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「機械みたいだ」は褒め言葉なのか|心に浮かびゆくよしなしごと

ご無沙汰してすみません、緋那です。

先週は大きめの仕事が大詰めで、noteしている余裕がなく…
(言い訳ですね、すみません…)
今週でキリがついたので、またゆるゆる投稿していけたらなと思います。

今回、このテーマを扱おうと思ったのは、cotreeのひらやまさんが書かれていたnoteの一節が心に触れてしまったから…

自分がマジョリティではないと気付いてしまったときの悲しみとさみしさは、経験した人にしかわからない。

ひらやまさんの想いとは違う解釈をしてしまっているかもしれない。
あるいは、軽々しく「わかるよ」と言って欲しくないかもしれない。

それでも、この言葉を見て感じた想いをどうしても記事にしたくなってしまったので、謹んでnoteさせていただきます。

「一線を引かれている」と感じながら生きた高校時代

自己紹介noteでも少し書いたのだけれど、
学区内で最も名の知れた進学校で、私は「成績優秀者」だった。

「テストの点はどうだった?」「模試の判定は?」なんて会話には混ざれなくて、「緋那は頭良くてすごいね」とみたいな言葉を掛けられることが多かった。

でも、「すごい」「特別」の言葉の裏に、「生きている世界が違うもんね」と言われているかのように感じて、すごく強い孤独感を抱いていた。
私もあなたたちと同じ笑いもすれば泣きもする、普通の女子高生なのに。
そんな思いでいっぱいだった。

確かに、
塾や予備校には通っていなかったし
睡眠は7.5時間ちゃんととっていたし
深夜アニメも追いかけていたし

目に見えて努力していたわけではなかったからなんだろうけれど、

でもそこには
学校で指示される予習復習と課題をやり込んでいて時間がなかった、とか
学習効率と集中力を保つためにはそのくらいの睡眠が必要だった、とか
深夜アニメを見ていたのは朝ごはんの時間だけ、とか
ちゃんと理由があって。

そしてなにより、高1の夏に「なんでみんな笑っていられるんだろう…」なんて苦しさも味わいながら、高校3年間努力し続けたからそれだけの成績が取れたというだけのことで。

でもそんな努力も苦悩も何も見ないで、
「あなたは私たちとは違うのね」
そんな一線を引かれるのは、とても孤独だった。

そして高3の夏、母方の実家に帰省して、
兄が親戚の前でポロっと「緋那は特別だから」と言ったときには

「自分たち家族は社会からは少しズレている」

そんな自覚を共有している家族にすら疎外されてしまったのかと、
孤独感に打ちのめされた。

悪気はないのはわかっている。
単に、良い成績を修めている妹が誇らしくて出た言葉なのはわかっている。

それでも、その場で泣かないようにするのが精一杯だったし、
当時の彼氏に話したときには、めちゃくちゃ泣いたものだ。

社会人になって耳にした褒め言葉「機械みたいだ」

東大に入ったら自分より勉強ができる人ばかりで、
会社に入っても自分よりすごい人ばかりで、「特別」ではなくなった自分。

"疎外の言葉"が自分に向けられることはなくなった。

けれど、私の同期でめちゃくちゃ仕事できる子が
「機械みたいだ」と評されていたり、

上司が前職で「マシーン」だったか「サイボーグ」だったか、
"機械"由来のあだ名をつけられていたという話を
他の人が事あるごとに掘り返したり…

そんな場面に何度か直面して、めちゃくちゃモヤモヤした。

前者は、淡々と大量のタスクを正確にこなすさまを評価してのことだし、
後者のあだ名もストイックに目標売上を達成し続けた姿が評価されてのものだし、それを掘り返す人も"面白い話"としか思っていないのだろうけれど…

その裏にある"人間らしい感情"、努力も苦労も苦悩も無視しているようで、すごく複雑な気分になる。

いや、言葉を選ばずに言えば、すごく気分が悪い。

別に私が言われたわけじゃない。
言っている本人に悪気はないどころか褒めているつもりなのだろうし、
言われている側も「嫌だ」と明言しているわけでもない。

だから、「そんな言い方はないと思いますよ」なんて私に言う権利はない。

一面しか見えないからこそ、心掛けて生きたい

私に唯一できることは、
その人の見えない「人間らしい感情」を忘れないことだと思う。

人はどうせ一面しか見えない。
努力も弱さも苦悩も、普段表に出すことはしない。
見えないところにあるものを勝手に想像したって的外れになるだけだろう。

それでも、「見えないところもある」
そんな思いを忘れずに接することはできるんじゃないだろうか。

凄い人ほど「凄さ」に注目が集まって、人間らしさは見えなくなっていくかもしれない。けれど、凄い人ほど「凄さ」を身につけるために、努力も苦悩もしているはずで、そして弱さを表に出しにくい環境にいると思う。

表面的なスキル・能力・成果ではなく、
相手の人生にリスペクトを持って接したい。
そして、相手の人間らしさに寄り添いたい。

「凄い」の言葉って苦しいよね。

そんな言葉が必要になる時のために。
(不要な人も多いのかも知れないけれど)

ということで、長文にお付き合いいただきありがとうございました。
少しでもあなたの心に何か残っていれば幸いです。

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