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春の種まき考察シェア

昨日のライブで売れたCDのお金で
だいすきな色の、花の苗を買った。
ラナンキュラス。わすれな草。
あといろいろ(名前はわすれた草)。

わたしはお金のことをおもしろいと思う。
だって、お客さんがCDを買ってくれたお金を
わたしはそのまま花の苗を買うことに使って
ミツバチたちが、ウホーイ!と喜んだり
ただいま、と家にもどったわたしをはじめ
その花を見たわたしの友達や、郵便屋さんたちが
「わ、きれいだな!」とうれしくなって
今日も良い1日だった、とか簡単に思えるのだ。

それは、お金を使わずに持っていることよりも
楽しくて安心で豊かなことだなぁと感じる。

めくるめく循環を愛している。
だからわたしはいつも、お金がない。
だけどほとんど何にも困っていない。
(1年前に、電気が止められたときは困った。)

もっとお金があったらどんなにいいだろう!
と思うけど、きっとそのとき必要なぶんだけが
わたしの元に舞い降りるようになっている。
だって必要なぶんだけしか要らないのだから。

しかし風邪の騒動で、東京を完全に引き払い
千葉の里山へお引越しして以降、わたしは
自分の「必要なぶん」をちいさくしていたことに
ここのとこ、ようやく気がついた。
というか、完全に忘れてたけど思い出した。

そうか。自分でちいさいお金を望んでいたんだ。
「お金がなくても暮らせる」を目指すあまり
しらずしらず、無意識のうちに
「お金がほしくない」の自分になっていた。

なるほど、どおりで。
ストンと腑に落ちることがたくさんあった。
点でしかなかった初体験のユニークな事件たちが
見事なうつくしい線で、次々に結ばれていく。

未来に突然、ボン!と星座が生まれたような。
いやいや太古昔からその星座はあったのに
自分のイメージやビジョンがぼやけたまんまで
線を結べず見えてなかったんだ、というような。
おおおおお、すべては完璧な天体だった!
とでもいうような、驚きと感動。

わたしは今、数年ぶりに
「おおきなお金」に視野をひろげてみている。
海外、という失われていた選択肢をもう一度
ああ、そーいえばそんなアイディアあったね!
ブルガリアに行こうとチケットまで取ってたねと
やりたかったことの振り返りと洗い出し
ほんものの望みの取り返し作業に勤しんでいる。

わからない、見えない、という鈍い不協和音は
案外もうすでに、鳴り響く答えのチャイム
だったりもする。

結果が出るまでに、努力や働きかけをすることを
「種まき」と呼んだりする。

だけど、種をまく「大地」はどこにあるのか。

わたしは、折に触れて
どんよりとした曇り空のきもち、に包まれる。

大問題はないはずで、間違ってはないはずで
でもなんかどこか、スッキリしないなー。
「コレだ!」とひらめくピカーンのときの
ビシッと感が、どうも来ないな。
突き抜けない。ハマらない。おかしいぞ。
そんなふうに自分の本心を疑う(確認する)
感覚が訪れるタイミングがある。

一体どこに、何の種をまけばいいの?
どんな花が咲いたらわたしはうれしくなるの?
と、わからなくなる周期があって

それを今日、春の里山をドライブしながら
またも、ぼんやりと考えていた。

春はそういう不安定な季節なのよ。
自然の摂理よォ。では片付けたくなくて
わたしはひたすら、しずかに内観をつづけた。

ああ、そうか。
土が、わたしなのか。

わたしが、種をまく場所は
まわりの人でも、環境でも
成功する未来でもなく

「今この瞬間の自分」に、なんだよね。
今日の自分が、大地。
芽を出すのは、自分という土壌から。

もし自分の在り方や捉え方が、日影で薄暗く
アスファルトみたいにカチコチで硬かったり
微生物もいない、うるおいのない乾いた状態で
空気の入る余地のない、貧しい土だったら?

どれだけ種をまいても、水をあげまくっても
芽は、出ない。

もし自分の状態が、水と酸素が自由に行き来して
微生物もたくさん活動して相互作用してくれる
陽あたりも風通しも良いやわらかな土だったら?

まいた種からは、きっと自然に
芽が出るだろう。

もし出なかったらそれは、まいた種の種類が
そもそも適した気候や季節に対して真逆だったり
めちゃくちゃ深くに埋めすぎてたり
そもそもコレ種じゃなくて石だった?とか笑
芽を出さない別の理由、が、なんかあるはずだ。

自分という大地を
みずみずしく豊かに保つこと。

そのことが、種まきの瞬間よりも俄然たいせつで
いつ種まいてもオッケー!の自分に整えておく。
むしろそれしか必要じゃないかもしれない
種は、風や鳥が運んできてくれることだってある
わたしという大地でのびのび育つことのできる
ベストな種を、ベストなタイミングで。

芽が出るかは、自然にまかせる。
自分という土の状態に、照準を合わせる。

とにかく、よく観察する。
自分がどういう性質の土であるかを熟知する。
そうして、自分の持っている力を最大限信じつつ
今そこに必要なものは何か、を考える。

わたしの中のわたしは今
おそらく、飛び出したがっている。
挑戦を求めている。だから資金がひつようだ。
循環の輪っかをおおきく。
芽が出る予感の光るほうへ。

あ、この話にはとくに
これがわたしの結論です!みたいなオチはなくて
ほんものの望みを知って叶えてどうなりたいのか
どんな選択をしても間違いなんて存在しない
縛られてるようで、任されているから
結局、みいんな自分次第だな。
という、春の種まき考察、脳内シェアでした。

いやでも、でもちょと待てよ、おまえ
買ってきたの、種じゃなくて苗じゃん。

もう花まで咲いている。
ちゃんちゃん。

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