映画は映画、NetflixはNetflixだといえなくなってきた

「ファーゴ」のシーズン2(Netflix、全10話)を観終えた。こういう作品によって、映画の立ち位置は変わっていくのだなと思った。映画は映画、NetflixはNetflixだといえなくなってきた。Netflixと映画の関係がジャンル違いではなくなって、長編と短編という認識になるかもしれないと思う。これまで見てきた海外ドラマと違い、完全に映画のモードで10時間観させられた。

10時間あると何ができるのか。たとえばファーゴにはバカな人がたくさん出てくるが、映画ではバカはバカのまま一種類のバカとして描かれる。あるいは一つくらい見せ場があって本当はバカじゃないんだと思わせる。それが、時間をかけて人が描かれるとバカはバカなのだが、そのバカさにグラデーションが出てくる。その人がどうしてそういう発言をするのかがわかってくる。その人物を魅せるためにあからさまなことをしなくても普通の会話を重ねていくことでその人が見えてくるのである。ファーゴのシーズン2はそのような叙述に徹している。

ファーゴの一連の事件が終わった後、刑事のひとりが、大きな事件すぎてどのように報告書を書けばいいのか、と途方にくれるシーンがある。するともうひとりの刑事が、いつもと同じように書けばいい、発端から始め、終わりまで淡々と、と答える。作品の意図をそのまま言っているようなセリフである。

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