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「モノ」や「コト」となかよくなろう

最近、趣味でギターを弾きまくっていることは、以前書いたnoteでお話した。

自分で言うのもなんだけど、ギターの腕前はめきめきと上がっている。そりゃあ一日に2〜3時間も練習していたら、いやでもある程度の成果は出るものだ。

ギターは趣味で、それ以上もそれ以下もなくただそれだけなんだけど、何気ないこととは、時に突拍子もなく面白いことを教えてくれるものだ。

ギターを買うきっかけをくれた人は、「きっとやってて良かったと思う時が来るよ」と言った。その言葉を聞いたときはまったく意味がわからなかったが、今はちょっとわかる。あれは、あながち間違いじゃなかった。

ギターが私に教えてくれたことの一つ、それは「モノ」や「コト」となかよくなることだ。

中学生の頃、私はバレーボール部に所属していた。バレーボールの監督はよく、「上手くなりたいなら、まずはボールとなかよくなることから始めなさい」と言っていた。(たしか、漫画『キャプテン翼』の台詞「ボールはともだち」を引用していた)

私は、ボールとなかよくなるということがよくわからなかった。喋りもしない物体となかよくなる方法などわからないし、少し馬鹿らしくも感じた。

その後、何だかんだで練習に励んだ私はバレーボールが上達した。上達すると、下手だったときとは違う不思議な感覚が生まれる。その感覚とは、何と言ったらいいだろう、言葉での説明が難しい。テクニックでも、理論でも、あるいはトレーニング本に載っているものでもないからだ。

あえて名前をつけるとすれば、それは「手馴染み」とでも呼ぼうか。文字通り、手に馴染んで、扱い方がわかってくるのだ。どうしたら私は思う通りにボールを動かせるのか、そして、ボールの方は私にどうして欲しいのか、それを感覚的に理解できて気持ち良く感じることが、「手馴染み」みたいなことだと思う。

ギターに話を戻そう。ギターも、この頃は随分と手に馴染んできた。初めはギターを抱えるだけでも一苦労だったが、今では腕の中にすんなりと馴染む。あんなに指を痛めた弦も、今はどんな押さえ方や触れ方をしたら美しく鳴るのか、わかってきた。そして楽しくて、もっと弾きたいと感じる。これはテクニックや理論の話ではなく、私がギターとなかよくなったということなのだ。

以前は下手だったカメラも、何百枚も撮っているうちに「こういうときはこの機能を使うと良さそう」てな塩梅で、少しずつ扱い方がわかってきた。人に教えてもらって気に入ったメイクも「もうちょっとこうしたら、もっと自分に合うかも」と試行錯誤を繰り返しているうちに、ベストなやり方を理解し、周りからも好評をもらうようになった。

ギターもカメラもメイク道具も、以前はただの「モノ」だったけど、いまはなんだか、すっぽりと手に馴染んでいる心地がする。

きっと、多くのモノゴトも同じような仕組みになっている。楽器も、スポーツも、料理も、言語も、機械も、絵も、文章も。上達への第一歩は、たぶん、なかよくなることだ。じっくりと相手を見つめてみる、知ろうとする気持ちを持つ、たくさん触れてみる。そしたら、モノゴトが自分に馴染み、自分がモノゴトに馴染む瞬間が、きっとある。

なんでも、ただの「モノ」や「コト」だと侮っちゃいけない。「モノ」や「コト」となかよくなると、もっと楽しくて、きっと今よりずっと良いことがある。それが「好き」や「憧れ」に値するものなら、なお一層にね。

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