チェンソーマン考察まとめ v1.1(完)
はじめに
チェンソーマンの考察の大前提として、俺は「チェンソーマンは作者の人生を作品に昇華した大傑作である。」という読み方をしている。だから、「作品そのものだけで考察する」のではなく、「作者の人生や、現実世界にあったことをふまえてなぜこの作品が生まれたのか」という考え方をする。そのことはあしからず。
チェンソーマン1巻
デンジとポチタ
デンジは間違いなく「作者である藤本タツキ自身」を投影していると思う。自分には何もない、もう人生は終わってると諦めそうになったデンジが出会ったポチタ。
デンジはポチタに自分の「血」を差し出し、契約を結ぶ。ポチタとは作者にとってなんだろうか?「漫画」だったのではないかと思う。ポチタはデンジにとって、心臓であり、生きる理由である。デンジが唯一手に入れた、世の中の理不尽と戦うための力。それがポチタだ。作者にとっての「漫画」ではないかと思う。
マキマ
マキマはおそらく編集長のような上の偉い人と、憧れの女のミックスがモデルだ。デンジはまだ何も知らない幼子のようなものなので、恋とか愛とかいったものをもたない。マキマに対して持っている感情は、「自分になかったものを与えてくれる」という憧れでしかない。恋や愛、理解からはとても遠い存在だ。
デンジはマキマとのセックスを夢見るが、それはマキマが好きだからセックスがしたいのではなく、「ツラのいい女」であるマキマとのセックスに「憧れて」いるだけだ。そこに恋や愛と呼べるような感情はない。
相棒 早川アキ
早川アキは、ジャンプ+という当時は実験的な新規部隊に配属され、作者の担当となった「林士平」(ファイアパンチ担当、チェンソーマン現担当)ではないかと思う。ファイアパンチは1話から近親相姦を匂わせ、カニバリズムにも踏み込むという実験的な作品だった。
ファイアパンチは話題にもなり、多分そこそこ売れたが、もし大炎上したり、結果が出せなかった場合、打ち切られ、作者は野に放逐されていただろう。二人一組で戦うデビルハンターとは、「担当編集と漫画家」がモデルだ。
漫画家の常識のなさに、編集(たいていは一流の大学卒)がイラつくのもよくある話だ。
血の魔人パワー
パワーはあまり描写されないが、血の力を使うために手首を毎回切っていて、手首のあたりが完全にリスカメンヘラ女のそれだ。
そしてパワーは都合が悪くなるとすぐその場しのぎの嘘を付く。
動物を飼うような余裕はないはずなのに、寂しさから猫を飼っている。そして、自分の目的のためには、自分の体を性的に代価として差し出す。
パワーのモデルは、これは完全に俺の直感で推測なんだが、多分、作者が東京に出てきて童貞を捨てた相手か惚れ込んで口説いたのか。まあそれなりに深い思い入れのある、ツラがよくて頭の悪い風俗嬢がモデルだ。
血の悪魔について
悪魔は恐れられている度合いで強さが増すという設定は語られているが、暗黙の了解として当然にもととなった概念に引っ張られている。血の魔人はどうか?血とはどのように恐れられていたものか?
血といえば、「穢れ」そのものであり、高貴な場では血を流すことは場を汚す行為である。それは女の経血の概念でもある。血とは売血問題のように、売買されるものだ。パワーというキャラにあまりにもふさわしい。
「恐れられる」のではなく「穢れとして忌み嫌われる」ものである血の悪魔は、力も弱く、悪魔の中でもバカにされて利用される存在で、だからこそパワーはウソをつく癖が身についてしまった。
チェンソーマン2巻
コウモリとヒルの悪魔
これらは「血を食料にする生き物」であり、「パワーを食い物にする生き物」であり、「風俗嬢を搾取するヤクザとマダム」がモデルだろう。コウモリだから卑怯だし超音波を使うのはわかるが、ムキムキなのはこれらのイメージがないと、コウモリと直接紐づくものではない。
胸を揉む、という童貞喪失
これは多分作者の童貞喪失時の感想ではないかと思う。ただの直感。
公安のデビルハンターは1年ともたない
これは公安(ジャンプ編集部)という最前線で戦うデビルハンター(漫画家)は1年と持たず、死ぬ(筆を折る)か民間に行く(同人誌等)という暗喩だろう。ジャンププラスやジャンプ本誌の連載陣をみればわかるように、モノになるのはほぼいなくて、ほとんどは一年以内に消えていく。
諦めて濁ってしまった姫野先輩
姫野先輩の目は黒く濁っている。夢を諦め、ただ依存して戦う姫野先輩は戦場にふさわしくない。昔はきっと姫野先輩にも何か夢があったはずだが、瞳から光が消えている。
チェンソーマンにおいて、キャラの瞳はきちんとデザインされており、特別なキャラは特別な瞳を持っている。たとえば、「デンジとアキは同じ瞳」をしている。これは「同じ目標を見ている相棒」であることを示している。
姫野先輩の瞳も、輝いたときだけ昔の瞳が薄く見える。それは、デンジやアキと同じ瞳だ。姫野先輩も昔は夢を追い求める編集者だったことがわかる。そして、恐らく寿退社した。
ちなみにコベニちゃんは、「夢ではなくて命令されてデビルハンターになった、本当は大学に通ったりしたかった一般人」という、本来はそこにいないはずの、モデルのいない架空のキャラだ。だからコベニちゃんの瞳は「デンジやアキの白黒が反転した瞳」になっている。
なお、同じく特殊な瞳をもつキャラであるパワーは、アキやデンジの瞳に「十字」が入った瞳をしている。
これは、デンジの生贄となる印としての十字だったのかもしれない。
チェンソーマン3巻
永遠の悪魔
永遠の悪魔はアキやデンジと同じ夢追い人の瞳をしている(色んな瞳をしているが、心臓は本体だろう)。人間に使われたとかではなく、正面から悪魔としてチェンソーの心臓を取りに来た永遠の悪魔は、最強になるという夢をもった悪魔だったのかもしれない。永遠の否定という自己否定によって滅んだが、三日三晩戦い続けたのは相当根気もあったと思う。昔のチェンソーマンを知っていて、チェンソーマンに挑むのだから、夢追い人にしかできない。
マキマの瞳
マキマの瞳は特徴のある3重瞳となっている。これは、公安に囚われた「未来の悪魔」と同じ瞳だ。マキマは支配の悪魔であり、「自分より格下と認めた相手を支配できる」。当然、公安に囚われた未来の悪魔というのは、実質的に公安を支配しているマキマよりも格下の存在だろう。マキマは常時未来の悪魔の力を使って未来を見ているのではないか?
だから、京都で会食が予定されていても、それが銃を持った人間の襲撃によって中止になるとわかっていて、駅弁を食ったのだろう。
チュッパチャップスがなければデンジは童貞を喪失していた。デンジは聖なる神の子であるため、おそらく純潔なままでなくてはならなかった。マキマはデンジの童貞喪失を止めるために、未来を読んでチュッパチャップスを仕込んだのではないか。
幽霊の悪魔
俺は幽霊の悪魔のデザインはかなり極まっていると思う。まず縫われて開かない目と口は、幽霊が物言わず、こちらも目視しない存在であることを示している。手入れされてない髪や、中年女性の顔は、まだこの世に未練がある死者を連想させる。そして手だ。たしかに幽霊は皆手によって生者に攻撃する。幽霊は生者の腕や肩を掴んで引きずり込む。それらがデザインに落とし込まれていて素晴らしいと思う。
チェンソーマン4巻
デンジの成長
マキマが死んでも対して落ち込まないというデンジは、まだ人の心(自我)が完全には芽生えていない。失くしたのではなく、元からなかっただけであることは、このあとデンジが泣ける心を手に入れたことからわかる。
未来の悪魔
未来が見えるといっても無限に見えるわけではなく、ある程度の縛り(腹に顔を突っ込んだとか)を満たした相手の未来しか見えないらしい。
未来の悪魔の瞳は、腹の瞳も本体の瞳も、デンジ達と同じ2重だ。しかし
アキに死に方を告げるときだけ、マキマと同じ三重の瞳になる。これは恐らく、このときはマキマが乗り移って語りかけてたのではないかと思う。
サメの魔人
バカっぽいのは、サメ映画が基本的にはバカ映画の代名詞になってるからだろう。
暴力の魔人
とても理性的。暴力とは理性をもって振るうものだからね。マスクをかぶってるのは毒のせいではなく、荒井の死体を使ってるからだと思う。
蜘蛛の悪魔
ほとんど会話らしい会話をしてないからわからないが、女郎蜘蛛などに代表される「女」のイメージと、蜘蛛の怖さが糸とか巣ではなく(これらを恐れるのは捕食される昆虫である)、八本足という気持ち悪さというのはさすがだなと思う。
天使の悪魔
天使は本来神の眷属で聖なるもののはずなんだが、同時にソドムとゴモラを焼いたりと天罰の執行者でもある。そういうどっちつかずな気まぐれな感じで、最後は気に入った人間の味方をしてしまうというイメージだろう。
チェンソーマン5巻
サムライソード
恐らくこのヤクザJrは、「Web漫画上がりの「藤本タツキ」なんかは、ジャンプでは成功できない、所詮ファイアパンチの一発屋、グロいチェンソーマンなんて本誌で当たるわけがない」といったようなことを言っていた奴らの概念だ。金玉蹴り大会は、そんなやつらを見返せる実績をあげて、祝杯をあげた日のことだろう。
また、話がそれるが、道具の悪魔には意志がないようだ。刀の悪魔、爆弾の悪魔、剣の悪魔、弓の悪魔、ムチの悪魔、槍の悪魔、火炎放射器?の悪魔といった道具の悪魔はすべて意志が無く、人間に武器として使われている。銃の悪魔もそうだ。
蛇の悪魔
蛇は大魔王サタンのモデルでもあり、不老不死の象徴でもあり、生物の根源的恐怖の対象とされるから、これくらい強かったのはわかる。ただ、恐らくマキマ(支配の悪魔)は悪魔王ルシファーなので、その劣化版ということで手下か、利用されただけだったのだろう。
レゼ
レゼに対してデンジが持った感情は「恋」だ。好いた惚れたでやりとりをする、青春のようなものだ。相手に好かれていることが嬉しい。一緒にいると楽しい。そんな相手を好きになる。
レゼの瞳は天使の悪魔と同じ瞳である。人生にさして目標もなく、楽しければよく、その場の気分で決められる者の瞳ということだろうか。
チェンソーマン6巻
台風の悪魔
赤ちゃんのイメージなのは、生まれたて(発生直後)に暴れるからだろう。
運命の女 レゼ
多分デンジにとって、レゼは運命の女だった。相性がいいのは、お互い生まれてからの過酷過ぎる境遇で通じるものもあったのかもしれないが。実際、デンジは今の生活をすべて捨てて一緒に逃げる決意をした。だからレゼも戻ってきた。
チェンソーマン7巻
サンタクロース(師匠)
3人めの濁った目。こいつは余命半年くらいらしいので、「人生どうでもいい」か「自分の命を大事にしてない」あたりの瞳なのかな。
クァンシと女達
クァンシは姫野先輩よりも黒く濁ってる感じの瞳。それ以外の女達は全員独特な瞳をしている。キャラデザってやつだろうか。
吉田とタコの悪魔
吉田は所詮民間の雇われなので、目が濁ってる。タコの悪魔が強いのは、タコは昔「デビルフィッシュ(悪魔の魚)」として、人を食うと恐れられていたから。コレも今や廃れたんじゃないかとは思うが、タコを喜んで食べ、エロ春画にまで登場させる日本人たる俺らにはわからない。
チェンソーマン8巻
サンタクロースの子供達
夢のある瞳でわろた・・・
地獄(の悪魔)
悪魔や鬼が現実に顕現しているし、「地獄」そのものにはあまり恐怖がないため、「地獄」との行き来を管理するような悪魔となっている。とても大きな手なのは、「地獄に落とされる」といったような、何か大きな概念によって連れ去られるイメージからだろうか。
反面、地獄自体は悪魔や鬼が恐怖の象徴として具体化しているため、何もない草原となっている。天井にある扉は「地獄への扉」の全人類(+悪魔)の分だろうか。
闇の悪魔
オシャ&オシャな根源的恐怖の悪魔。宇宙飛行士が供物になってるのは、人類で最も闇(宇宙空間)と向かい合う人数だからだろうか。
闇の悪魔はいきなりオシャアタックで全員の手を奪うわけだが、これは闇の悪魔の唯一の弱点が手による攻撃だからじゃないだろうか。ほら、闇に抗う唯一の方法は「手探り」だから。
マキマの指差し攻撃は実際にダメージを与えているし。
ところで蜘蛛の悪魔のまんこよくセーフだったね?線だから?
人形の悪魔
これ多分作品に対するインターネットの悪意かな。伝染して闇の力で進化し続けるとか。それも宇宙の真理からすれば塵芥のようなもの、というのが作者の克服の仕方だろうか。
ハロウィン
ハロウィン。
人形の悪魔がそうであったように、あまり恐怖されてなくて攻撃力は高くないのに、概念からくる能力が即死級だったり無限増殖だったりする系統。なのでマキマという格上にはワンパンされた。
チェンソーマン9巻
ついに自我を持ったデンジ
憧れの人マキマとの二人っきり旅行なんていう夢よりも、家族であるパワーの面倒を優先したデンジは、「家族」というものも手に入れたし、自分で優先度を決めてマキマの誘いを断る「自我」も手に入れた。皿洗いだってできる。
ところで、作中がソ連が存在するような別世界だというのはわかっているが、風呂釜とテレビの年代古すぎない?
と思ったら1997年でした。そっか・・・
支配の悪魔
なぜ支配の悪魔が完全に人間にそっくりだったのかというと、「支配」という行動は人間しか行わないからだろう。同じように暴力の悪魔もほぼ人間の形をしていた。
なぜ支配の悪魔が日本に誕生し日本語を話すのか?まあ作者の生まれた国だと言えばそれまでなんだが、たしかに最もよく支配されている国が日本だろうとは思う。支配が最強となるのも日本という国だろう。逆にアメリカだと、銃の悪魔や自由の悪魔が強そうだ。
早川アキ
悪魔的発想としか言いようがない。ヒーローチェンソーマンとして、もう手遅れだとわかって、止めてやらないといけないと確信して、それでもやりたくないことをやらされる。デンジの心を折るための筋書き。
チェンソーマン10巻
ここからオシャ漫画度が急加速する
10巻の考察は前やったこちらと被るぶんは省く
ブラックバーガー
全員目が濁ってやがる・・・
四騎士
火炎放射器、剣、槍、ムチの悪魔。ムチは違和感あるかもしれないけど、それは現代人の感覚で、古代鞭打ちの刑というのは半分死刑に近かった。本物のムチで本気で10発も殴られると人は死ぬ。
これらの悪魔がチェンソーマンに食われても消えなかったのは、消えたエイズやナチスよりも根源的な恐怖だったからだろう。
最強の悪魔は間違いなく死の悪魔か人間の悪魔であろう。闇の悪魔よりも更に上。チェンソーマン2で出てくるのかな?
チェンソーマン11巻
マキマとチェンソーマン
マキマは何故チェンソーマンのファンなのか?まずマキマの目的は「自分と対等な相手を得ること」だが、相手を屈服させて”支配すること”でしかコミュニケーションをとれないマキマにとっては、まず自分より弱い雑魚共は眼中から消える。次に自分より強いかもしれない根源の悪魔達だが、一度も死んだことがない根源の悪魔たちは、自分たちのフィールド(地獄の最奥)に引きこもって、死ぬこと(チェンソーマンと遭遇すること)を避けている。
チェンソーマンに消された悪魔は、恐らく根源の悪魔だ。「比尾山大噴火」「アーノロン症候群」「租唖」「人なら誰もが持っていた第六感」「子供の精神を壊すとある星の光」「死の他にあった4つの結末」。どれも根源の匂いがする。
つまり、チェンソーマンが食う(消去する)条件は、根源の悪魔(根源的恐怖)として認められることだ。マキマが食われないこともこれで説明がつく。支配とは、「恐怖すると同時に人が欲するもの」だから、マキマは他を従えて最強の悪魔になることはできても、根源的な恐怖になることは出来ない。
チェンソーマンに消されることを恐れる程度の根源の悪魔なんかではなく、最強のチェンソーマンにこそ、自分の全力をぶつけることができる、負けて「支配される(消される)」ことで、「支配する側の」呪縛から解き放たれることを願ったのだろう。
パワーとの契約
これがチェンソーマン2最初の、デンジの目的だろう
チェンソーマン
ショッカーの改造人間が仮面ライダーになったように、人間デンジの「みんなのヒーローになりたい」という目的によって「チェンソーマン」が生まれた瞬間。
最後の質問
この答えが違ったら、一緒に観たクソ映画も思い出だねと言ってくれてたら、自分を投げ出していたのだろう。
舐めプダンス
一方的に支配するだけで人の気持ちなんてものはミリもわからないマキマは、舐めプで徹底的に相手の心を折り屈服させることくらいしか思いつかない。説得したり感情をぶつけたりといったことができない。
チェンソー飯
マキマが「自分が勝ってチェンソーマンを支配する事に賭けて、食べられて消されても本望だ」というのと対比するかのように、デンジは「自分のことを少しでも気にかけてくれていたら好きな女の為に自分は死んでもいい、でも全く気にかけてないなら倒した上で一つになって強制的に自分のものにしたい」と考えた。エモすぎ
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