大河ドラマ「鎌倉殿の13人」における名前の呼称について

今回の大河ドラマは伊東「の」祐親、北条「の」宗時のように名字と名前の間に「の」がはいる。これ歴史クラスタの常識的には「氏」と「諱」のあいだには「の」がはいるが名字と諱の間にははいらないということになっている

つまり源「の」頼朝とか豊臣「の」秀吉という具合だ
ところが平安末期ころの家の名前と仮名の間には「の」がはいったようなのだつまり「北条の四郎」というぐあいである
これはとうじまだ武士の名字というものが家の名前と認識されていたかどうかわからない、つまり「北条の四郎」は「北条を領地として住んでいる四郎というもの」くらいのいみなのだろう。だから庶子は違う地に住むとそこの地を普通名乗りにする。だから平安末期にはいわゆる名字と領地が乖離している武士はほぼいない

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