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新規就農物語11〜妊娠・出産〜

就農当初から様々なチャレンジを繰り返してきた自分たち、ひかり畑ですが、ここにきてまたしても大きな転換期を迎えることとなります。

妻ひかりの出産です。

これが本当に私たちにとって最大の転換期になりました。


めちゃくちゃプライベートな内容なのですが、将来家族経営で農業をしたい!と思われる方は体験者の一次情報として是非読んでいただきたいです。

ぶっちゃけ超幸せで超大変な経験でした笑


もともと子どもがあまり好きではなかった妻のひかりですが、ある時から子どもが欲しいと言う感情が芽生え始め、私たちは子どもを授かることになったのです。

ひかりの妊娠がわかったのが平成29年5月。

最初に異変に気付いたのは夫である高松でした。


「お菓子は毒だ!」なんて言って全く売り物のお菓子なんて口にしなかったひかりだったのですが、配達の帰りになぜかいつも甘いお菓子を買ってきたのが一番最初の異変。

また、5月と言えば農家にとってはもう地獄のような忙しさなのですが、仕事をしている最中にも関わらず「眠い」と言い出して帰ったりするんです。当初仕事に命をかけていた自分たちでしたから、その発言が不思議で不思議である時、ひかりにボソッと言ってみたんです。

「妊娠したんじゃない?」

本人はいやいやとは言いつつも、24時間常に一緒に行動を共にしている夫がそんな異変を口にするもんだから、なんだかその気になってきたひかりは急に動くことをやめ、挙げ句の果てに

「ごめん、動けないから妊娠検査薬買ってきて」

と、もはや妊娠したと言うか、重病者のような感じで男である夫に妊娠検査薬を買いに行けと命令。

さすがにこれは断れずに、薬局へ向かい妊娠検査薬を探してどれがいいかわからないので、適当に選んだものをレジに持っていきました。

ちょっとした恥ずかしさもありながら、でもどこかで妊娠と確信している自分にとっては超ワクワクな瞬間でした。

今だったら、あの買い物をしてる姿を動画で撮ってるな。だってあんな経験滅多にできないんだもの。

まぁ、それはいいとして。

薄々気付いているとは思いますが、結果は陽性。

つまり妊娠している可能性が高いと言うことです。

それから病院に行ってきちんと診てもらったところ、妊娠していることが確定。

それはそれは嬉しい瞬間でした。


が、その瞬間から今まで2人でフルで農作業していて、なんならそれでも間に合っていなかった作業を1人でやることに確定。

よく言われていますが、【1+1=2】ではないんです。

その当時のひかりの仕事っぷりったらなかったです。なぜなら沖縄での社長の教えをそのまま新潟にも持ってきていて、一緒に仕事をするパートナーであるひかりにもみっちりとそれを教え込んでいたのです。

「もうやめる!」と言ってひかりは何度泣いたことか…。

それでもやめずになんとか食らいついて、最終形態としては沖縄の社長の教えを教え込んだ自分が引くくらい仕事が早くなっていたんです。

しかも、もうルーティーンとして体に染み付いた仕事なので言葉なんていらずに、相手がこう動けばこう動くと言う動作が流れるように進んで行くような状態。

なので、【1+1=10】くらいの仕事を自分たちにはできていたような気がします。

その1がなくなった瞬間、自分にはもうどうすることもできない仕事量が舞い込んできていて、最終的には【1+0=0.5】くらいにまで仕事が落ち込む。

もうその年は全然ダメでした。自分の頭の中では「家族のために頑張らないと」とは思っているのですが、どんどん体力がなくなっていく。体力がなくなっていくともはや脳まで働かなくなってしまい、完全に負け。

妊娠して子どもが生まれるという時に、自分たちは完全に仕事として負けたのです。


死ぬほど働いていたにも関わらず、どんどん仕事が遅れて作業が後手後手になっていく様子を見ている自分が嫌になり、ひかりはひかりで自分が動けずにそれを見ているだけの自分が嫌になり、妊娠中は本当にケンカが絶えなかったような気がします。

よく考えてみれば、お互いが相手にではなく、自分に対して腹が立っているのに、どうしてケンカになるんでしょうね…。


こんな生活が十月十日続いた1月11日の大雪の日でした。


予定日を1週間経っても全く出てくる気配がしない我が子は、検診に行った当日、先生の判断で急遽帝王切開をすることになり、無事に生まれてきてくれました。


お腹にいた時から甘えん坊だった息子は、常に自分の手の甲をチュパチュパと舐めていたようで、手の甲の皮膚が一部剥がれていたくらい…。(今ではなんの痕も残っていません)

母となったひかりも、息子も元気な姿で手術室から出てきた時、本当に夢の中にいるような光景でした。

とにかく、いっぱい(多)笑って(咲)欲しいと言う願いを込めて、私たちがつけた名前は【咲多(しょうた)】です。


正直、私たちにとって子どもを授かるかどうかと言うことって本当に一つのチャレンジでした。

今こんな状態で子どもを授かって幸せにできるのかどうか。

それが一番の不安でした。

毎日起きてから寝るまで仕事漬けの生活をしていたので、子どもと遊べる時間はあるのか?

しかもひかりの両親は中国に住んでいるので、その親に子どもも任せられない。

もう不安で不安で仕方がなかったのですが、子どもの顔を見た時にはもうそんな不安は消えていて、なんとかしなきゃと言う強い意思を持つようになり、ここくらいから力自慢で勝負していた自分たちが少しずつ経営に目を向け始め、頭脳戦を展開するようになりました。


結構、自分たちと同じ悩みの方は多いと思います。

今こんな状態で結婚なんてできるのか?子どもなんて育てられるのか?

自分たちが経験してきた答えとしては、

家族が増えたらその分の努力をするようになる

です。

結果的に、自分1人の時よりもひかりと結婚した方が、ひかりと2人の時よりも子どもが生まれてからの方が、自分たちの収入って家族が増える度に増えているんです。

なので、お金の面で悩んでいる暇があったら、自分たちがどうすれば幸せに暮らせるのかを考えた方がいいと、あの時悩んでいた自分に言ってあげたいです。


いよいよ次回でこのシリーズは終了となりそうです。

子どもが生まれてから自分たちがどんな農業をすることになったのか。生活はどのように変わっていったのか。

そんなお話をしたいと思います。

それではまた!



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