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サッカーからの自立 ⑤前提への回帰

ここまで、サッカーがいかに人を幸せにできるかが大事で、それこそが価値なのだと主張してきました。

ですが、プレイヤーである私(たち)はまず何よりも、「自分」を幸せにしなくてはなりません。


外側とか他者とか言ってきたのに、こんなことを言うのはどうかとも思いますが、「誰か」のためにサッカーをするということになると一気にしらけてきます。

誰かのためであるならば、人間が幸せになるために存在するものとしては、ドラマや映画といった別の、人を幸せにするコンテンツと代替可能になってしまいます。


自分が大好きなサッカーで自分が幸せになりたいという自分軸の欲求が存在するサッカーにこそ、人を感動させられる力があると思います。


ストーリーの認知や、具体と抽象の行き来などはあくまで付加価値としてピッチ外で行うものであり、サッカーという現場で現場で

自分のやりたいプレーを成功させること

目の前の相手に勝つこと

栄光を手にすることetc


こういったことでまず「自分」が幸せになる姿勢がなければ、自分以外が幸せになることがあるわけがありません。


ありがたいことに先進国と呼ばれる国に生まれ

成熟社会を生きている私たちが、必然か偶然かサッカーで生きること(それでお金を稼ぐという意味ではなく)を選択しているからには、サッカーで幸せにならなくてはもったいないです。


その上で誰かを幸せにすることが

サッカーに価値を与える行為だと思います。

サッカーで幸せになっていない人がサッカーで他人を幸せにするなんてちゃんちゃらおかしい話ですよね。




あなたのサッカーがただの習い事とか、進路選択の手段とか、コネやエピソードの幅という意味での就活に強いという幻想に留まっていては、価値を与えるどころかサッカーに対して無礼なのかなと私は思います。


そうならないために、自分軸で考えることは必須です。


だから、

なんでサッカーをするのか?

これが本当にやりたいことか?

この取り組み方でいいか?

と自分を疑うことが必要です。


というか、この問いを始めることが重要とも言えます。

はっきりとサッカーをする理由を答えられてもそれは暫定的な答えに過ぎず、変化するものでもあります。

そう考えられる時点で幸せになる準備が出来ています。



自分の中で答えが出ない場合、そして暫定的な答えがあっても、外に飛び出すべきです。


ずーっとサッカーの中にいたらサッカーしか見れません。


サッカーとほかのこと、それらを自分の天秤にかけて測るべきです。


それでもサッカーに傾くのであれば続けていく理由になります。

そうでないならサッカーから足を洗えばいいのです。


サッカーの世界に留まらず外に出てほかと比べることを続けて、日々アップデートされることが望ましいと言えます。




さぁ、長ったらしく書いてきましたが

こんなふうに考えてきたのはサッカーから自立したいからです。そしてサッカーに価値を与えたいからです。

それはちょいちょい耳にするサッカーへの恩返しという言葉にかえてもいいと思っています。


私は現時点ではサッカーを愛しています。


今年で19年目を迎えるサッカー人生の中で

大学サッカー選手としている今が一番サッカーを愛していると言えます。


その根拠はここで述べてきた
「外を知ることの必要性」に起因し
大学サッカーの可能性に繋がっています。

(脳内では)

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ジョイフル本田つくばFC/ 22歳/ 小さい頃から続けてきたサッカーについて考えを深堀りしたものを頭の整理兼ねて載せています。 ※発信内容は個人の見解です。 所属とは全く関係はありません。 twitter→@hijiri_k_1113
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