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「男性畜生論」

本記事に、とんでもないタイトルをつける羽目になったが、このとおりにドクトルの原文に書かれていたのでご容赦いただきたい。ちなみにこれまでのところ、記事のタイトルは原文を転用したもの、曾孫が好みで付けたもの、まちまちである。今回は、このタイトルをひらめいたドクトルは恐らくかなり得意な気持ちになったのではと想像し、なんて暴力的なタイトルだと思いながら鍵カッコ付きで使わせていただいた。

株式取引所の喧騒をあとにしたドクトルは、趣を変えて上野の動物園に向かった。戦場のごとく必死に売買を行う証券業の人たちを観察し、「モルモットの群れ」と心の中でとはいえ好き勝手に失礼なことを考えているうちに、本当の動物が見たくなったのだということである。

再び電車に乗って、上野の車坂で降りるとドクトルは何だか急に、餅菓子が食べたくなった。菓子屋の店先に寄って、鹿の子餅を買い、一口ずつ口の中へ捻じ込んではモグモグと咀嚼しながら上野の坂をのぼった。

と、西郷隆盛像の前へ差し掛かると、そこは見物客が割合沢山いて、そこにはドクトルの目をひく美人が二、三人いた。思わず美人に見とれたドクトルは、折悪しく口へ入れたばかりの鹿の子餅を、噛まずにゴクンと飲み込んでしまい、目を白黒させた。

このあと、「いかに男性は美人に弱いか」ということが脈々と綴られている。例えば、こんな具合である。

「世界の大局を変動せしむるような大偉人にしても、美人という強敵の前には、すべての権謀術策もその術を失い、ほとんど軟体動物になってしまうことは、古今の歴史が既に之を証明している。」

で、シーザーのクレオパトラにおける、ナポレオンのジョセフィーヌにおける、秀吉の淀君における、、と続く。オーバーなドクトルである。

その後の文がひどい。

「これにつけても、およそ此の世に女と生まれて、美人の列に加入できない女程、災難の者は有るまい。」

が、実はドクトルの言い分はこうだ。

「とはいえ天の成せる麗質のみが美人では無い、玉磨かざれば光り無く、医師も磨けば緒じめと成る。」

「されば世の女よ、鏡に向って、曲線美を欠く自己の多角形式願望に、センチメンタルの涙を流すのを止めよ。加工せよ、修飾せよ、白粉に、クリームに、ヘヤロールに。そして天晴れでかした人工的美人となって、世の男子を軟化せよ、悩殺せよ。嗚呼強き者よ、汝の名は美人也。とでも申し上げておきますかね。」

ただ買い食いしながら歩いていたら餅を丸呑みした、というだけのことから随分な飛躍である。

が、人工的でもいいのだから見た目に気を遣えという教えはそれなりに一理あり、百年の時空を超えて、ドクトルが先ほど食した鰻の山椒のように曾孫にはビリビリとこたえる。

曾孫の感想はこの程度とする。

動物園に来た事に「畜生」をかけて、独自の男性論を揚々と説明した原文の項は、以下の文で締めくくられる。今回、ドクトルの所業をかいつまんで書きとるにしても名(迷)文のオンパレードだったので、大半を引用で終わる羽目になった。

「今吾輩は、大偉人の銅像を仰ぎ見ながらも、男性共通の心得を敢えてして、見も知らぬ美人に向って、鹿の子の丸呑みなどという、異常の努力をもって、その歓心を買わんとしたが、心無き美人連は、吾輩には目もくれず、その母らしい人、その兄さんらしい人、その意中の人らしい奴、と世にも睦まじげに笑い興じながら、蓮歩徐々として、秋色桜のほうへ行ってしまった。後見送った吾輩も、別段失恋する程の事でもなかったから、またぞろ餅をパク付きながら、いつの間にか動物園の前へ来てしまった。」

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