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出版metooに対して思うこと

幻冬舎の編集者によるセクハラ事件を発端に、ここのところオンラインで出版業界のセクハラ・パワハラ・原稿料未払い問題についてのイベントが立て続けに行われている。先日は能町みね子さん×高橋ユキさんのYouTubeライブ、小川たまかさん×三浦ゆえさん×アケミンさんのネイキッドロフトの配信イベントを鑑賞した。

それで、どんどん「あのときのあれはセクハラ・パワハラだったのか」と気づいてフラッシュバックが起こってしまって最近正直疲弊している。セクハラやパワハラを受けている最中は「この人は何を言っているんだ?」とギョッとしすぎてそれがハラスメントだと気づけず、その場で反論ができない。後からじわじわくる苦しみがある。

考えてみると、小中学校の頃、クラスがうるさくて職員室に帰ってしまい授業をしない教師がいた。それを学級委員長が職員室まで謝りに行って授業再開、または自習になってしまう出来事が多くあった。これも権力を利用した立派なハラスメントである。今はだいぶ学校もホワイト化が進んでいると思うが、私たちは小さい頃からハラスメントを受け続けていてそれに慣れてしまっている部分がある。そして、自分が権力を持ったとき、自分が受けたハラスメントをハラスメントだと認識できずに今度は自分が加害者になってしまう可能性もある。

権力は持っていると便利なことが多く、それが自分の自信にもつながる。けれど、権力の使い方を誤ると加害者になる。

私には権力がまったくない。特にフリーランスの人たちは皆そうだと思う。(もちろん組織ではもっと顕著な場合もあるが)私は発達障害の特性から物事を善悪に分けたがる脳のクセがある。このクセが自分で自分を苦しめているようにも感じる。

権力を持つ人は今一度この権力の使い方を考えてほしいし、被害者はもっと声を上げていきたいが、何もかもを捨てる勇気がないと声を上げられず泣き寝入りだ。対等な関係を築き上げるためにはどうすればいいか、どんなコミュニケーションを取ればいいのか。これが私にとって今後の課題である。

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