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第三十八話 退学から引っ越し

私は高校一年生の冬に学校を辞めた。自分の意志ではなかったが後悔はなかった。学校を辞めたのを機に私は一人暮らしをしてみたいと感じていた。しかし祖母は心配だったのか首を縦には振らなかった。16歳では部屋を借りることは難しかったが、契約に必要な金、その後の家賃、生活費、等は大丈夫だろうと考えていた。私は最終手段で、父親の弟(私の叔父)の家に出向き頭を下げて、「金銭面での迷惑は絶対にかけないので契約をしてほしい」と頼み込んだ。叔父も私の境遇を知っていたため、かわいそうという思いもあったのだろうが何とか良い返事を貰うことが出来た。

私が住んでいた市は県内で一番栄えている市で、友達もたくさんいたのだが、なんとなく違う場所に住んでみたいという漠然とした理由で、私が通っていた高校がある市に部屋を借りることにした。駅から徒歩5分、トイレ、風呂も別になっていて駐車場も付いている1Kの小綺麗なアパートだった。

学校に通っていた頃から駅ビルなどをフラついたり、目立ったヤンキー、チーマー、反社(当時は反社という言葉自体なかった)の人たちとも、仲がいいか悪いかは別として面識はあったので、その面でも住みやすいかなという思いもあったのだ。友達たちも「たまり場が出来ていいな」「薬やり放題じゃん」「女とヤルとき部屋貸してよ」等と好き勝手なことを言っていたが、私もこれからは経済的にも自立しなければならないため『遊びまわってばかりもいられないな』と感じていた。とにかく毎月計算できる収入源を確保する必要があった。

引っ越しはすぐに終わった。祖母の家からは洋服だけを持っていき、その他の家具類は近くのホームセンターで全て揃えてしまったからだ。電気・ガス・水道も開栓し、いよいよこれから憧れていた一人暮らしがスタートするのだと思うとワクワクした気持ちが大きくなっていった。

予想していた通り暇な奴が急にやって来たり、やまちゃんシマザキ先輩もほとんど毎日のように遊びに来ていた。ケンジとは会う回数は減って行ってしまったが、相変わらずダンパ等には顔を出し朝まで遊びまわったりもした。イノウエ君は薬物はやらないが波長が合うのかよくビールを持って遊びに来てくれていた。

ある日深夜まで、やまちゃんシマザキ先輩と車でナンパしながら遊びまわっていると、大きな工事現場があった。「防水工事入ってそうだからイイヤツがあるかもよ」「ちょっと行ってみようぜ!」といった感じで工事現場に忍び込むと、屋上の隅のほうにブルーシートで覆われた純度の高いトルエンが山積みになっていたのだ。シンナーとは色々な種類がありトルエンの含有量で善し悪しが決まっているのだ。私たちはそれを一つ残らず車に積み込んで私のアパートまで運んだ。プライマーやシーラーやラッカー等は人気がなく、その辺の現場でも手に入ったのだが、ここまでいいものを手に入れたことに少し興奮してその日はシンナーパーティーだった。

「これ捌ければ結構な額になるんじゃねー」「それはかなりリスク高いだろ」「ヤクザが出てきた時どうなっちゃうかだよな」等とこれからの事についてラリりながら話し合った。シンナー含め薬物は、ほとんどがヤクザのシノギであったため、それを荒らすようなことをすると大変な目にあう事は私達もよく解っていた。だが大金に化ける物が目の前にあり私たちは判断に迷っていた。

私たちは自分たちに知り合いの信用できる人にだけ、シンナーを売ろうということになった。しかし、そもそもシンナー中毒の人間が信用できるはずもなく、次第に大変な事態になっていってしまうのである。

今回はたいが退学後のエピソードを書いてみました。次回もこの続きを書いていきたいと思います。

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次回に続く

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