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現代のレール/民藝の100年を観て

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昨日国立近代美術館に「民藝の100年」を観に行ってきました。


今まで美術という畑に足をつっこみつつ、民藝に関してよく調べた事もない。地方に住む人々が作った道具を日常に潜む美として、生活の中の工芸として紹介した。。という断片的というか誰かが仰っていた言葉を頭の片隅に何とか記憶していたという感じです😂

でも何故か気になっていたこの分野。まずはせっかく展示をやっているので気分転換も兼ねて観に行こう!と足を運んで参りました。


しかし、甘く考えていました。

2時間もあれば観れるっしょ〜と考えていたのですが、三分の一の作品をさらーっとしか観れなかった😭何故って閉館時間になってしまったのと、私にしては珍しくノートとペンを握りしめてあれこれメモをとりながら回っていたら。。あ、れ?!みたいな!


でも本当に面白かったです。

鑑賞し終わった今も、わからない事だらけ、歴史も作品名も人々の名前も覚えられないのですが、あの心ときめく民芸品と彼らのオタク気質とも呼べる民芸品に対する追求心と好奇心が私の心にポッと明るい灯りを灯しました🕯


そして今なぜこの展覧会が開かれたのだろう。。

やはり、似ている状況が今この現代社会で巻き起こっているのかな?


民藝=民衆的工芸は近代化と表裏一体の存在だったと解説を見ました。進んでいく近代化、立ち込める戦争への影、大事な物や価値を見落とさないための原点回帰とも言える活動の様にも私は感じました。

そして今のこの世はというと。。某ウイルスによって私たちの生活は一旦リセットされ外出を余儀なく禁止され嫌でも自分と向き合う時間をとる事になった。大量生産・大量消費・便利な暮らしへの欲が産んでしまった膿を一掃するかのようにSDGsの活動も盛んになってきています。

3.11の辺りからも地方移住の言葉を本当に良く聞く様になりましたし、一点に集中するのではなく分散しよう、均等になろう、平等になろうとも言える動きもずっと続いていますよね(ワーケーションがそれに拍車をかけた気もします)


そして何よりも心を突き動かされたのが、彼らのその良いものたちを何とかして伝えようとしていたところかもしれません。彼らは民藝運動の三本柱として“美術館““出版““流通“を掲げていました。特に出版された本たちを見ているとノートや切れ端にメモをして、コラージュしたり、設計したり。。あの手作業にひとりガラスケースの前で悶絶しておりました。

そういうのを見るのが大好きなんですよね😅


もう一つの萌ポイントは身体を盛んに移動しながら良いものを発見し、人との繋がりを作っていっているという点。当時ちょうど鉄道が盛んになってきて旅行ブームが沸き起こっていたそうなのでこれも時代の産物というか、全てが“その“タイミングだったのだなあと思いました。


こうして書き出してみて気づいたけれど、今の時世からは逆行してるものばっか。。

手作業は残っているけれどパソコンの上で何かと出来てしまうし、外出もうっかり頻繁にできる訳でもない。


もしこの民藝運動の様なものが今の時代に起こっているとしたらそれのキーとなるのはやはりインターネットやSNSの力。。なのかな?でも誰か特定の人たち(柳さんたちの様な)だけが何かを見つけて発信するという時代ではなく、今は地方の農家さんや職人さんたちも自ら発信して自分達の良さを伝えているので形は少しずつ変わっていっているのではないかと思う。昔も発信していた人たちも勿論いたと思うけれど、遠くの人たちまで届けるのはある程度の時間を要したのではないだろうか🤔


そう考えると自分の“強み“や“売り“を自ら考え世に打ち出していく事ができるってなんか良いな、と思う。

誰かに認めてもらえるからすごいのではなくて、自分自身で自分の事をすごいと認める。

そういう時代のレールに乗っていると思うとなかなか捨てたもんじゃないなあと思いました。


私のこのよくわからない考察と萌話に付き合ってくださったそこのお優しいあなた、本当にどうもありがとうございます🥰

ありがとうございます!サポート頂いた分は今後の活動費に投資させて頂きたいと考えています。