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【ヤニクラ日記】2024年8月28日

深夜十二時半。家庭内に漂う不和感に何となく辟易とした私は、煙草とスマートフォンだけポケットに入れ、ふらっと外に出た。台風が近付いている為か、まだ真夏の夜更けにしては、夜風が少し強く、ひんやりとして心地良かった。耳には大学時代に親父がくれたTechnicsのワイヤレスイヤホンを装着し、家の前の坂を下って、取り敢えず国道178号沿いへ出た。黒い海からは、テトラポッドに当たっては弾けるだぱぁんという波音が聞こえる。空が曇って月が出ていない為、海面は反射する光を求めて、物憂げな様子だ。

時間潰しに暫く歩くとして、海に向かって見て、右へ行くか左へ行くか。悩んだ私は普段じっくり歩く機会の余り無い、右側へ行く事にした。スマートフォンの画面を開いて、どの曲を聴くか思案する。夜は底抜けに明るい曲よりは陰鬱な雰囲気の漂う曲に限る。サカナクションのkikUUikiというアルバムを聴く事にした。このアルバムにはアルクアラウンドという曲が収録されている。この曲の何が良いかといえば、歌詞が自分に重なり、自己陶酔する事が出来る事である。

嘆いて嘆いて 僕らは今 うねりの中を歩き回る 疲れを忘れて この地でこの地で 終わらせる意味を探し求め また歩き始める

終わらせる意味を探し求め僕は歩いている。僕は生きる事に対して、多少なりとも前向きにはなっているが、死ぬ事に関してはその三倍は前のめりである。今じゃない、今じゃない。その繰り返しで、その日その日を辛うじて生き延びている。友人達との交流や趣味に興ずる事は、僕が僕に行う延命措置であると思っている。

砂浜沿いの歩道は街灯が無く、私の鈍臭さを以てすれば、五回は足元をとられてつまづく事が予想されるので、反対側の白色街灯に照らされて明るい歩道をテクテクと歩いた。やがて、芦屋坂と塩谷トンネルとの分かれ道に立ったが、熊に怯えた私は塩谷トンネルへ歩を進めた。ツキノワグマにむしゃむしゃ喰われるのも、自然へ帰るという一つの選択肢だと考えたが、私は痛いのは大嫌いだった事を思い出した。中学時代所属していた相撲部でも、痛いのが嫌であらゆる手を尽くしては練習をサボっていた。練習をサボる為に生徒会役員に名を連ねたりもした。阿呆だったと思う。

そのまま浜坂まで歩き、トンネルを出た瞬間踵を返した。私の体力は私が思うより遥かに落ちていた。情けない。
行き帰りの道中すれ違った車は、トンネルの中と外含めて、二台のみであった。聞こえてくる音は、波の音と、風の通り過ぎる音、木々の梢が揺れる音。人為的な音は殆ど聞こえなかった。
世の中には実は私しか存在して居ないのでは無いかという程の深夜の人気の無さ。
あらゆる事を悶々と考えたり、考えなかったり、ただ歩く事に集中したり。自由に思案するには持って来いの環境だ。

家に帰り着いた私にあったのは、程よい疲れと、汗をかいて身体に張り付くTシャツの不快感であった。
風呂に入って寝た。また夜が来たら内省しよう。

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