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過去はダンシャリできるのか

かれこれ、15年ほど歌をうたっている。
ハタチでアニソンシンガーとして偶然デビューした、まだ純粋な少女そのものだったわたしは、大人たち(ほぼ男たち)の作った「音楽業界」の荒波に揉まれて溺死寸前のまま大海原をなんとかかんとか泳いでいた。

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みな話してみると、いい人たちだ。
優しさも思いやりもきちんと搭載していて、それぞれに家庭があったり、夢や希望や志を胸に燃やしていたりもする。

だけれど「音楽業界モード」にスイッチングした時の彼らは、わたしにとって悪魔そのものでしかなかった。

「鼻の穴が大きいから、もっとうつむいて上目遣いにできない?」
「若いのに、なんか老けて見えるんだよな。肌のお手入れしてる?」
「正面顔は厳しいから写真は横顔で行こう、レンズは見ないで。」
「身長低いし、胸が大きくて太って見えるから衣装に気をつけてね。」

34歳の立派なオバさんとなった今だったら「は?お前らうるせえよ。パワハラで訴えますよ!」と大笑いして返せるだろう(や、少し虚勢を張ってしまった、たぶん「え、そんな言い方されたら傷つきます!もうちょい頭使って言葉チョイスしてくださいませ〜」くらいかも 笑)。

だけど当時、うっすいガラスのハート1枚で生きていたわたしは、どんどんと自尊心を失い、頭では「みんなわたしの成長のために、そしてわたしが売れてみんなで幸せになるために、敢えて厳しい言葉をかけてくれてるんだ!」と胸の痛みを処理しようとしても心の奥底まではなかなか浸透せず、当然ながら理想の自分にもほとほと追いつけず、人と会うときは笑顔で挨拶しながらもわりと暗黒ドロドロなきもちで20代の生活を送っていた。

絶対このアーティストを売る」に、彼らは必死だった。
そのためのリスク回避には余念がない。
だって売れないと、クビになるからだ。
そういう愚直な、わたしに言わせれば、煌びやかで巨大なようでいて、とことん貧しく狭くるしい世界だった。

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まあそんなこんなで、今現在もわたしは「カメラレンズを見つめること」が、ほとんどトラウマのように苦手だ。
不安と恐怖で、放っておけば心臓がバクバクするし、撮っている人にも申し訳ないきもちでいっぱいになり、早く終わろう!何度もごめんなさい!なるべく離れてください!などと言葉でもつい謝ってしまうし、気を抜くと土下座したいきもちに襲われる。

そのせいで、わたしは事務所やレコード会社を離れてフリーランスになってからも、歌を届けるためにこの時代、あたりまえにYouTubeが必要だということは重々理解をしながら、自主制作でムービーをつくることをどことなく、だけど徹底して避けていた。

「音楽業界からセミリタイアしたわたしは、自分のペースで歌がうたえていればそれで充分なんだから。もう大勢の人に周知する必要なんてどこにもないんだから。」

なんだかきちんと過ぎるくらいに整えた理屈を、誰に聞かれずとも心に準備しておいて、誰かからの「なんでMV作らんの?」への予防線は、常に万全に張っていたのだった。

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そんなときに現れたのが、映像作家の坂部敬史くん(ふみちゃん)。
2019年の春のこと。

「僕、かおりさんの歌がすきなんだけど。なんか一緒につくらない?」

全身が、ギョギョギョ、となった。

歌がすきって言ってくれるのはうれしいけど。
なんか一緒につくれるのも楽しそうだけど。
売れないよ?
あんなに傷ついて、ボロボロになるまで頑張ったのに、足がすくむくらい巨額のお金も投資してもらったのに。見た目が良くないから売れなかった人なんですよ、わたしは。

そんな強烈な動揺と同時に、これは、トラウマからの卒業の時期が近づいているのかもしれない、という予感もビビビと走った。

いつだって、必要なことしか起こりはしない。
15年間、わたしに「映像を一緒に作ろう」と声をかけてきた人は誰一人としていなかったのに、この人は今、わたしに連絡をくれた。そしてわたしは、ふみちゃんのことが直感的にすごく好きだった。会った瞬間に、心がほどけるような感覚があった。こういうときは、ゴーサイン。

あたらしいチャレンジは、あの頃と違い、彼と少しずつ重ねる会話とともにゆっくりと時間をかけすぎるくらいかけて進んでいった。

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「売れてもいいし、売れなくてもいいし、どっちでもいいんじゃない?笑」

ある日、わたしが過去のこととか自分のきもちとか、ひとつずつ話していると、彼がドライブしながら適当にそう答えた(ほんとうに笑えるくらい、何にも考えていない、拍子抜けする声だった)。

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とにかく良いもの作ることにしか
僕は、興味ないから。
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そうか。これは、作品なんだ。
ひとつの作品を残すつもりで、取り組めばいいんだ。
わたしの中で、認識が変わった。

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今まで「自分」が受ける評価しか考えてなかったんだな。歌でも声でも音楽でもなく、自分が、どう見られるのか。わたしという存在が、商品として価値を認められ、求められるのか。すべてが数字の競争社会だった、息の詰まる土俵に立って。

だけどもう、わたしはあの世界にいなくてよくて
作品を、ふつうに残していけばいいんだ。
好きな人たちと、たのしいと思えることをする。
うれしいきもちで、好きなことする。
そんだけで、よかったんだ。

そう自分の中の意識が変わってきた頃、不思議なことに、過去15年間わたしに「写真を撮らせて欲しい」と声をかけてきた人は誰一人としていなかったのに(笑)見ず知らずのカメラマンが突然、その流れを汲むように連絡をくれた。

2020年の初夏。このnoteの記事にも写真をちょこちょこと添えさせてもらっているのが、その谷本裕志さん(数々のタレントさんを第一線で撮り続けてきた大御所カメラマンです・・・キャラは濃くて声も大きくてうるさいけど本当に天才、良い写真撮ってくださいます)。

無論、彼らは何を申し合わせたわけでもなく、彼らは彼らの人生のタイミングに従って各々のアンテナを張りながら、自然に行動していただけなのだけど。

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MV制作当日、二人が初めて顔を合わせて、昔からのチームみたいに撮影してる姿を眺めていると、なんだか信じられないような、妙なきもちになりました。

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監督のふみちゃん。
撮影は、自宅で。ライブの衣装なんかを全部ひっぱり出すところから!

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真夜中にモノを詰め込みまくるセッティングをひとりシコシコとがんばりました(笑)

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この隙間に、無理やり入りこみます。

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実際の映像はこんな感じに。

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隣の部屋では、スタンドに衣装をかけて、扇風機の風で揺らしながらの撮影(窓の外のベランダには、リアルな洗濯物が。古い日本家屋に住んでいるので真夏のお昼は冷房をつけても激暑い2階!全員、汗かきまくりでした 笑)

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押入れから服を取り出して、畳に隙間なく敷き詰める。撮影は夜遅くまでかかって、この頃には実は外は真っ暗。(ライトってすごい・・・!)

そうしてようやく生まれたのが
こちらの映像作品です。

ダンシャリ
要らんもんばかり増えてゆく

この部屋は あたしの心のまんま
ダンシャリ
要らんもんなら全部捨てちゃおう

この指で大事なもの さわるため

毎日書いた楽曲を8曲入りのアルバムにして、書いては録音し、書いては録音し、という内容をフレッシュなまま月2回データでお届けする(無謀すぎ笑)という 採れたて音楽プロジェクト の中で生まれた、この曲。

部屋を片付けようとしても一向に進まなかったときに生まれた曲なのですが、ダンシャリって本当は、いらないものを捨てることじゃなくて、ほんとうに大事なものにちゃんとさわるためのものだな、って思いました。

今回、もう要らなくなっていた「自分へのジャッジ」や「コンプレックスという言い訳」や「評価に対する怖れのきもち」なんかを、映像を制作しながら少しずつダンシャリしていけた。もちろん、まだまだ完璧にはダンシャリできていないよ。だけど、その一歩目を、彼らのおかげで踏み出すことができたかなって、そう思います。

わたしの20代は、確かに暗黒ドロドロだったけれど。それをいつかちゃんと、1ミリも戸惑いなく全部ひっくるめて、最高だった!って抱きしめてあげたい。そのために、今とことん、好きなモノを大放出して表現していきたい。思い描いた未来から逆算するんじゃなくて、ただ「今」を、今これがやりたい、やってみたいと願った自分の声を聞き漏らさず、我慢しないでぶああと開放して、ひとつひとつ叶えてあげたいなーって感じています。

最後まで読んでくれて、
付き合ってくれてほんとありがとう。
いつも応援してくれるみなさん、
また一緒にいっぱい笑いましょう。

そして第二弾のMVが
実はもう完成しているのです、笑
つづくー!


かおり


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