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自信について改めて考えてみた

先日、大阪Loft PlusOne Westさんが主宰する『コロナ×生きづらさ×隠居×ミニマリスト リモート対談』という配信イベントを自宅で視聴しました。出演は、鶴見済さん・大原扁理さん・佐々木典士さん。

私は生放送を拝見しましたが、今からでも1,800円+手数料100円で購入し、8月3日まで視聴できます。なのでこの記事では、このイベントを拝見したことで得た自分の気づきについて書きたいと思います。(イベントの内容からはちょっと飛躍しますが。)

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対話の中で「自信」という言葉が出てきました。

自分でも長い間考え続けていた言葉ですが、放送を見終えて、改めて今の自分の状態から「自信」について考えるきっかけになりました。

これを書くまで2日間いろいろ考えていたのですが、ふと、自信は増やしたりつけようとしたりするよりも、まず減らさないことのほうが大事なのではないかという気持ちになりました。すくなくとも自分にとっては。

(「自信」という言葉の中身は人によって違うと思いますが、私はここでは「自分はこのままで大丈夫という漠然とした気持ち」という意味で使おうと思います。また、自信に対しては今まで失うとかなくすという表現をしていましたが、どなたかがおっしゃっていた「けずられる」という表現も分かりやすいですね。)

さてこの自信というものは、どうやってけずられてしまうかというと、原因の多くは他人との比較によるものだと思います。(それ以外にあるかな?過去の自分との比較とか。それもつきつめれば他人との比較が発生源という気がします。)

自分がここまで生きてきて、人生は比較の連続だったと思っています。その中でどのように自信はけずられていくのか、自分の過去も振り返りながら考えてみました。

①子どもの頃、主に親によってけずられる
子どもの頃かけられた言葉で、肯定の言葉よりも否定の言葉が多いと自信をけずられるし、その影響は大人になってもひきずるのではないかと思っています。親の否定の言葉も、つきつめれば誰かとの比較に由来しているのではないかと思います。

②小学校~中学校~高校
この間はもう、日常が比較の繰り返しで、みんなできるのに自分はできないみたいな思いで自信がけずられることも多くあると思います。ただ成長するにつれて、自主的にできることは増えていくので、自分の好きなことや得意なことを見つけられると自信につながるのではないかと思います。(その得意分野などが受験や就職に役立たなさそう・社会的に価値がなさそうなことだと、周囲に封じ込められる恐れがあるとも思います。)

③大学
大学に入ると突然3年弱くらいの間、これまでずっと続けてきた比較という形態の競争が一旦なくなる気がします。(学部によりますね。)それと同時に、ここまで何を考えて生きてきたのかという人間性が如実に現れるなあと思います。(私は恐ろしく中身がなにもなかったなあと思います。)→就職活動によってまた競争が始まります。

④就職
自分の能力の無さなどを改めて実感したりします。得意・楽しい・今は未熟だけど成長したいと思える仕事なら、時に自信をけずられることがあっても回復できると思います。そうでないとけずられる一方ですね。

ちなみに私は結構いろいろな仕事を転々としていて、フリーターの時期も長かったのですが、社会に出てからの約15年間は、仕事を楽しいと感じられる場所のほうが多かったです。

時系列で考えてきましたが、学校や会社以外を含めそれ以外のつながりにおいても、結婚・出産・職業・収入といった点で、周囲と比較したり何か言われることも自信をけずられるきっかけになりますね。

また、人生の様々な場面で、すでに自分が子どもの頃から今までけずられてきた自信の被害状況によって、新たに受けるダメージの大きさも変わってくるとも思います。

人生において、ある地点の自分は、たとえば仕事で企画書を褒められたり、SNSでイイネを貰うことが+3ポイントから+10ポイントくらいだったとします。

でも、たとえば中途採用の自分が上司に「○○さん(長く働いている人)と同じ歳なのにこれだけ能力に差があるなんて恥ずかしくないの?」とか言われると、一気にマイナス100ポイントくらいになります。

似たようなことを一週間で10回言われると、マイナス1000ポイントになります。小さな自信を積み重ねても、もはや回復が不可能です、私は。

ここで、「頑張って見返してやるぞ」とか「もっと成長したい」みたいに思える仕事ならいいのかもしれませんが、明らかに自分が向いていないなとか、どう頑張っても人間関係が永久にうまくいかなさそうだと思ったら、まず離れてみることが、けずられた自信を回復するための一歩だなと、私は思うようになりました。

最近になって、そういえば自分は今人生で一番自信がある(漠然と、自分はこのままでもなんとか生きていけるだろうという気持ちでいられる)のは、自信をけずられる環境から離れたからだと思いました。

離れる前は、すでに自信をけずられた記録がマイナス20万ポイントくらいでも、けずられない状況が続くと、自然にマイナスポイントは蒸発していくのだなとも分かりました。

自分の能力は何も変わっていないので、ダメなところはずっとダメなままです。それを指摘されなくなっただけですが、生きていくことにはおそらくそんなに支障はなさそうです。

私は、マイナスポイントの増加を止められてやっと、小さなイイネが「積み重なる」状況になれたんだなあと思いました。

自信をどれだけけずられようとも、その場所から離れることはできないと思う人も多いと思います。私はその、「離れられない理由」は、めちゃくちゃ深堀りしたほうがいいと思っています。

収入とか、将来への不安など様々な理由があると思いますが、それらを解決できそうな方法も、ものすごくたくさんあると思います。

ちなみに私は今実家に住んでいて、家業があったことは(家業も楽しいと思うようになったし)まあよかったなと思っていますが、何もなかったら、生活費が安くて車がなくても生活できる地方都市に行って、すごく安い物件かシェアハウスに住んで、とりあえず仕事を探そうと思います。(博多なんかいいなあと思っています。)

昔の私だったら、そんなの不安と言う気がしますが、その不安の内訳は細かく考えた方がいいなと思います。

何のために生きるのか、どうやって生きたいのか、自分にとって何が一番大事なのか、そういったことを自分がここまで考えるようになったきっかけは、鶴見済さん・大原扁理さん・佐々木典士さんの本にもたくさんつまっています。

いつも、20代に出会いたかったなあと、鶴見さんが主宰する不適応者の居場所が、20代のころにあったらなあということを思ったりもするのですが、今こうして「お、私なんか今自信あるぞ」と思える日々が送れることも十分に幸せです。

本は、たくさんのことを教えてくれます。これからもたくさんの本に、自分の生きるヒントを見つけていくと思います。

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イベントの中ではお金の話など、他にも興味深い話題がいろいろ出ていました。久しぶりに本も読み返して、また自分の考えを書きたいと思います。

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ちなみに私が過去にnoteで書いた記事も良かったらご覧ください。


いろいろな方にインタビューをして、それをフリーマガジンにまとめて自費で発行しています。サポートをいただけたら、次回の取材とマガジン作成の費用に使わせていただきます。