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辻村深月 著『盲目的な恋と友情』

自分が長く深く抱えていた悩みは、その深刻さは異なれど、多くの人が同様に抱えていたものなんだなということは、年齢を重ねるにつれてだんだん判明してくることだ。でもそういった苦悩の沼みたいなものに、はまり続けてしまう人と、いずれ通り過ぎることができる人の差はなんなんだろうということを考え続けてきて、だんだん分かるような気にもなってきた。

苦しい恋から永遠に抜け出せない蘭花と、コンプレックスに苛まれ、友人との距離感がうまくつかめず、理想の人間関係が築けない留利絵。その「イタさ」が、ここまで克明に描かれると、自分の過去もすべてつまびらかになっているんだなという気持ちになる。

読み進めるのが辛くもあるのだけれど、自分のような人間が、あの時なぜそんな行動をとってしまったのか、それを他人はどう思うのか、全てが解説されているようで、そうか、人間ってこうだよな、自分の生きづらさも仕方なかったんだよなと、少し許されたような気持ちにもなる。

最後まで読み終えると、もう一度前半を読み返したくなって、前半をもう一度読み終えた時点でやっと物語が完結するような気がする。自分の視点と他人の視点が交差していく中で、あらゆる登場人物にに生まれてくる感情は、今現実に見ているように鮮やかだ。

正しさが時に何の役にも立たないこと、それが何の役にも立たないと相手に説明ができないことを分かりすぎるほど分かること、それは狂気でもあり冷静さでもあると言える。

誰しも心に狂気となり得るものを抱えているのかもしれない。それはもう永久に引っ張り出す必要の無いひともいるし、なにかのきっかけで、思いがけず人生のどこかに広げてしまうのかもしれない。

人は、他人に何かを求めた瞬間から、相手が想像したとおりに動いてくれないことに違和感を、もっと言えば苛立ちを覚えるもので、そして基本、相手がすべて想像通りに動くということは絶対にありえない。ありえない中で、折り合いをつける感覚を、おそらく多くの人が学び続けているのだろうと思う。

今ある自分の生活は、地味で、ただひたすらに地味なものなのだけれど、自分の狂気を取り出さずに今穏やかに暮らしていられることは、私にとってやはり、かけがえのない幸せなのだと改めて思う。

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