武器だったから。


しかし、今回は挫折感を味わい諦めて辞めてしまういつもの私が顔を出すより前に、身体が限界を迎えたのです。


月経が止まり、経血が出ない代わりに、血尿が出始めて(ちゃんと排血のバランスを取る、我ながらよく出来た身体!)、そう思ったら今度は四十肩のように左の肩が痛くて上げれなくなった。

数分前に言われた事を思い出せなくなって、記憶力が著しく低下したり、声が出せなくなったり。

とにかく、身体の至る所が一気に壊れたのです。

ではここで、私の身体が壊れるまでの間私が努力して成長した値をzに置き換えます。





2020年コロナウイルスが猛威を振るった時、私は有り難くも壊れた身体を休ませていて、気づいた事が2つあります。

1つ目に、既に存在している競争にエントリーした時点で敗北が決まっている事。

勉強だって、バスケットボールだって、努力すればするほど、上には上がいます。

きっと料理の世界も同じです。

そして、現時点で競争の上位にいる人たちは私の何倍もの時間と労力を使ってその地位を手に入れている。

これはどうも、そこまで行くまでに私のような凡人は血の滲む努力が必要です。

でも私にはもう流す血がない。(リアル)

私は料理の世界でも同じ挫折を繰り返そうとしていたんだけれど、どうも今回は、「ひたすら努力した挙げ句の果てに挫折を味わう」というお決まりのルートを辿る以前に、身体が壊れてくれたおかげで新しい道を見つけました。(やったー!)

そう、自分で道を作ればいいのです。

まだ誰も辿っていない道。

そこで2つ目。

よくよく考えてみると、挫折して諦めた後に残ったx,y,zの様な値は、それぞれの数値は異なっていても、どうも0にはなっていないようです。

ならば、既存の競争ではなく、新規のルートを歩くためには、x,y,zをかけ算しようと思いました。

つまり、

私が歩く新しいルート= x × y × z

よく失敗は成功のもとと言うけれど、大雑把な言語表現は数値で可視化するとよくわかりました。

挫折を味わうまでにした努力は消して0にはなっていません。諦めの悪い私は、勉強も英語も、部活時代に興味を持った栄養や健康に関する勉強も、そしてもちろん料理も、一つの事に集中するのは苦手でも、全てを細々と続けてきました。

私の今から歩んでいく人生は、今までやってきた事をかけ算すればいい。ひとつの値が0にならない限り、かけ算の積は無限に増えていきます。

加えて、たくさんの行動と失敗を繰り返してきたから、乗数はxyz以外にもまだまだたくさんありそうです。



(10年前の私。何も変わっていない。笑)


そうだ。私の夢はただ料理人になる事じゃなかった。

1人でも多くの人を笑顔にする大人になる事です。

その為には、xやyやzのひとつひとつの値を増やす事に一喜一憂するのでなく、すべての乗数を最大化すれば良い。


また、

係数A=一緒に頑張ってくれる人の数

とすると、乗数を増やすだけでなく、結果はさらに無限になります。

つまり、

1人でも多くの人を笑顔にするという夢=
A(x•y•z )

Aの値が増えれば増えるほど、さらに多くの人を幸せに出来る可能性があります。

私は自分が挫折しても諦めきれない好きな事を、何個もかけ算して、それに一緒になって頑張ってくれる人を巻き込もうと思いました。




みんな同じ様に、今まで何かきっとやりたい事があって、でも必ずと言っていいほど、努力する度に挫折を味わっています。

とりわけ、学生時代は決められた科目を学び、その成績で順位がつけられます。
皆同じ制服を着て、皆既存の競争上で戦わせられます。

にも関わらず、社会に出た途端、

「自分らしく生きよう!個性を大事に!オリジナリティはないのか!」


といった、今までと真逆の言葉の折々を突きつけられます。

そんなもの、急にあるわけないじゃないか。

でもここで諦めちゃダメです。私にもあなたにもきっと自分が好きでのめり込み、努力してきた何かが何個かあるんじゃないかな。

その世界で一番になれないからってもう落ち込む事はなくて、かけ算をすればいい。

自分が好きなことや、人より得意なことをかけ算していけば、5+5が10にしかならなかった世界が、5×5で25になる。

乗数が増えれば増えるほど、あなたらしい道を歩めるし、乗数を増やすことが物理的に難しくなってから、ひとつひとつの乗数を最大化する作業に取り掛かっても遅くないんじゃないかな。


そう、それで今の私には、今までたくさん失敗して挫折を繰り返したおかげでたくさんの乗数があります。

今興味を持っているものだけでも、料理を始め、フィットネス、ヘルスケア、英語、アート、ジェンダーなど乗数はいくらでもある。

だから、来年の私は、乗数を増やす作業は今のところ気が済んだので、一つ一つの分野で、乗数を最大化する努力をします。

そして、今までより周りの人の笑顔をたくさん見たい。

今までの私は自分の行動で、自分や自分の近しい人達を傷つけたこともありました。

でも、ドミノ倒しをする時は、一番近くの駒をまず倒さないと離れた駒が倒せないように、山頂の湧き水を海に届けるには、山中の川を通らなければいけないように、まだ出会っていないたくさんの人を幸せにするには、まずは自分の目の前や、周りにいる人を大事にすること。

それはいくら時代が変化しても変わることのない、自然の摂理だなと思います。

やりたい事があって羨ましいと言ってくれる友達が多くいるけど、今回書いた通り、ここまで来るまで多くの挫折がありました。

でもまだまだ人生これからなんだから、諦めるわけにいかないよ。

自分の好きをかけ算して、一緒に頑張る仲間をたくさん見つけて、素敵な未来を迎えに行く。

それがバラ色の人生に生まれる事のなかった、自分の様な雑草人間が、花屋の店先に並ぶ事ができるまでに必要な「挫折のかけ算」です。


https://youtu.be/lGawzJmbJTY

誰かが決めた競争の中で、周りと比べる事なんてやめちゃって、あなたはあなたらしい人生を送ってください。私も自分らしい人生を生きます。

一緒に楽しみましょう^_^

佐藤日向子

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