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受心した青年のこころ②人影


あの日、車のなかで、突然の"サワサワ感"をこころに感じて以来、わたしは、じぶんのこころのなかに受心したものが気になってしかたがなかった。

カーブのときに一瞬だけ " こころの弾 " を撃たれた。それだけだったから。


あれはなんだったのか…


しかし、それいじょう、こころのなかには"なにかしらのアクション"はなかった。違和感を感じる"想い"も伝わってこなかった。


そして、忘れかけたその夜のこと。


わたしは、いつものように、飼っていた犬の散歩に1人家を出た。

わたしは、犬の散歩は夜中のほうが好きだった。

友人たちには「世の中には物好きな人もいるのよ。襲われたらどうするの!」と、注意されていたが、夫はわたしが夜中にひとり散歩に行くことにまるで無関心で「行ってくる」と言っても返事はないし、止められることもない。なのでいつも22時から24時のあいだに犬のトイレもかねて30分ほど近所を歩いていた。

誰1人歩いていない道は、わたしにとって心地よい。人が前から歩いてくることがとても苦手だったので。


のんびりと月でも見上げての散歩。犬はひとしきり臭いに気をとられる。


一瞬、後ろで「誰かに見られている?」という感覚になった。


でも誰もいないのはわかってる。

こんな時間に、こんな山間に奥まった、小さな町の住宅街を歩く人なんていない。見知らぬ車でさえ迷い混むことのない土地だったし、今までも用事もなく真夜中に歩くような人とすれ違うこともなかった。


それでも、何気に後ろを振り返る。

右手に住宅街、左手に広く長い空き地に挟まれた道は一直線で、やっぱり誰も歩いていなかった。

空き地側には、一定の間隔で電信柱と、街路灯が白く道を照らすのが続いているだけだった。道を挟んでの反対側に連なる住宅は、リタイア世帯が多く、早く就寝するのか灯りもまばらだった。


やっぱり、いない……


けれど、前を向いて歩くと、やはり後ろのほうで、わたしを警戒しつつもついてくるような人影を感じる…


わたしは、集中して、背中で、見えてはいないものを感じてみることにしたのだった。


↓つづく

↓受心とはなにか