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ゴーギャンと「プリミティヴィスム」


【ゴーギャン】 

  ポール•ゴーギャンは、ゴッホ、セザンヌと並び、後期印象派の一人です。パリで生まれ、ペルーで育ちました。画家になったのは、35歳の時です。印象主義から出発しましたが、後に放棄しています。ゴーギャンは、旅をしながら、絵を描いた典型的なボヘミアでした。ボヘミアとは、世間の常識にとらわれず、自由気ままに生きる人たちのことです。彼らは、ヨーロッパの文明社会と決別し、自由奔放な放浪生活をしていました。ボヘミアが現れたのは、19世紀後半のフランスです。特に一部の芸術家たちに多く見られました。 

 【プリミティヴィスム】

  ゴーギャンは、「野生と神秘の画家」と呼ばれています。人間の内面にある野生や神秘の世界を描いたからです。絵は、ゴーギャンにとって、内面的なものの表現でした。ゴーギャンが特に重視したものが原始性です。原始性を求める傾向をプリミティヴィスム「原始主義」と言います。ゴーギャンは、未開社会の原始の楽園を求めました。そこで見つけたのが、フランスの植民地だったタヒチです。ゴーギャンは、タヒチを人類最後の楽園と信じていました。タヒチで描いたのが「タヒチの女たち」などの作品です。しかし、タヒチでは、経済的には困窮し、自殺未遂までしました。彼の自伝的随想「ノアノア」は、タヒチ語で芳しい香りを意味します。 

 【綜合主義】

  ゴーギャンの絵は、独特の画風です。その絵は、当時のヨーロッパの伝統だった遠近法などを無視していたので、写実的ではありません。色と形は単純化され、平坦で装飾的な画風でした。色と形を単純化するのは、自然から抽象を取り出すためです。色と形のどちらかを優先せず、両者は等しい役割でした。ゴーギャンのこの様式は、「綜合主義」と呼ばれています。綜合主義は、瞬間の印象より、記憶の綜合を大切にする様式です。対象のイメージを象徴として捉えるため、象徴主義的でした。 

 【クロワゾニスム】 

  ゴーギャンは、西洋美術の伝統とは、決別しているので、遠近法や色のグラデーションなどは使用していません。そのため、絵は平面的で、立体感がありませんでした。その色は、現実にはない原色を用いています。また、対象の質感なども表現されていません。ゴーギャンは、対象を明確な輪郭線で囲む手法を用いていました。こうした技法をクロワゾニスム「区分主義」と言います。その代表作は「黄色いキリスト」です。クロワゾニスムには、日本の浮世絵版画の影響も指摘されています。

 【集大成】 

  ゴーギャンが、死を覚悟した時の作品があります。集大成的な傑作である「我々はどこから来たのか、我々は何か、我々はどこに行くのか」です。作品のタイトルは、3つの質問からなります。これは、ゴーギャンにとって遺書的な作品でした。絵の物語は、右から左へ進んでいきます。この絵は、彼の精神世界や死生観の表現です。3つの質問に対する答えは、絵には隠されています。



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