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鬱病雑記:サランラップの頭からちょっと復活

鬱という病気は、よく言われるように、
「脳にサランラップをされている」かのような状態が突然やってくる。

頭の中がぼや〜っとなり、何も考えられず、まとまらず、
今まで生きていた世界が急にぶっ壊れ、
亜空間にいきなり1人で放り出されたかのような、
そんな感じになる。

突然、文字が読めなくなったのが5月末だろうか。
そこからあれよあれよと通院し休職手続きにバタバタし、
ていうか傷病手当すっくな!と思ってたら、
治療計画が進まず、いつの間にか休職期間が2ヶ月延長になっていた。

ぶっ壊れた世界が直らない。
人と話してみても、本を読んでみても、散歩してみても、
直らない。

毎日クソ暑い。
ぶっ壊れた世界の中でエアコンをつけ、値上がりした商品を買って食べ、出し、息をしているだけで金がかかる。
でも、毎週決まった時間にゴミ回収車が来たり、図書館に行けば無料で本が読めたり、綺麗に整備された公園でぼんやりすることができるのは、
税金を納めているおかげだ。
怠惰な私の代わりに、せっせと働いてくれている誰かのおかげだ。

まるで2歳児のように「なんで?」が止まらない私だけど、遡れる限りでは、その出発は小学生のときくらい。
学校の先生が大嫌いで、
なんだこいつら偉そーに。てか誰だよ。(ごめん)
と思ってた。

そう思いつつも真面目な優等生だったので、その気持ちは心の奥にしまいながら、すくすく大人になり
20歳くらいのとき当時の指導教員と出会い、心の奥にしまってたモヤモヤが
「人が人を支配するってどゆこと?」
という問いに変わった。

不器用で激弱メンタルなくせに、それ以上にとにかく頑固な私は、この問いと、「なんで?」を考えすぎるクセと、社会生活との折り合いをつけることができなくて、とうとう脳みそにサランラップを巻かれることに。

何だこの病気…何だこの人生…てかお前(わたし)誰だよ…と思い、本を読んだり調べたり人に聞いたり、外側に答えを求めてみたけど、どれもしっくりこず。降参することにした。

降参すると、いかに社会から規定された枠の中で自分自身を認識してたか分かった。(性別、仕事、年齢、出身、そのほかetc)
(28歳女性正社員である私は、社会や他人に対してどう振る舞うべきか?ということ)
仕方がないことだと思う。

ということで、全てが一旦リセットされたため、1つ1つ自分に教えながら、世界の設定をしてる毎日です。
(お金っていうのはこれ、仕事っていうのは…何????、心地良いってこんな感じ、嫌な気持ちってこんな感じ、、とか)



「なんで?」が止まらないのなら、それを武器にすりゃいいじゃん、と思えた本たちです。
上野千鶴子の学問への姿勢や彼女の思考方法、明快で速度のある文章が大好き。
上野千鶴子『情報生産者になる』
『思想をかたちにする 上野千鶴子対談集』

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