好意について

今、恋人がいる。
お付き合いをする前のこと。
数年来の付き合いではあるが、特に特に去年の約1年間が仲良かった。憂鬱な学校も、今の相手がいてくれたから登校が出来た。休み時間に話して、傍から見れば下らない様なことでひたすら楽しかった。ずっっっっっと喋ることが出来た。趣味や価値観も似ていた。好意を向けられていることに気づいてから舞い上がり、相手を好きだと認識するのに時間はかからなかった。もっと近くにいたいと思った。いわゆる両片想いだった。それが楽しくて嬉しくて仕方がなかった。日々の言動から、この人は自分を愛してくれる事を知っていたから。
告白をされた。友達でいるか、恋人になるか。自分が選んだのは、恋人になる事だった。
好きで間違いないと、今度こそは大丈夫だと言い聞かせ信じていた。

本題はここからである。
自分は気づいてしまった。数日たって、相手に対する気持ちが冷めている事に。本当に好きなのか?と疑うことが常になった。自分はどうやら、関係が改めて作られるとそこに縛られている気分になるらしい。いくら距離を置いても、見えない関係の糸はずっと結ばれていることに変わりはない。もっと自由に生きたい。友達は友達でいたい。距離が近くなればなるほど、優しく出来ない。相手の好意が息苦しく、嫌なものに思えてしまう。「重い」や「依存」に思えるのだ。

先程

今度こそは大丈夫だ

と自分に言い聞かせていたのには理由がある。実は、1人前例が居たのである。その時も親しい友達が恋人になった。初めての恋人だったこともあり、純粋に好意を喜べた。しかし相手を好きだからと受け入れた途端、好意が気持ち悪く思えてしまって、重い苦しいと思えてしまって、数日で振ってしまった。

特に今の相手は、自分のことを自分以上に愛してくれている。『自分に救われた』と言っていたので、生涯離すつもりもないらしい。自分をめちゃくちゃ尊重してくれているタイプなので、パートナーとしては満点の存在である。ただ逆に別れてしまえば、相手が生きる屍になることを知っている。(それに関しては、今回重いと考えてしまう原因のひとつではあると思う。)だがそれを抜きにしたとしても、どうしてもあの時に友達のままでいて欲しいという決断をすれば良かったのではないかと後悔をしてしまう。

自分の結論は、
両片想いフラグが立っている時が1番楽しいと思う。考え方としては、別に毎日連絡したり、会ったりしなくても十分。互いに精神的自立が出来ている上での関係でいたい。

これは蛙化現象なのか?