見出し画像

安心と安全は違うよね。


日本語には、よく似たことばがたくさんありますね。

よくよく考えると、

意味は違っていたり、混同していたりということがあります。


安心と安全も、その一つ。


桑原は、こうした「ことばの混同」を

探っていくのが大好きです。


今日、とりあげた「安心と安全」の違いも、

しっかり言語化すると、

なるほどーーと思います。


一般的にはこの2つの違いは、こんなふうに表現されています。

・安全とは、科学的、客観的な根拠のもとに危険が最小になっていること

(危険ゼロっていうのは、基本的にないと思います)

・安心とは、本人の感覚であり、非常に主観的なもの


たとえば、

不安症の人や人への信頼を持てない人、マイナスの妄想を持ってしまう人は

どんなに安全な場を作ったとしてもずっと不安です。


こうなったらどうするんだ! こういう場合はどうするんだ!  

本当はこうなんじゃないか!・・・・・

切りがないですよね。


安全だから安心するかといえば、そうでもないし。

安心しているから、絶対に安全かといえば、それも言い切れない。


現代社会においては、想定外のことはたくさん起きるわけです。

不確実な中で、私たちは生きていかなくてはならない。

安全を確保するという責任は、外側にあるだけではなく

自分自身にもあります。


それは・・・・・・

人間関係、教育の場、家庭内、自然環境の中、イベント、仕事・・・・・


場面によって安全は違いますし

そこで安心できるかどうかも人によって違います。


常に不確実な中で、生きているということを前提に

「自分はどうするか」
「自分は何ができるか」
「何かの時、どうするか」

ちゃんと主体的に考えておく必要があります。

そうでないと、行き場のない不安を

怒りとして、誰かに向けることになります。


おびえてばかりでも、人生楽しくないですし

あまりに危機意識がないのも、それはそれで、ヤバイ。


最後は

自分が何を信頼し、どう生きるか。


外にばかり求めていても、どうしようもないことも

たくさんあります。


話が外れるかもしれませんが・・・・

皇后雅子さまが、ご結婚される際

「私が全力でお守りする」とプロポーズされた天皇陛下。


そこに100%の安全があったかといえば

決してそうではなかったはず。

安心して、皇室に入られたかといえば、決してそうではないはず。


最後にものを言ったのは、「信頼」だったのだと思います。


嵐の祝奉曲を聴きなが涙された雅子皇后の目に光った涙は

27年間、不安の中で、陛下を信頼し続けた想いからの涙だったのかな

と、一人感動していた桑原です。

あなたが、安心安全を超えた「信頼」を感じるのは

どんな時ですか?


メルマガの登録はこちらから! 

→ https://1lejend.com/stepmail/kd.php?no=IRnMnAEvyo

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?