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動物の教訓

通りすがりの美人に見とれて餅を丸呑みしても、同行の者がいないものだから、いまひとつ笑いにも代えられぬ消化不良のまま、ドクトルは動物園に入場した。

てくてくと広い上野動物園を歩き回りながらドクトルは、いろいろな動物について感想を手帳に書き留めた。以下の、曾孫による転記は、一言一句そのままではないが、おおむね以下のような塩梅である。

象。たった一頭の象に対して、あれだけの設備はやや過大のようである。図体の大きなものを飼うということは飼育主として最も苦痛を感じることで、これにつけても、列国の海軍における巨艦主義のために、世界の人類がこの過重の負担にいかに苦しみつつあるかを切実に感じる。

猿。子猿が母猿にしがみついて大変可愛らしい。母猿のすることは、藁を咥えて手でしごくようなつまらぬことまで、いちいち真似をしている。猿はもとより、模倣者として有名な動物であるが、頭の毛が三本多いだけの人間も、猿を悪く言われぬ模倣的動物である。人の師として、人の親として、無邪気なる児童に対して重大なる教育責任を有することは、この猿によって大いに学ぶべき必要がある。無責任極まる吾輩のごときは、最も反省すべき者である。

猪。春光うららかなる真昼間を、鼻柱飛びそうな臭気の檻の中、藁を枕に横着らしくフテ寝の夢を貪っている。

ライオン先生。硝子張りの上等家屋の中に、暖かそうなスチームを通して、吾々貧民の到底及びもつかぬ贅沢暮らしを行っている。だが、外の景色を見るでもなく、また見ぬでもないように、目を細めたまま黙々として、己の生存を疑わぬ態度は、ときの大政治家、犬飼木堂氏(のちの犬養毅総理大臣)にどことなく似ているように見える。

ハンザキ(オオサンショウウオ)。魚のぞき、と書かれた煉瓦造りの水産室に入ると、天然記念物たるハンザキ、十数年前に同じところを訪れたときと少しも変わらず、動かざる事死せるが如き。


…と、やや過剰な物思いにふけりながら、気ままに歩き、そして少し疲れたドクトルは、池のほとりのベンチに腰かけ、種類の異なる様々な水中生物が雑居する池の様子を眺めた。時代は第一次世界大戦の頃、ドクトルの生活はまだ戦争によって脅かされてはいなかったが、とはいえ無論、看過できるものではなかった。目の前の、昼の陽光の中にあって、生き物たちは、異種族混合の複雑なる共同生活においても、大きな闘争も行われず、鳴きたい者は鳴き、楽しみたい者は楽しみ平安無事だ。その様子を眺め、つくづく人間社会における戦争とは馬鹿馬鹿しいものだと、ドクトルは世を憂いて溜め息をついた。


が、池のほとりに腰かけるのも、ものの数分、基本的にドクトルは気が短いのである。さて。と立ちあがり、またドクトルは目につくものに寄って行きつつ離れつつ、園内をてくてくと歩いた。


厳寒の季節を我が物としてホッキョクグマが元気よく闊歩していた。そこから少し坂をのぼると、木柵で囲まれた牧場風の場所があって、四、五頭の山羊にまじって、一頭のヤクがいた。チベットから輸入されてきた珍獣であった。ヤクは不愛想に、重たげな身体に密生する灰色の長毛を引きずりながら、地響きのする底力のある声で鳴きながら、木柵の中をおもむろに行ったり来たりしていた。

少し行くと博物館があり、麒麟、カバ、バク、ペンギンなど、様々な動物の剥製が陳列されていた。「寒帯でも温帯でもない中途半端な気候のニッポンへ連れられてきて、かわいそうに、生きながらえることができなかったのだろう。外皮だけになってその名残をとどめている。」と、果たして真実がそういうことなのか、ともかく、ドクトルはそのような解釈をした。

また表に出て、ドクトルは枝垂桜の木立を、枯葉をザクリザクリと踏みしめながら歩いた。

すると、「カカッカカー」、「ココッココー」と、間近より騒がしく鶏の鳴く声が聞こえた。好奇心赴くままに声のするほうへ歩み寄っていくと、家禽品評会なるものが開催されていた。黒色ミノルカ、白色レグホン、横斑プリマスロックという三種が主に陳列されており、金糸で刺繍を凝らされた優勝旗が、羽毛純白、威風堂々たる白色レグホンの金網籠に括りつけられていた。

品評会はなかなか勢いあり面白きものであったが、娯楽主義のドクトルは、食うためまたは卵を産ませるための鶏には、感心する以上の魅力は感じなかった。が、会場の出口に近いところに、可憐な小さなチャボがいて、それにはやけに惹きつけられた。旅行中の身も忘れ、ほしくてたまらなくなり、そこにいた番人に

「このチャボは幾らですか」

と恐る恐る伺うと、番人は

「これなら一つがい四十五円という値がついていますが、出品人に掛け合ってみたらいかがですか。もっと安く売るでしょう」

と答えた。いまでいう二十万円ぐらいの価格である。

例によって、そんな持ち合わせがないドクトルは、「ははぁ、成る程。」と相槌を打ったところで黙り込み、またしらばっくれてその場をあとにした。

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