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現代俳句

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ただならぬ海月ぽ光追い抜くぽ  田島健一(『ただならぬぽ』)
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2021年2月の記事一覧

たましいの話

たましいの話

茄子焼いて冷やしてたましいの話  池田澄子(『たましいの話』)

魂は天の高いところにあるんじゃなくて、テーブルとかにもあったりするよねたましい、とふっと感じられたときに、あなたとそういえばたましい、ってたましいの話ができるような気がする。それは、ふっとした俳句みたいに。

ああたましい、たましいね、うんたましい、かんたんな会話の中で、結論も出ないまま、たましいの話をする。

ぜんぜん会話が続かな

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ぱちんぱちんと星

ぱちんぱちんと星

蝉の死にぱちんぱちんと星が出る  鴇田智哉(『凧と円柱』)

死の表現にいちばん苦労したのは、実は文学や美術や宗教ですらなくて、ゲームの世界だったんじゃないかなと思うことがある。

どうしたらなんでもありのこの世界で、ひとはちゃんと死んでゆくのか。

たとえばマリオは敵に触れることで死んでゆく。触れることは本当はわかることで、現実の世界では理解することや愛することになる。
でもマリオの世界では触れ

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人がいる

人がいる

春の夜の漫画の中に人がをり  鴇田智哉(『こゑふたつ』)

たとえば鴇田さんをこの星にはじめて降りたったひととして考えてみる。

鴇田さんはこの星のカテゴリーをまだ知らない。漫画があることも、キャラクターがいることも、手塚治虫がいたことも知らない。そうして、ふっと、漫画を見た瞬間気づくのだ。
ひとがいる、と。
これは、ビルの中やプールの中に人がいたことと同じ感じで気がつく。
人がいる、と。

でも

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あなたを好きなひとが好き

あなたを好きなひとが好き

冬の虹あなたを好きなひとが好き  池田澄子(『池田澄子句集』)

好きなひとは好きなひとに通じているかもしれないというこの世界のルールがあって、好きなひとの好きなひとに出会ったらその好きなひとは私の好きなひとかも知れない。

私たちはずっと誰かに片思いしているけれど、その片思いの果ての果てには多分私が体育座りをしていて、少し虹も出ている。

私は大人だったのでもう体育座りはしないつもりだったのに、

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今走っていること

今走っていること

今走つてゐること夕立来さうなこと  上田信治(『リボン』)

季語はいつも永遠を運んでくるので、俳句の今を阻止しているはずなのに、どうしてここには今が溢れ出しちゃっているんだろう。ずっと不思議だ。

今走っていて、夕立がわっと来そうなことを感じていて、もちろんその感じ方も今で、これからずぶ濡れになるかもしれない緊張感も今で、走って足がもつれて転びそうになってて、なんで俺と思っているのも今で、ここに

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わたしでねむれない

わたしでねむれない

ふくろふはふくろふでわたしはわたしでねむれない  山頭火(『新編山頭火全集1』)

俳句は季語が俳句を支えてくれるが、自由律はなにが支えてくれるんだろうと時々考えることがある。

山頭火をずっと読んでいたときにそれは、わたしなのかな、とふっと思った。

自由律はこのわたしが支えてくれる。自由だがこのわたしからは逃れられない。どこまでも、起きても、眠っても、恋しても、失っても、終わっても、始まっても

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ふくろうが来そう

ふくろうが来そう

梟の来そうな夜の7並べ  笠井亞子(『はがきハイク22』)

7並べっておもしろいなあと思うのが、7からつなげられる手持ちのトランプを並べてゆくので、私の心や意志なんかちょっとどうでもいいところがあるところだ。

それは絵本の世界にも似ている。
北風と太陽が旅人の服を着せたり脱がしたりするが、旅人の意志は、と今思う。金の鵞鳥にくっついて並んで歩いていったひとたちの意志は、とも。犬猿雉の意志は(あっ

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家じゅうがうどん

家じゅうがうどん

受話器からうどん家ぢゆうがうどん  西原天気(『はがきハイク22』)

いやともかくうどんなんだよなあ、と思う。
この句をみてから、ほんとうにそう思うようになった。
それまではうどんの無意識のようなところにそれを隠していたのだがこの句をぱっと見てからは、うどんの意識のようなものをちゃんと意識するようになった。
それから頻繁に会話にうどんということばを織り交ぜるようになった。

例えば、うんうん、と

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むかしこのへんは海でした

むかしこのへんは海でした

はるのやみ「むかしこのへんは海でした」  長嶋有(『春のお辞儀』)

ほんと俳句ってなんだろうな、とときどき思う。
こんなに短いのにその中で出会ったひとがとつぜん私に話しかける。あのね。むかしこのへんは海でした。そしてその後はほんとうの闇だ。だれにもなんにももうわからない。今が昔だったらもう二人とも私も含めて海の中だ。
やみとうみ。

大学に入ったばかりの頃、俳句サークルに入ろうとして集合場所まで

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幻聴も春の嵐も

幻聴も春の嵐も

幻聴も春の嵐も臥せて聴く  岡田一実(『記憶における沼とその他の在処』)

なにもかも失ってゆく、机に臥せる、暗闇になる、沼になる、でも聞こえるものがあって、それは私事で、世界で、むしろ聴いて、俳句が立ち上がる。

私と世界とで起こっていることがミックスされて音となって、でも私はそのことに立ち上がらない、聴いている、私はゼロになったまま、そういうものを受け止めている。

ゼロになる沼。

ぜんぶ受

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君は少しこわれている

君は少しこわれている

君は少しこはれてゐるね夏の月  佐藤りえ(『いるか探偵QPQP』)

なにもかもがこわれたわけでもなくて、でも全部がちゃんとうまくいっているわけでもなくて、君にその私の全部を見せているわけでもなくて、月が光っていて、私の少しを感じた君が、「君は少しこわれているね」と口にしたのは、昔ちがう君からもまったく同じ言葉を聞いた気がして、ああそうだよ君はとても正しいよ、と思ってしまう。月は凄く長くよく光る。

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別のかたちで生きて

別のかたちで生きて

別のかたちだけど生きてゐますから  小津夜景 (『フラワーズ・カンフー』)

何回も手紙を書き出してみては、違うな、こうではないなと思って、新幹線の揺れる車内でガタガタ書いた手紙も結局違う感じがしてやめて、もうこれは電話をかけて、まるごと生きてます、どうだ、みたいな感じで、全部伝えようかとも思ったけれどそれも違って、『フラワーズ・カンフー』の中の好きな句、「別のかたちだけど生きていますから」とふっ

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見ていて少し遅れた

見ていて少し遅れた

扇など見てゐて少し遅れたる  石田郷子(『草の王』)

いつも気になるのはちゃんとそこにいるひととかすごくうまくできるひとじゃなくて、いつもそこにいないひとだ。

いつも少しだけ遅れて来る。ちゃんとは来る。でも少しみんなと時間なのか世界なのかがずれている。でもずれていてもしかたないじゃないかという雰囲気も持っている。髪とか笑顔とか、なんかそういう時間が貼りついている。
わたしの星ではこうなんだから

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僕は眠る君は起きていて

春の光ぼくは眠る君は起きてゐて  佐藤文香(『君に目があり見開かれ』)

光の中で本当に置いていかれたのは僕と君のどっちだったんだろう。

「僕は眠る、君は起きていて」

俳句という、さっと来て、さっと帰ってゆく詩の中で、
僕は君を置いていくことになる。

僕は見送られる。

たぶんまた、会えるけれど。
今は。光。