高佐ひかり

30過ぎてようやく自分と向き合う旅 スキをたくさん増やしたい 好き勝手に心のなかを書き…

高佐ひかり

30過ぎてようやく自分と向き合う旅 スキをたくさん増やしたい 好き勝手に心のなかを書きます

最近の記事

キャラメルポップコーンにはかなわない

この匂いには抵抗できない、と思うもののひとつに、キャラメルポップコーンがある。 ふわっと甘ったるい香り。「甘い」だけでは形容できない、「甘ったるさ」のある香りだ。まるでおとぎ話のしあわせを具現化したような、メルヘンな香り。そのなかで、どこか焦げた芳ばしい匂いも含まれていて、認知するとついつい香りの出所を探してしまう。 においで特定の記憶を思い出す現象には「プルースト効果」という名前があると知った。それならキャラメルポップコーンが引き起こすプルースト効果は、わたしにとっての「

    • 豆腐という人格者

       懐の深い食材といえば、豆腐ではないだろうか。 大好物のひとつ、白くて柔くてつるつる。絹ごしはとぅるんと滑らかな大豆の味。木綿はぎっしりと濃い大豆の味。どちらも美味しくって、使い勝手が抜群。そのままでももちろん美味しいのに、煮ても焼いても、ましてはぐちゃぐちゃにま攪拌してもいいなんて、あまりにも寛容だ。 小さいころ、我が家での定番の朝ごはんは「お豆腐ご飯」だった。 名前の通り、熱々の白米の上に冷たい絹ごし豆腐を乗っけるだけの丼だ。醤油をちろりとかけて、たまに鰹節をかけたり、

      • パセリのブーケはかわいい

        スーパーで売られているパセリってブーケみたいだ。 緑がわんさか生い茂って、細い茎を束ねられている。はじめてスーパーで目にしたとき、花束の中に混じっていても違和感なさそうだな、と思った。 1束99円のそれをカゴにいれたとき、わたしはついに「パセリを買う側」の人間になったのか、とどこか嬉しいような、誇らしいよな、恥ずかしいような気持ちになった。 パセリ。 それはファミレスのポテト。添えられたケチャップが入ったお皿の横にそっといる。使い回しなんじゃないかという質の悪い冗談で誰も手

        • シュウマイ弁当の美学

          新幹線に乗るいちばんの楽しみは駅弁とビール。 東京駅には無数の美味しいものが並んでいる。 駅弁だけではなくテイクアウトのお弁当や有名店のパンなどもあり、選択肢は無限大。時間が許す限り、お店の前で延々と迷ってしまいがちなわたしだが、今回は食べるものを決めていた。 かの有名な崎陽軒のシュウマイ弁当だ。 実はこのチャレンジは初めてではなく、以前から何度かお店に駆け込んだことがある。仕事柄、夜に新幹線に乗ることが多いのだが、わたしが駆け込んだ夜にシュウマイ弁当が残っていたことはな

        キャラメルポップコーンにはかなわない

          忘れられない味_長崎飯店さんの「皿うどん」

          忘れられない味がある。 「美味しさ」にはいろいろな種類があって、当時の感情や情景を思い出させる。 何度食べても落ち着く味もある。心がほっこりするような家庭的な味。ガツンと脳みそを揺るがすようなジャンクな味。からだの奥底から徐々に染み渡っていくような、やさしい味。 そういったものは、何度食べても「これこれ!」という気持ちになる。「そうそう、今これを食べたかった…!」と心から思う味。わたしをしあわせにする味。 わたしにとって「食」はしあわせの具体化であり、五感をふるわす感動であ

          忘れられない味_長崎飯店さんの「皿うどん」

          宇都宮 餃子旅行2日目

          1日目からずいぶんと時間が経ってしまった…。 楽しかった宇都宮旅行を振り返ります。 宇都宮旅行二日目。 今回の旅行のテーマは「餃子をたらふく食べてお酒をたくさん飲む」ことだったので、観光は考えていなかった。 そもそもわたしは宇都宮=餃子の認識で、それ以外のことは全く調べていなかったのだが、夫は観光地も調べていたらしい。昨日の寝る直前に「明日、観光いけたらいく?」と言われ、「んー、まあ時間が余ったら行く?」みたいな曖昧な返事をした。 翌朝。お酒を引きずりながらも6時ごろに

          宇都宮 餃子旅行2日目

          宇都宮 餃子旅行1日目

          わたしたち夫婦は1〜2ヶ月に一回くらいの頻度で小旅行をする。場所は大体関東近辺で移動が2時間程度の場所が多い。 夫婦そろって食べ歩きやお酒を飲むことが趣味なので、旅行先では惜しみなく美味しいものを食べ、美味しいお酒を飲んだくれる。 そのために節約できるところは節約をしたいので、ビジネスホテルならひとり五千円以下を探したりポイントを使ったりして(食費以外の)節約旅行を楽しんでいる。 今回わたしたち夫婦が選んだ旅行先は、宇都宮。 わたしたちは味の素の冷凍餃子がだいすき。

          宇都宮 餃子旅行1日目

          百年先の愛は誓えないけれど

          夫のことがすきだ。 ただ漠然とすきだなあ、と思う。 見た目や雰囲気がタイプなわけではない。「人間として尊敬している」だとか、「私には不釣り合いな完璧な人間」だとか、そういった類の感情も少なく、彼を神聖化はしない。合わないところもすれ違うこともままある。小さな幻滅をしたこともあるけれど、それでも彼をすきだ。 わたしは彼を(きっと誰のことだって)すべてを丸ごと愛すことなどできない。 それでも一緒にいるとストンとあるべきところに収まっているかのような、充電器と本体のような感覚があ

          百年先の愛は誓えないけれど

          「食」という幸福

          人生の迷路から抜け出すために自己分析を試みたが、どうしてもネガティブなことばかりが頭をめぐってしまう。プライドや自己顕示欲はそれなりにあるくせに、誰かに誇れるほどのスキルも経験値もない。なんてことだ。 とんでもなく暗い気持ちに陥ってしまいがちなので、明るい方向を考えることにした。 自分の「スキ」と向き合ってみたい。 わたしは一体なにが好きなのか。 そう考えたときに一番最初に浮かぶのは「食」だ。 わたしは大食いとまではいかずとも食いしん坊なので、まあまあ食べる。 この歳に

          「食」という幸福

          ぜんぶつながっている

          ココ・シャネルの有名な言葉がある。 「20歳の顔は自然の贈り物。30歳の顔はあなたの生活。50歳の顔はあなたの功績。」というものだ。 この言葉の本質は「経験の積み重ねや努力、思考を止めないことや、日々の行動がひとの見た目を変えて行く」という内面的な変化をも網羅した意味合いだと認識しているつもりだ。 だが、20歳のわたしが読んでも「ふーーーん」としか思わず、30歳の時も「ほーーーん」と酒を飲んでいた。 しかし、ここ最近"わたし"とちゃんと向き合いはじめて、この意味を徐々に

          ぜんぶつながっている

          人生迷子である

          人生迷子である。 30代半ば、アラサーとも自称しにくい年齢になり、わたしは人生の地図を見失っていることに気付いた。 今、自分がなにを好きで、なにをやりたくて、今後どうなっていたいのか。明確なものを答えられない。 趣味と呼べるものも、ここ数年でなくなってしまった。 もともと映画館での映画鑑賞が唯一の趣味で月に5〜6本観ていたが、コロナ禍で数ヶ月お預けとなると自分の中の習慣が急に消えてしまった。その間に結婚をしたので、環境が変わったことや、さまざまな値上げにより娯楽にかける余

          人生迷子である