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あの世とこの世

三木大雲和尚が島田さんのYouTubeで、「あの世とこの世は表裏一体」
と語っていた

なんとなく昔そんな説も聞いたことがあるけれど、漠然と頭のなかにあっただけだった
けれど、その時突然、すん、と府に落ちたのでココに記すことにする

もともと、霊界はあると信じていたし、スウェーデンボルグの意訳本を読み漁ってきて信じていた

そして、自分の身にふりかかる『受心体験』

それらの説明に

『あの世とこの世は表裏一体』説で考えるとすごく合点がきくのだった

そこで、わたしが考えたのが、あの世とこの世が唯一繋がっている部分は、

『想い』(気持ち、思考、願い)

なのじゃないかと

個人の想いはあの世の世界では言葉となって、
あの世の人々が、『好む思考』に集まってくるのではないかと

だから、どんなに良い行いをしても、心のなかでたとえば「人を傷つけると興奮する」などという悪意があれば、それを好む人たちがあの世で集まって待っているのである

あとひとつ、最近、気がついたのが、あちらにもこの世からあの世へ移り住む『準備』みたいものがあるのでは?ということ

区役所?みたいな場所があり、手続きに今まで二度ほど尋ねたことがある

一度目は母のときで、受付の女性の後ろがわには、永遠に続くんじゃないか、というくらい遠くまで、高さも幅も大きい古い木の引戸し箪笥が続いていた

そんな夢ばかりみていたある日、突然母は亡くなった

そして、今回は、わりと普通の事務所のような場所の窓口でなにか手続きする夢をみだした

これって、ひょっとしてわたしが??

と思っていたら、義父が亡くなった

夢の中では引っ越しもしてリフォームをしていた
なんだか普通の暮らしがそこで待っていると考えると楽しい

しかし、ひょっとしたら、人間の資質、本性というのは、この世でなければ変えられない気がする

祖母が亡くなるときに、「修行が辛くてね」とボソッと語った

特別信心深い人ではなかったが、苦労の多い人だった
苦労が多いからとて、天国的な環境のあの世に行けるとは限らないとはおもうが、苦労をやりとげ、そして、誰を憎むことなく、怒りをもたなかった彼女は、きっとあの世ではのんびりと大好きな花と手芸を楽しんでいる気がする