古代史構想学 入門編(6)


纒向遺跡ツアーの続き、今回は三輪山登拝後の至福のひとときを紹介します。

三輪山登拝を終え、狭井神社のご神水でひと息ついて時計を見るとすでに12時を回っていました。炎天下での2時間の山登りで疲労困ぱいの上に体温の上昇も甚だしく、ランチ休憩をとることにしました。入ったお店が大神神社の二の鳥居近くの福神堂という御食事処。お昼どきでそこそこお客さんがいたように記憶しているが、たまたま空いていた奥の小上がり席に陣取ってメニューを開け、まずは当然のように生ビール。そして食事は何と「そうめん」。

関西人にとってそうめんというのはお中元でいただくもので、自分でお金を払って食べるものではないのです。それでもこの時ばかりはメニューにあった冷たいそうめんの写真が何と美味しそうに見えたことか。エアコンとビールとそうめんでようやく体温が下がって正気が戻るかと思いきや、疲れた身体に程よくアルコールが回って何ともいえない心地よさ。

そうめん

さて、ここから脱線。
その昔、山頂の大物主神に拝礼するために毎朝太陽が昇るとともに三輪の山に入る神職がいた。春夏秋冬、暑いときも寒いときも往復2時間の道のりを黙々と歩いた。そして登拝を終えるとようやく朝餉(あさげ)だ。
登拝を終えた神職の身体は、暑いときには身体を冷ます食べ物を、寒いときには身体を温める食べ物を欲した。長期間の保存ができて、良質のたんぱく質が摂取できて、冷たい食べ方でも温かい食べ方でも簡単に調理ができるもの、「そうめん」は古代の神職の知恵が生んだ食べ物ではないだろうか。
三輪の地はそうめん発祥の地である。

そう思って「三輪素麺」で検索。Wikipediaによると「6世紀から7世紀に仏教伝来と共に小麦栽培・製粉技術が伝えられたとされている。伝説によると大和三輪において紀元前91年(崇神天皇7年)、大物主命の五世の孫である大田田根子命が大神神社の大神主に任ぜられ、その十二世の孫である従五位上大神朝臣狭井久佐に次男穀主が初めて作ったという。」とある。当たらずとも遠からず。これも実地踏査のなせる業(わざ)か。

いつまでも休んでいるわけにも行かず、重い腰を上げて向かった先が桜井市立埋蔵文化財センター。ここには纒向遺跡から発掘された貴重な遺物が展示されています。展示物の数はそれほど多いわけではないのですが、とにかく貴重なものばかり、レプリカではなく本物が並んでいるのです。少なからず興奮状態に。しかし、このときはまだそれほど詳しく纒向遺跡を勉強していたわけではないので、ひとつひとつの遺物の意味がよくわかっていなかったのですが、その後に勉強を重ねていくと「もっとしっかり見ておけばよかった」という後悔の念がフツフツと沸いてきました。

それでもここでひと通りの情報をインプットして、いよいよ私たち3人は纒向の中心に向かってペダルを漕ぎだしました。


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