ステルスマーケティング問題をマイケル・サンデル風に思考してみた

アナ雪2の漫画投稿やら、京都市から吉本芸人への投稿依頼やらで、ここ最近「ステルスマーケティング=悪」という論調が改めて強くなってきたように感じます。

個人的には広告表示の義務化は必要だと感じましたが、騒動を見ていると今更何をとも思います。

正直、見え透いたステマやアフィリエイトを見るたびに「所詮全部広告だよね」と思う部分もある一方、情報を消費している私は一円たりとも情報発信者に支払ってません。もっと言えば、私がお金を払わずに得ている情報は大量にあります。民放然り、WEB上の情報メディア然り。こういった場所には企業の金が入ったコンテンツだらけ。そんなこと百も承知です。

情報を発信している側に消費者が金を払わず企業が金を払うことによって発信者の生活が成り立っているのであれば、広告が混ざる(あるいはほとんど広告である)ことなど割り切って受け入れるほかないじゃないですか。信頼できる情報と、不正な情報に文句を言う権利が欲しいなら、情報の信頼性を保証するために必要なコストを払えばいいだけのことです。

さらに見方を変えるなら、企業が介在して投稿(広告)するということは、商品についての誇大や虚偽は罪に問えるわけで、逆に言えば投稿内容に規制がかかり一定の正確性が担保されます。個人が自由に投稿するより広告の方が正確になるなんて、皮肉な感じもします。

ただ企業の広告が担保する「正確性・信頼性」は広告内容の正確性であって、発信される情報の偏り・歪みがないという話ではなく。「インターネット上の言論空間はステマと嘘で上等」という状況を作ってはいけないという議論ももっともで、広告なのか広告でないのかを明確にしなければならないという規制がすでにアメリカにはあるんですね。すでに「インターネットは嘘だらけ」という状況はできてしまっているようにも思いますが。

収益モデルとか法律とか抜きで、ちょっと考えてみました

法規制は必要だと思いつつ、そもそも消費者が情報に金を払わなさすぎるとか、広告費で莫大に売り上げているプラットフォーマーは実はその言論空間のメンテナンスに相当の責任とコストを負うべきではないかとか、いろいろ言いたいことが出てくるニュースでした。が、今回は最近読んだ『それをお金で買いますか 市場主義の限界』のマイケル・サンデル風に書き出すのがマイブームなので、いくつかパターンを考えてみました。

1.企業がインフルエンサーに金を払って投稿を依頼する場合

アナ雪の件では明確に「契約金をいくら払った」という話はなかったようですが、今回大炎上したのは「企業がインフルエンサーに払ったのだろう」と消費者が想定したからこそ、でしょう。金を払ったならそれは広告で、広告としての表記を行うべきだという主張は当然だと感じます。ネイティブ広告にも法規制が入ってますしね。

では次の場合はどうでしょう。

2.暗黙の了解に基づく「特典」が存在する場合

例えば、今回の件で金銭のやりとりが発生していないと仮定しましょう。その代わりに、広告・PR業界との常識として「先行試写会などの特別なイベントには、インフルエンサーが優先的に招待される」という暗黙の了解があり、これをインフルエンサーも承知している場合はどうでしょうか。(あくまでも仮定、ですが。勝手ながら、これはありうる話だと思ってます。)

この場合、インフルエンサーは呼ばれた試写会について特に投稿する必要はありませんし、そういう契約も結んではいません。しかし呼ばれた試写会について投稿しないということは、企業のPRに協力してくれないインフルエンサーであると広告業界で認識され、結果としてこれから特別なイベントに呼ばれにくくなるとしたらどうでしょう。もちろん、投稿したら呼ばれるという確実なものでもなければ、脅されているわけでもありません。

この場合、閲覧回数に基づく広告収入を得ている人(ブロガー・youtuberなど)や、フォロワーが増えることで本業の告知効果も期待できる個人事業主(漫画家・イラストレーター・何かの作家など)であれば、インフルエンサーという立場閲覧回数・フォロワー数を伸ばしうる「先行試写会報告」というコンテンツを守るために、今回の試写会について投稿するかもしれません。

これは広告行為なのでしょうか?いわゆる広告ではないと思うのですが、「ステマではないから、問題はない!」と堂々と言われると私はもやっとします。なんででしょうね?「そういうインフルエンサー特典も含めて、ステマだ」という直感でしょうか。でも、どうやってそれがステマだと証明しましょうか?

3.友達のお店を紹介する場合

ちょっと観点を変えてみます。ママ友同士のAさんとBさんという友人を仮定します。

Aさんが素人ながら小さなレストランを開き、Bさんに「お店に招待してあげるね!これからお客さん集めも大変なんでさ、もしよければSNSで紹介して拡散して!」と依頼しました。Bさんは「これを断ったりしたら、友人関係にもヒビが入ったり、子供同士の仲を引き裂いてしまうかもしれない」と考えてこれに応え、お店で食事をとり、特に美味しいわけでもないレストランを「とても美味しいお店が近所にできました!これから人気になるかも!」とTwitterに投稿したら?

友達同士の話であれば、これくらいの規模は全く問題ないでしょうか?あるいは「広告です」「PRです」と言わなきゃいけないでしょうか?「友達が開いたお店で、招待された」と最初に書けば問題ないでしょうか?Bさんが「紹介することと引き換えに食事代を無料にする」と言った取引がなければ良いでしょうか?あるいは、嘘をつくのが問題で「美味しくはない」と本当のことを言っていればOKでしょうか?

この例で「広告です」と言わなくても罪に問われることはないと思います。また、多少嘘をついて美味しいと宣伝したところで、この規模だったら炎上するどころか「まあ、あるよね」で受け入れてもらえるんじゃないかな、という感覚ですが、皆さんはいかがでしょう。

4.友達のどちらか一方が、社会的影響力が大きい場合

上の話で、BさんがTwitterに1万人のフォロワーを持つインフルエンサーだったらどうでしょうか?こうなると、「まあ、友達の店に招待されたってことぐらいは正確に伝える義務があるよね」と思う人が一定数いるかもしれません。特にこの人がグルメ系のインフルエンサーであれば尚更ですね。

ではBさんが本業は別に持ちながら趣味としてオタク系の絵を描く「絵師」であったらどうでしょう。フォロワーもオタクファンや絵師仲間などしかおらず、Bさん自身も自分をインフルエンサーだと思っておらずあくまでも「趣味で絵師をやっていたらTwitterで仲間が増えた」と考えている場合は?この場合、Bさんに「フォロワーに対し正確に情報発信する義務がある」と言われても、Bさんには「義務だなんて。自分のアカウントに何投稿しようと勝手でしょ。グルメの仕事をしているわけでもないんだし」と反論されそうです。私ならこの反論で沈黙します。モヤモヤしつつ。

逆に、Aさんのお店が10年経って、全国にもチェーンを持つ有名レストランにまで成長した場合はどうでしょう?AさんとBさんは引き続き友達で、今まで通りAさんが「今度うちの店でこんな期間限定商品を出すよ!最近は競合も多くてなかなかうちの商品の認知が広がらなくて、もしよければSNSで紹介して拡散して!」と言ったら?

お店が法人化していてAさんが社長や株主だったら問題でしょうか?法律的には問題ない気もしますが、「大きくなったんだから、そろそろそれやめたら?」と私は思いました。では、Aさんがそのレストランのトップシェフだったら?えー、どうしようかな・・・やっぱり「自分で投稿しろ!」と思いますかね。

5.ビジネス的なドライな関係かつ、なんの依頼も発生していない場合

また状況を変えてみます。新米PR担当のXさんは、個人でPRコンサルの仕事をしている高名なYさんとビジネスイベントで知り合いました。特に個人的な友人関係はないですが、XさんはそのビジネスイベントでYさんにPRの相談に乗ってもらったり、その時紹介した自社のPRイベントについて「いい取り組みだ!」と褒めてもらいYさんの個人ブログに取り上げてもらったりしました。明確な利害関係まではないものの、間接的な利益が期待できるビジネス上の知人ですね。

そんなYさんが、自分が主催する有料のイベントを告知していました。このイベントにXさんは1ミリも興味が湧きませんでしたが、「普段からお世話になっているし、この人に目をかけてもらっていれば自社のPRイベントも今後ブログで取り上げてくれるかもしれない」という打算から、自身のTwitterアカウントやPR担当者向けフェイスブックグループに「有料でも参加する価値がある、すばらしいイベントです!私も行きたい!」と拡散したらどうでしょう?

3のような友人関係はなく、またYさんは社会的影響力があるタイプのようですが4の有名レストランように依頼をしたわけでもありません。これは全く問題がないでしょうか?私は3のパターン同様に「まあ、あるよね」という感覚で全くモヤモヤしないのですが、知人に聞いたところ「それは、ビジネスの駆け引き的なものが裏にあるでしょう?ちょっとモヤる。やっぱり法律的には問題ないんだけどね」と言われてしましました。

「モヤる」の根っこにある、全ユーザーの道義的責任

現行の法律を完全に無視しても、なんとなく道義的にモヤるものがいくつかありました。1は法律で対処できるにしても、2~5をオールオッケーにするなら結局ステマらしきものはこの世に残り続けます。

このモヤる理由に共通してあるのは「その投稿は、本当に誰にも歪められていない、あなたの真実か」が他者に明確にされていないことのように思います。投稿をする意思、投稿の内容は真に投稿者自身に属するものなのか?そうでないなら、誰がその投稿に関与しているのか。歪みの有無を明確にするためには「その投稿のステークスホルダーは誰か」という情報が必須です。

そんなことを考える中、こんな記者のプロフィールを見つけました。

https://www.theverge.com/authors/sean-hollister/archives/2

Ethics statement: Sean's wife is currently employed by Facebook. He does not write, edit, or vet stories about Facebook or its brands -- including Oculus, Instagram and WhatsApp.

ライターという職業柄かもしれませんが、彼は自身の投稿のステークスホルダーを初めから明記しています。自身で「Facebookについては書かない」と宣言していますが、もし彼がFacebookについて記事を書いていたとしても、読み手はその投稿に影響を与えうる権力者をあらかじめ知ることができるのです。金が動くか、特典を得ているか、は関係ありません。

先ほども述べたように、インターネット上の情報はすでに嘘にまみれているというのが、私の感想です。これはアフィリエイターが悪いとか、インフルエンサーが悪いとか、企業が悪いとか、GAFAが悪いとかいう話ではありません。このインターネットというプラットフォームの全ユーザーがインターネット上の情報に対する正確性・信頼性への責任を果さなければ、この状況は変わらないのです。

オフライン上のコミュニケーションと違い、インターネットに流れるオンライン情報は時間・場所を超え、投稿者自身の意図すら超えて不特定多数に届きます。その前提を踏まえ、自分の投稿がどのような文脈で投稿されたのか、どの視点からの真実かを、誰もが責任を持って開示すべき時代なのではないかと。「このお店のオーナーである友達に招待されました」「この企業に招待されました」「この人には、普段からPR業務で個人的にお世話になっています」と書けばいい話ですし、書くことが重要だという理解です。

それが実現すれば、グレーゾーンのマーケティングでモヤモヤする必要はなく、「いやそれ、このプラットフォームのユーザーとして道義的責任果たしていないから」と言えるんですけどね。じゃあ、そこで明記すべき文脈・ステークホルダーの範囲とはなんなんでしょう?それも含めて法律化しないといけないんでしょうか?全くゴールが見えなくなってきました。

うまい結論がでれは私もマイケル・サンデルになれるのですが、なんの生産的な結論も出さずモヤモヤしたままこの記事は終わります。ご意見お待ちしております。



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