所沢前線北上中

台風前夜。街を見渡すと、ビルも通りも街路樹もじっと息をひそめる魔物のようで、不穏な何かの接近がありありと感じられる。予報によると、〈引込線/放射線〉のオープニングレセプションが予定されていた10月12日は、「地球史上最大級」とも謳われる台風19号が首都圏を直撃するそうだ。そういえば、第1期会場の第19北斗ビルのオープニングの日も見事に台風だった。どうやら〈引込線/放射線〉は、何かコトを起こそうとするたびに天災に見舞われる運命らしい。

気を取り直して。
12日に予定していたオープニングレセプションが順延になったので、手すきとなった今のうちに第2期会場の見どころを紹介しておきたい。
このたび〈引込線/放射線〉は、前回展「引込線2017」で使用した給食センターに別れを告げ、所沢市内に新しい2つの会場を手に入れた。そのひとつが10月14日まで展示が行われている第19北斗ビルであり、もうひとつが新所沢駅から徒歩20分の場所に位置する旧市立所沢幼稚園である。
展示中心である北斗ビル会場に対し、旧市立所沢幼稚園ではイベント中心で日替わりのプログラムを実施する。モノで溢れる北斗ビルと、コトが生起する幼稚園。そのような対比で捉えてもらえると話がわかりやすいかもしれない。
そして、2011年に廃園になった幼稚園を会場とするにあたり、〈引込線/放射線〉はあえて電力供給・上下水道といったインフラの整備を行わないことを選択した。廃舎は寂れたまま、園庭の草も刈らずに伸び放題。人間の管理を離れた環境のなかでどのような「場」がつくり出せるのか、自家発電的な振る舞いによってアーティストや書き手やボランティアたちはどれだけ「発光」できるのか。
実行委員がそれぞれどのような目論見を思い描いているのかはわからないが、北斗ビルでの展示とはまた打って変わった試みの数々が園内のあちこちで仕掛けられるはずだ。

今からおよそ100年前、未来派のマリネッティは「月光を殺そう」と題された1909年のテクストにおいて、過去主義の象徴としての月光を批判して新時代のエネルギー源である電気の力を讃美した。また、1915年に書かれた「電気戦争」は、その導入を次のような感嘆の声で飾っている。
「ああ!新しい電気の力によって、完璧に活力を帯び、取り乱し、手足を抑えつけられた我が美しき半島に、一世紀後に生まれてくる人々の何と美しいこと!」(「電気戦争―未来派的展望-仮説」F.T.マリネッティ、細川周平訳)。
電気と機械と戦争を讃えた未来派の羨望は、一世紀後に生まれてくる人々――すなわち2019年を生きる我々――に向けられているわけだが、前衛が思い描いたそのような夢を消尽させるかのように、〈引込線/放射線〉は電気も水道も通わない不活性な廃舎を根城としてプロジェクトの第二幕をはじめる。生産と消費のサイクルが活発な都市空間よりも、アクセシビリティの低い寂れた廃舎のほうが、「オルタナティブ」を自称する〈引込線/放射線〉にずっとふさわしい。

子どもたちが消えたあとの廃舎。そこには確かに電気も水道も通っていないが、私たちは蛍光灯の代わりに太陽光を活用し、パフォーマーと観客、照らすものと照らされるものが絶えず入れ替わるようなデキゴトを繰り広げていく。しかも、日没とともに解散するという健全さで。もちろんその他方に、真昼の狂気が滲むこともあるかもしれないが。ともあれ11月初旬までの一か月間は、めくるめくプログラムの連続となるに違いない。

遊びたい人、勉強したい人、踊りたい人、おしゃべりしたい人、議論したい人、神輿を担ぎたい人、珈琲を飲みたい人、アーカイブについて思いを巡らしたい人、素人集団の即席スポーツチームに参加したい人、隠し事をしている人に興味がある人、お絵かきしたい人、美術教育やジェンダーについて考えたい人、ゆるく活動したい人、「我こそは幼稚園」という人、とりあえず腰掛けて休みたい人、照明係をやってみたい人、劇に野次を飛ばしたい人、QRコードを読み込みたい人、階段を上った分だけ下る人、映像とは何たるかを常々不思議に思っていた人、記憶も記録も残しておきたい人、放課後になると元気が出る人、秋なのに夏と冬が手のひらの中にあると思っている人、自由意思に基づいて喜びの精神を表現する志願兵な人、傍観したい人、死や無について語り合うことで死や無に抗いたい人、ただひたすらに誰かに会いたい人、何もしたくない人、ここではない別の世界を信じている人。

〈引込線/放射線〉は、他でもないあなたの来訪をお待ちしております。


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