武内宿禰を考えてみました

ひとつまえの9月2日の投稿から1週間ちょっとが経過しましたが、本日より7回のシリーズで「武内宿禰の考察」をブログで発信していきます。もう少し時間をかけて情報収集した上で多面的な考察をしようと思っていたのですが、ちょっと不完全燃焼に終わってしまいました。ほかにやらなければいけないことがいくつかあって時間があまりとれず、集中力や持続力を欠いてしまいました。

7回の内訳は以下の通りです。1回目の「武内宿禰の事績」についてはブログのリンクを張っておきますが、2回目以降は順にアップしていきますので、できましたら直接ブログにアクセスいただければ助かります。

※全7回をブログでの発信としましたので、以下の①~⑦まで、すべてリンクを張っておきます。(追記)

 ① 武内宿禰の事績

 ② 武内宿禰の誕生と終焉

 ③ 武内宿禰の長寿

 ④ 「内」について

 ⑤ 甘美内宿禰の存在

 ⑥ 神功皇后と武内宿禰

 ⑦ 二倍年暦について

これらのほかにも、例えば武内宿禰を祀る全国の神社を詳しく見ようと思っていたのにまったく手をつけることができませんでした。様々な事実や情報に基づく検証ができていないため、結果的にほとんど想像の世界に入り込むことになってしまいました。とはいえ、自分なりの考えが整理できて、十分に表現できていないものの、自分なりの武内宿禰像を持つことができました。不十分なままで終わらせた部分についてはまた別の機会にじっくりと検証したいと思います。

さて、いよいよ応神天皇紀を先に進めて倭の五王の勉強に入っていきたいと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?