見出し画像

私は本当に仏像が好きなのか問題

上野に空也上人の展示を見に行った。
平日の昼間なのにめちゃ混んでてびっくりした。
平清盛の像があったからだろうか。

口から「南無阿弥陀仏」が出てる空也上人像は相変わらずアバンギャルドだった。
日本史教科書の落書きアイドルの座を欲しいままにする、そのお姿がそこにあった。
寝不足の頭で「南無阿弥陀仏」を数えたが、何回やっても数が合わなくて怖くなってやめた。
漢字で一人一文字を担当してただけだと今気づく。

運慶の像もあった。
この人には一生叶わんと思い思わず合掌した。

六波羅蜜寺の年表をじっくり見た。
六波羅蜜寺のキャリア的には空也上人の出現はかなり初期の出来事で、
その後、平家、秀吉と引き継がれていったことを初めて知った。

私は仏像が好きだけど、「ここの衣のシワが云々」とか「この印が云々」とかあんまり分からないし、うんちく的なことも全然知らない。
ただなんとなく目が離せなくなる仏像がいることは確かだけど、
それも美術的に見て惹かれてるという感じではないし、
1番好きなのは東大寺の盧舎那仏なので結構かなりミーハーである。

仏像はお寺にいることが1番だと思ってるので、
来れば行くけど本当はお寺で見たいよと思ってる。

空也上人は、念仏を唱えれば皆救われるという考えを民衆に広め、寺の外に混じっていった僧だ。
私はどちらかといえば、空也上人像のその姿というよりかは、実在した彼の姿を側から見て、口から「南無阿弥陀仏」を出しながら練り歩いてるみたいだと考えたそこのあなた(運慶の四男)の気持ちに心が震える。

だから「仏像が好き」というのとは少しずれてるんだなという、
長年の違和感をやっと言語化できた気がする。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?