【HILLOCK✖︎ミロアートラボ】220421はじめまして。あなたのことを知りたいです。
HILLOCKでアートの時間を担当してくださっているミロアートラボのミロさんよりレポートが届きました。
220421レポート。
はじめてのHillock。
はじめてのであい。
わいわいと部屋に入ってくる小さなひとたち。床に広げられたマテリアルを目にするや否や
「もう作っていい?」
「もう初めていい?」
と聞いてくる。
何も伝えていないが、状況と環境から、この時間が、何かものをつくる時間だと読み取っている。
「どれ使ってもいいの?」
「僕これ使いたい」
手を伸ばす。
「いっかい座ろうか」
みのさんに促されて、みんな輪になって座った。
ミロの名前と簡単な自己紹介(と言ってもすでにアートの人でしょ!クリエィティヴィティーって大事なんだよという声があちこちから飛んでくる)の後、
「ひとつ気になるなぁって心がうごいた素材を手にとって、それを選んだのはどういうところからか伝えてもらえる?」とお願いする。
名前と顔を覚えたい。あなたの心がどんなことに動いてとまるのかを知りたい。
それぞれに手にとる。手のひらに乗せる。指先で触れる。動かしてみている人もいる。
しばらくまなざす。
「それを選んだのはどういうところから?」
(素材のどういうところから、とも、あなたのどういう思いからとも取れる曖昧な問いをあえて投げる。マテリアルの鑑賞からの対話。)
オープンな質問を受けとって、言葉を紡ぎ放つそうぞうびと。
◎その理由を素材そのものの特徴に求めるひと。
・色が綺麗だったから。
・透明でキラキラしてて綺麗だったから。
・ふわふわしてて気持ちいいからなど)
◎その理由を機能から読み取るひと。
・ここが動くのが面白い。
・こうすると動くから、なんか面白いものが作れそう(見通しまで立てている)。
◎理由をわたしの内側から湧き上がらせているひと
◎素材を入り口に<私>の物語が立ち上がっているひと
・(松ぼっくりを掌に乗せ、それをじっと見つめながら)私は森が好き。砧公園の森に落ちている松ぼっくりみたい。小さい生き物とかもいそう。(にっこりして目を閉じている。おそらく心は森に馳せられてここにいない。)
・これはカットしたら車のタイヤになる。車好きだから。4つ切ったら未来のスゲー格好いい車のタイヤになる。(そう言って、まだカットしていない段ボールの破片を空に走らせる。)
◎形状からの見立てを行なっているひと
・これ電車。新幹線。(木片の形を新幹線に見立てている。)
・これ変なひとの顔の形。変なひとマン。変なひとマン(すでに物語も立ち上がって歌い出している。)
どの子も饒舌に語る。
その後、自分が選んだひとつの素材からはじめて、それぞれがそれぞれのアートワーク。ぐるぐるとひとりひとりを見届けながら、その人の想像と創造が折られることなく育つ言葉を添えていく。
「お、ここを青に塗ったんだね」
「そうだよーーー!新幹線はここが青いんだよ!」
「そうなんだね、この新幹線はどこを走るの?」
「品川から・・・大阪とかだよ!線路を走るの!」
「へーどんな線路なんだろう?つくってもらえたら嬉しいなぁ」
「ふわふわの世界だねぇ。うきうきした気持ちになるなぁ」
「これ、いいでしょ。ふわふわなの見つけたんだよ。あそこにあったの」
「へー。これを選んだのはどういうところからなの?」
「レースのお洋服でしょ?これ?私、こういうお洋服好きなんだよね」
「こういうお洋服って?」
「え?なんか、ひらひらしてるやつ。ドレスみたいな感じっていうか」
「へー、ドレスみたいなのが好きなの?どういうところで着るの?」
「え?パーティーとかでしょ?」
「パーティー!?パーティーにいくの?」
「あーまぁ、誕生日とかね、パーティー行くよ。あーでもそういう時には着て行かないかな」
・・・・とお話を始めると会話は止まりません。
それぞれによく手も口も動く。
自分が表現していることについて、放ちたくて仕方がない様子。
わいわいと手を動かし、予定の時間をオーバーしての後半の時間。それぞれのアートワークを鑑賞しての対話の時間。
「全員の作品を鑑賞する時間がないなぁ。見せてもいいよっていうひといるかな?」声をかけるとかなりの人数が手をあげる。
非常に積極的。全員の作品を鑑賞する時間が取れないことがすでに悔やまれる。
次回以降、工夫したい点として残る。
ミロアートラボでは、作品をつくることと同じくらい見ることを大切にしています。
多くのひとは作品を作るよりも鑑賞するひとになる時間の方が圧倒的に多いからです。
鑑賞するまなざしを携えていると、「絵がわからない」「絵の見方がわからない」「アートがわからない」から脱出して「アートや美術を味わい、楽しめるひと」になることができます。
普段の対話型アート鑑賞は、アーティスト本人が作品について解説することはあまりしません。
鑑賞者は、作家からも作品からも自由になって、作品をみて感じたことを放ち合い、相互にそれらを尊重する態度を育んでもらいたいと思っています。
自由の相互承認の感度をアート鑑賞を通じて育みます。
やんややんやと、お友達の作品をみて意見が放たれる。作家の意図とは違う視座からの感想もたくさん出てくる。作品が作家からも自由であること、意見にいい意見悪い意見はなく、作品の味方も感じ方もそれぞれに自由であること、そしてその感じ方は相互に尊重されるものであることを、体感として受け取り合う。
鑑賞を進めていくと、深い洞察につながるような意見も出る。
スケッチブックいっぱいに青を配し、さまざまな色で虹(らしきもの)を描いた一枚では、色やモチーフへの気づきから発展し、サイエンスとつなぐ視点、宇宙とは何かという哲学的な視点、架空の生き物を見い出しての物語を紡ぐ国語的な視点などが生まれた。
小さいひとたちの対話は哲学的になることが多い。
アートは、表現の手法のひとつ。自分の思いの伝達手段として言葉を媒体(メディウム)にするよりも、絵画などを使う方が得意なひともいる。
言葉少なだったKちゃんが、最後の対話型鑑賞の際には、「他に見せたいひといるかな?」との問いに、自分のスケッチブックをグッと差し出してきた。
「いいの?見せていいの?」と聞くとこくりと頷く。
「この絵の中では何が起きていると思う?」
皆に呼びかける。
一枚の絵をメディウムにして、鑑賞者の中にさまざまなものやことが立ち上がることがわかる。
その友の放ちを、静かに聞いているKちゃん。
口数少ないそのひとの描く世界はとてもとても饒舌だし、多くを読み取らせ想像を湧き上がらせる。
この時間の中でどんな力が育っていたのか。
語彙が増えると感性は拡張していく。
思いに賦活されて動く手がつくりだす世界を、これから1年間共に味わっていけることを嬉しく思う初日でした。
ミロアートラボ ミロ
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