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颯爽 〜前編〜

 ガード脇の屋台で、越谷龍一はハンチングを被った山ちゃんこと山崎に縋られて手にしたコップを揺らしていた。
「だからさあ、俺は学生なんだよ。堅気なの!だから山ちゃんに最後まで責任持ってやってもらわないと困るんだって」
 縋ってくる手を離そうと身を捩るが、山ちゃんは必死に食い下がってくる。
「そんなこと言ったって、この話に乗ったのは龍ちゃんじゃないか。一蓮托生で一緒に行ってよ。なんかあっちは怖い人出てきちゃってやばいんだよぉ」
 目の前のちろりから龍一のコップに酒を注いで、山ちゃんは再び握る指に力を込めた。
 この越谷と山ちゃんは、とある日の競馬のとあるレースにノミ屋を使って参戦した。
 龍一にしてみたら、この日のこのレースは大穴も大穴で、多分競馬場でできる予想屋が力説したって誰も信じない馬が勝つことはわかっていた。なのでどうしてもこのレースはいただきたかったが、龍一はこの日、学校側から退学をかけた試験を設定されていたのだ。流石に退学は迷惑をかけ通しの親にも顔が立たないので、仕方なくノミ行為に手を出したと言う事だ。 
 元金5万つっこまして、大当たりの万馬券も万馬券300万を当てていたのだが、さて、その配当金がいつになっても還ってはこない。
 山ちゃんも龍一に倣って同じ馬券を買っていたので総額600万。
 ノミ屋も災難である。大したレースではないので客も少ない上に300万円を当てた者が2人も出たら、赤字である。還したくない気持ちもわかるが、それはそれだ。
 しかし、そう言う場には「そう言う」人物がいるのは普通で、山ちゃんも頑張って取り立てに行ったのだが、逆に脅されて帰ってきてしまったと言う事だった。
「怖い人?なら尚更だよ。俺の出る幕じゃないだろ」
 流石に腕を振り解いて、今度は自分でちろりから注ぎ屋台の親父さんにもういっぱいとちろりを上げて注文をする。
「じゃあ龍ちゃんは金いらねえんだな!」
「ふざけるなよ、最低でも元金くらいは返してもらうぞ。俺は被害者なんだからな」 
 クリスマスも近い真冬。こんな季節には屋台のおでんも酒も格別なはずなのに、酒も苦ければおでんの味なんて判ったものではない。
「冷てえなぁ…あっ」
 手酌をして寂しそうに呟きかけて、山ちゃんは思い出したように声を上げた。
「龍ちゃんさ、」
 声を顰めて龍一の肩を引き寄せる山ちゃんに、気色悪そうに眉を顰めながらそれでも耳を貸してやる。
「龍ちゃんそっち方面の友達いるって言ってたじゃんか。その人に頼めないかな」
 龍一の頭に、ツーブロックを後ろになでつけた髪型のニヤケ顔が浮かんだ。
 高校の同級生で、途中で本物さんの門を叩いてしまったが、割と頻繁に飲んだり遊んだりしている仲間である。
「えーー?あんまそんな揉め事はさぁぁ」
 とは言ってみるが、龍一とて元金くらいは取り戻したい。
「しょうがねえなあ…」
 そういってバレンシアガの内ポケットからスマホを取り出し、立ち上がった。
「一つ言っとくけどな、その筋に頼み事するってのはよっぽどだからな。どんなんなっても文句言うなよ。あと勘定しといて」
 そう言い残して、スマホをいじりながらガード下の方へ歩いてゆく龍一を見つめ、山ちゃんは少しだけ不安になっていた。
 見送った顔を元に戻すと、屋台の親父が
「2000円に負けとくよ」
 と笑って右手を出した。

**********************

「佐伯さん、今夜の集金です」
 この組で一番若い児島が、事務所の奥のソファに寝転んでいる佐伯神楽の脇のテーブルへ数十万のお札を置いた。
「お、お疲れって随分多いな今日は、どした?」
 シマ内の数軒の店にランダムに行って、今ではみかじめ料というものは法律で禁じられているため、お世話代として集金をしてくるのが若い者の仕事だ。名前が変わっただけとも言うが…。
「今日は3件ほどの予定だったんすけど、「Bee」と「マドンナ」のママさんが『佐伯ちゃんによろしくぅ』っていつもの倍くれたんす」
 この2件はオネエ様のお店だ。
 途中、オネエ様ふうの声を真似して説明した児嶋の真似がツボったのか、テーブルの反対側にいた佐伯の相棒姫木が小さく声を出して笑い、佐伯も起き上がりながら
「上手いな児島、店手伝えるんじゃね?」
 と笑い、札束を手にした。そしてー戸叶呼んできてーと児嶋に言いつけ枚数を数え始めた。
「お呼びですか?」
 呼ばれた戸叶が佐伯の脇に立つと、まあ座れと隣に座らせ
「今日の集金50万だった。明日牧島さんの所にこれ合わせていくら持って行ける?」
 と尋ねる。
「50万…2本くらいは行けるんじゃないかと」
 1本は100万円。
「それなら大丈夫だな、なんとか面目立ちそうだ。じゃあ準備しといてくれ」
「わかりました」
 戸叶は、佐伯から50万円を受け取り隣の部屋へ消えていった。
「新法以来、上納金も大変になったよなぁ」
 再び寝転んで、誰にともなく佐伯はつぶやく。
『高遠』は、組員のしのぎには寛大ではあるが、その寛大さに組員が付け込まないのが統率力の堅い証拠でもあった。
 佐伯たちは、一種特別な組なので上納金の設定はないのだが、自分たちでその月に稼いだ半分を直の上の組「牧島組」に上納すると決めていた。 
 直の上の組。それは本家高遠組の最高幹部である牧島が構成している組で、高遠の中では、本家に次ぐ大きさを誇る。
 佐伯たちは訳あって牧島に世話になり、一つの組を組織していると言うよりは高遠組の一声で、どこにでも特攻をかける特攻組織として存在しており、組の内外の問題に片をつける組織であった。
 それが一種特別な組と言うわけだ。
「しかし、有難いよなママさんたちな。今時稼げない中貴重だよ」
 それにはテーブル向こうの姫木も目をあげて、返事はしないがーそうだなーと言った顔で、再び雑誌に目を落とす。
「なんかこう…儲かる仕事ねえかな…」
 と、佐伯がつぶやいた時だった。佐伯の携帯が鳴り、テーブルの上からめんどくさそうに持ち上げた佐伯は、
「お?儲け話か?」
 と嬉しそうに受話ボタンを押した。
「よー龍一、久しぶりだな」
 龍一という名前に、姫木も顔を上げる。
 学生時代につるんで悪さをした仲間だ。姫木も顔馴染みだ。
「ん?へ〜、どこの誰?わかんねえ?それじゃどうにも…うん」
 佐伯の声だけ聞いてるので、要領を得ない。
「おう、わかった。じゃあ明日駅前のドトールに2時な。じゃ」
 スマホをテーブルに置き直して、姫木に声をかける。
「明日龍一とちょっと会ってくるからさ、牧島さんとこ頼めるか」
 タバコに火をつける佐伯に
「越谷さんなんだって?」
 牧島の所に1人で行くのが嫌な訳ではないが、牧島への礼は2人で尽くすものと暗黙だったので、それ以上のことなのかということだ。
「儲け話だ。うまく行けば300は固いな。牧島さんにはその旨伝えて、礼を欠いた詫びをしといてくれ」
 ここの所身入りも少ないという話をしていた矢先のことなので、姫木も何も言えない。
「わかった」
 と返事をして立ちあがる。
「帰ろう」
 唐突な姫木に反応したのは、姫木付きの佐藤だ。
「送ります。佐伯さんはどうしますか?」
 佐伯と姫木は同じ部屋に住んでいた。
「一緒に帰るわ。お前たちももういいから帰んな」
 佐伯は唐突に帰宅を言い出した姫木に思うところがあり、そう言って佐藤の持っていたキーを貰い、おやすみ〜と2人で部屋を出て行った。

「龍一がノミ屋に手出してさ、元金から配当までまんま巻き上げられたんだってさ」
 帰りの山手通りを渋谷に向かいながら、佐伯はそう言って窓を開けタバコに火をつけた。
「向こうさんにそれ者(もん)がついてるらしくてな、それで俺ンとこに来たわけよ」
 姫木が急に帰りを急いだのは、佐伯が電話の内容をすぐに話さなかったからだ。
「まあ、一応友達の事だし、皆の前で言うのもなんだと思ってさ」
 佐伯の言葉に姫木はーそう思ってたーと頷いた。
 姫木がぼんやりと眺めている街の風景は、クリスマスも近いせいか華やいでいて、歩いている人々も心なしか浮かれているようにも見える。
「こんな時期に災難だな」
 そういう姫木の口元は緩んでいて、その人の悪い笑みに佐伯が苦笑した。
「まあそう言うな、学生さんは何かと金がいるんだよ。あいつはあいつで懸命に生きてんだから」
「学生さんねえ…」
 一浪はともかく、遊びで4年も留年している上に、下北沢周辺のパチンコ屋の出入りを差し止められるほどの腕前と、負け知らずの麻雀と競馬で生計を立てている男が、懸命に生きている学生さんとは思えない。
「でも越谷さんみてえな人が珍しいな」
 高校時分から、大胆な行動と緻密な計算でこう言った失敗は絶対にしなかった龍一だ。姫木の疑問も当然だ。
「間に誰か入ったみたいだぜ。大体あいつは自分で予想や張れるくれえの競馬バカなんだからさ、今回だって勝算しかなかったんだろ。何があったか知らねえけど、ノミ屋に手を出したのは間に入ったやつの手落ちだな」
 退学(クビ)をかけた試験を受けていたことは流石の佐伯も知る由もない。
「話聞いてみねえとわかんねえけど、大方そんなデカくもないレースで1人300万もの当選金がでちまって、ノミ屋の方がびっくりしたんじゃね。そりゃあ払えないだろ」
 600万だぜ、と嫌な引き笑いでタバコを窓の外に投げる。
「おい、タバコ外に捨てんな」
 姫木が真面目な顔で言ってくる。
「わかってるよ、地獄に落ちるんだろ?でも俺らは、タバコ捨てる以上に地獄行きなことやってるじゃねえか、固いこと言うなって」
 一瞬言いくるめられそうになった姫木は、それはそれだ、と車の灰皿を引き出し指を指した。ヘイヘイ、と応じて佐伯は まだいいや と灰皿を閉じる。
 自分達のしていることを思えば些細なことなのだろうが、姫木はそれだからこそ「地獄行き」なんて言う迷信を気にしてしまう。佐伯とつるんでこの生き方を選んだのなら、地獄に落ちても共に同じ獄卒にと願いたい。
「まあそう言うわけで、取り立ての仕事だし2人で行くこともねえだろ。牧島さんの方頼んだぞ」
「ああ」
 と返事はしたものの、龍一がこう言った形で助けを求めて来るのは初めてのことだ。よくよくのことなんだろうな…と姫木も思う。が、まあ1人300万と考えれば、確かに「よくよくの事」ではあるなと1人で納得して、少々1人で行かせるのが心配だった気持ちが和らいだ。
「儲けは山分けにするからな」
 新しいタバコに火をつけて、嬉しそうにそう言う佐伯の隣で、姫木はゆっくりと灰皿を引き出した。

 午後2時のドトールは、比較的空いていてノートパソコンや分厚い参考書等を広げている者以外は、数人の年配者のみだった。
 店に入って見回すと、喫煙ブースの中に龍一は居た。
「何ドジ踏んでんだ?」
 ニヤニヤ笑って、コーヒーを啜る龍一と山ちゃんの前に座った。
「着く早々嫌味言ってんじゃないよ。あ、こっちが山崎。山ちゃんでいいよ」
「よろしく」
 山ちゃんは軽く頭を下げる。
「山ちゃん、こいつが佐伯。こんな顔してっけど、高遠の特攻隊長だぜ、怒らすなよ」
 龍一の言葉に思わず身を固くする山ちゃんを見て
「やめとけよ、堅気の人間になんもしねえよ。俺はシロートさんには興味ねえ」
 言いながらポケットから千円札を2枚出して、山ちゃんに渡すと
「俺、ブレンドね、砂糖いらないからミルク5個くらいもらってきて。残りは、2人で好きなスウィーツでも食べなよ」
 スウィーツの辺りを強調されて、龍一は嫌な顔をした。なんか企んでる…と言う顔だ… 山ちゃんは言われるがままに注文カウンターへ赴き、龍一はカップを置いて佐伯を睨む。
「なんだよスウィーツってな」
「ん?だってお客様じゃんか?お 前 た ち」
 音符でもつきそうな声で、人好きのする笑顔をした佐伯は背もたれに寄りかかる。高遠の特攻隊長さんは、今日はすこぶる機嫌がいいらしい。なんせ大金が入るから。
 それから山ちゃんが戻ってくるのを待って、3人は話し始めた。
 因みに、山ちゃんはモンブランを龍一にはかぼちゃのタルトをちゃんと持ってきて、ニコニコと食べ始めていた。「俺な、退学(クビ)がかかった試験受けさせられてたわけよ、レース当日。だもんで、山ちゃんに頼んでたんだけど、こいつノミ屋に行きやがってさ!」
 隣でモンブランを美味しそうに食べている山ちゃんを憎々しげに睨んで、龍一もカボチャを口にした。しかし、このケーキ二つがいくらになっちゃうんだろうかと考えると、味なんかしなかった。最近まずい食い物ばかりだな、などと考えながら先を続ける。
「あの時のレースはさ、レース自体が穴だったんだよ。先に入ったチトセコーヨーってのは、厩舎も馬主もなんの関係もないところから来てるから知らないやつの方が多いけど、あいつはトーヨーヒーローの種貰ってんだ。地方でも戦績残してるし、あんななんの変哲もないレースなら1等取れることになってんだよ」
「ああ、あのレースの話か」
 組の新入りにさせているノミ屋で、高額の配当金が出て大損したと言う話を佐伯はミルクを入れながらそこで思い出した。
「往年の名馬の子種とはねえ…さすが競馬バカだな」
 と、続けて佐伯は苦笑するしかない。
「話はわかった。俺はどっちの気持ちもわかるから複雑だけどさ、今回は龍一(お前)たちの味方になってやる」
 コーヒーを一口飲んで、少し恩着せがましい感じで言うと、
「で、報酬の件なんだけど」
 ニコニコした顔をますます破顔させて、足を組む。
「なんとか良心的な金額で頼むよ」
 嫌な顔をして、佐伯の顔も見ず龍一はタルトのカボチャ部分をフォークでぷすぷすと刺し始めた。
「やなこと言うなよ、俺らはいつだって良心的だぞ」
 はいはいと流して
「で?」
と促す。
「これでどうだ」
 佐伯は右手でVサインのように二本指をたててくる。
「に…じゅうまん…?」
 山ちゃんがおそるおそる言うと
「馬鹿言ってんじゃないよ山ちゃん、桁が違うよ、け た が」
「200万??」
 山ちゃんは思わず大声を出してしまい、店中の人間から注目を浴びてしまった。
「そうそう。あ、それ1人の料金だから。毎度あり」
 さっきから機嫌がよかったのはそのせいか…と龍一は頭を抱え、山ちゃんはちょっと放心している。
「ボリすぎなんじゃねえの?」
 流石に龍一も言ってみるが
「お前じゃなかったら断ってる話だぞ?俺等は個人で他の組と渡り合うの基本的に違反なんだよ。決まりがあるわけじゃねえけど、組に迷惑かけがちだからな。俺らみたいな特攻屋は、いざという時いつでも動きが取れないとまずいんだ。今だって急になんかあるかもしれないし。それを推してやるんだぞ?」
 解るか?とタバコを取り出した。龍一は抱えた頭をそのままに山ちゃんの方を向いた。
「な?山ちゃん言っただろ。何があっても知らねえって。この筋のやつなんてこんなもんだよ」
 山ちゃんは、まだ少し現実が掴めていないようだ。きっと300万もあったらあんなことできて、こんなこともできて、あまつさえそんなものまで買える!と夢がいっぱいだったに違いない。
「いいじゃねえかよ、100万入るんだからさ。ついでに元金も巻き上げるから、それはちゃんと返すし。高い消費税払ったと思ってさ」
「100パー超えてんじゃねえかよ」
という龍一の反論も山ちゃんには届いていないようだった。
 相変わらず語尾に音符つけて話している佐伯は、苦い顔の龍一と、呆けている山ちゃんには構わずに、商談成立っと龍一の右手をとって無理やり握手し、放心している山ちゃんの右手も持ち上げてハイターッチ と手を合わせてパチンと音を鳴らした。

 薄暗い小さなマンションの1室は、簡素な応接セットと片隅にお茶を入れる程度しかできないミニキッチン。そしてその傍にドアがあった。
 そのソファで佐伯は龍一と並んで座り、目の前に座ったひょろっとした日弱そうな男と対峙している。山ちゃんはもう一つの1人がけに座っていた。
 そんな山ちゃんはガチガチに緊張して微動だにしないし、逆に佐伯の隣の龍一は足を組んでタバコをぽっかりと吸っている。図太すぎじゃねえか?と内心苦笑いしながら、佐伯は手元のジッポを弄んでいた。
 言われていた怖いお兄さんはいなくて、佐伯は部屋をぐるりと見回してからタバコを一本取り出す。
「先日ですね、この者たちがお宅で馬券買ったらしいんですけどそれがねえ大当たりしたらしいんですよ。でね、その配当金がまだ支払われていないって言うことで、本日いただきに来たんです」
 膝に肘をついた前のめりな体制で、未だジッポをいじっている佐伯はじっと目の前の男の目を見つめていた。
「そんな事実…はない…ですが…」
 男の言葉に、佐伯はわざとテーブルの上にジッポを落として即座に片手を内ポケットへ忍ばせた。
 ガラスのテーブルは派手な音をたて、割れはしなかったが佐伯の内ポケットへ手を入れる動作と相まって、男は
「ヒィッ」
 と情けない声を上げる。
「これ、こちらの受取証書ですよね…」
 内ポケットから出したのは、この部屋の住所と「馬券ハウス」と可愛いロゴで書かれた領収証。テーブルの上に置かれた紙を、男は目だけで確認して
「あ、え…ああ、そうですね…うちのですね…」
 先ほどの佐伯の行動で、銃でも出してくるんじゃないかと怯えたのすら証拠になるのにな、と龍一は相変わらずぽっかりと煙を吐いてそう思っていた。
「そして、ご挨拶が遅れましたが、俺はこう言うもんです」
 佐伯はもう一枚テーブルに置く。それは佐伯の名刺だった。
「さ…佐伯さんですね…どうも…でも、うちはちゃんと配当金も渡していますし…300万もの金をどうこうしようとは…」
 その瞬間佐伯の口が釣り上がった。
「300万って、俺言いましたっけ?」
 男はハッとして身を固くする。
「失礼ですが、お名前は」
「か、加藤です」
「では加藤さん、1人300万。合計600万円払っていただけますね」
 じっと見られて、加藤はチラチラとミニキッチン脇のドアを気にして返事をしない。
 佐伯もさっきからのこの目線はわかっていて、多分あのドアの向こうに怖いお兄さんが控えているのだと踏んでいた。
「あ、あの…少しお待ちください…」
 へへっと愛想笑いをして、加藤は気にしていたドアへ入ってゆく。
「なんだあいつ、てんで意気地なしじゃんか」
 かなり短くなったタバコをもみ消して龍一は鼻で笑った。
 まあ龍一にも、今加藤が入って行ったドアの向こうに山ちゃんを脅したソレもんがいるのだろうことは判っている。「どんなやつやら」
 佐伯は、落としたジッポを拾ってドアへと目をやる。それと同時にドアが開いて
「何か御用があるとか」
 スキンヘッドの大男が現れた。この男の後ろに立つと、ひょろひょろ加藤は隠れて見えないほどだ。龍一はいかにもな男が現れたことがおかしくて、怖がる風に顔を覆って自分の膝に顔を埋める。
 大男は脅しをかけるように、威圧的な言葉と態度で佐伯たちが座るソファまでやってきて、先ほどまで加藤が座っていた場所へ腰を下ろす。
 佐伯も、同業が出てきたのなら話は違う。対等に話すため目の色が変わった。タバコに火をつけ、
「配当金をいただきにきたんですよ」
 居丈高にふんぞりかえる男に大きく吸い上げた煙を思い切り吹きかける。
 正面から煙をかけられた男は露骨に顔をしかめて、右肩をグイッと迫り出してきた。
「支払いは済んだと、さっき加藤も言っただろ。済んだこと今更言われてもな」
 ほとんどガンのつけ合いで2人は目を離さない。
「あんたの事、俺知ってますよ」
 高遠の系列でも下の組織のチンピラだ。
 男はその佐伯の言葉に何を勘違いしたのかフフンと鼻を鳴らし、
「ならとっとと帰るんだな。痛い目見ないうちにな」
 と腕を組んで、さらに威嚇をしてくる。
 佐伯は咥えようとしていたタバコを外し
「よくテレビドラマとかで、ドラム缶にコンクリート詰めにして東京湾に沈めるぞ、とか言うの…聞きますよね」
 そう言ってわざと視線をテーブルの上に向けた。
 目の前の男はどう見ても組織の中核を成す人物には見えないし、目を見れば判るが絶対に人を殺めたことなどない人物である。
「やった事、あります?」
 言いながら視線を戻し、大男の目を再びまっすぐ見つめた。
「あれはいいですよね。本当にわかりませんから。行方不明の何割かは、あそこにいるんじゃないかなぁ」
 微笑みながらの佐伯の言葉に、男の目が泳ぎ始める。
 そばで見ている龍一が見ても、圧が圧倒的に違っていた。
「近藤さんのとこの人でしょ?あんた」
 男の目が一瞬見開かれるが、年齢が明らかに佐伯より上の男は、舐められまいと必死に佐伯の視線に食い下がる。「それがどうした。俺ンとこの組長(親父)の名前知ってたって偉かねえぞ」
「褒めてくれなくてもいいんですけどね、ちょっとした知り合いなもんで、近藤さんとは」
 目を離さずにそういう男は、見るからに20代前半で、チャラチャラしていて、その辺のチンピラ風に見れば見えなくもないのに、迫力が今まで自分が会ってきた人物たちとは全く違うのだ。ー何者なんだこいつ…ー大男は背中を流れる冷や汗に気づかれまいと、目だけは逸らさずに対峙する。
「こうもね、素人さん相手に道理に反したことをされちゃうと、近藤さんに直接話に行かなきゃならなくなっちまうんだよな」
 20cmの距離で再び佐伯は大男に煙を吹きかけた。しかし大男ももう一歩も引けない。
「やれるもんならやってみろや」
 煙を払いもせず、言ってのけた。
 高遠の末端に位置する近藤組の組長近藤は上昇志向の塊で、高遠の中でも幹部への憧れが強い男である。そんな中で、部下の1人が素人相手にせせこましいトラブルを起こし、組のものと揉めたとなれば、よくて半年の病院行き、最悪破門だ。
 しかし大男は、まだ佐伯が同じ高遠のものだとは気付いていない。圧は凄いが、まだどこかのチンピラだと信じているのである。
 だから、佐伯が携帯を取り出し手慣れた様子で操作しているのを見ても、こんな若造がどこまでハッタリを…としか思っていなかったのだ…が、不意にテーブルの上に置いてある名刺が目に入った。『高遠興業 佐伯神楽』
 シンプルな名刺で、いやでも高遠の名前が目に入るし、その名前には流石の大男も聞き覚えがあった。ー佐伯…ー 高遠の本家の名刺な上に、その名前。以前組の上のものから聞いたことがあった。
 高遠には、密かに特攻組織があってそいつらに目をつけられたら命幾つあったって足りないと。組の内外のトラブルに出てくるから、あまり粗忽なことすんな、と言われていた。その中の代表が確か佐伯神楽と姫木譲だったはず…。  
 大男は、携帯を耳に当てて呼び出し音を聞いている佐伯の顔を見て青ざめた。 こいつはハッタリでもなんでもない、即座に声が出た。
「や、やめろ!」
 最大の見得でその言葉を発したが
「はあ?」
 と言う、佐伯の怒気を含んだ声に
「や…やめてください…」
 と小さな声で言う。
「やめてください、お願いします!」
 佐伯が、はい復唱!と言うのに合わせて
「や…めてください…お、お願いします…」
 悔しそうに歯を食いしばりながら、言う大男に龍一はもう我慢ができなかったようで、ププッと吹き出していた。  
 名刺を確認して、そこから様子がおかしくなったのを見ていた龍一は、天下の高遠組でも名高い佐伯だと知ったんならその場で屈した方がまだ見栄も保てただろうに…とちょっとかわいそうになったが、ともあれこれで安心だと胸を撫で下ろす。
 ずっと蚊帳の外みたいだった山ちゃんも、気軽に話していた佐伯がこんな大男が冷や汗をかくような人物だと知って、違う意味で顔が青ざめ、そして200万で済んでよかった…と心底安心をした。
「それじゃ、2人分の配当金600万プラス元金10万、今ここで払ってもらおうか」
 タバコを灰皿に押し当てて、火を消す。
 その際にそのタバコが最後の火を燃え上がらせた。その火が大男に、『高遠』の特攻隊長を印象づけるのは容易いことだった。

『姫木〜〜〜』 陽気な佐伯の声が携帯から飛び出してきた。
「なんだおせーぞ。何してんだ」
 後ろから下手くそな歌が聞こえてくると言う事は、どこかのスナックでもあるのだろう。姫木はスマホを切ろうと耳から一旦外す。
『今、龍一たちと飲んでんだ。お前も来いよ』
 今まで帰りを待っていたのは少々心配していたからで、そんな元気な声で連絡がついたなら寝るのが先だ。
「もう寝るから行かねえ」
『なんでだよー!来いよー』 
 陽気になっている佐伯にため息をひとつつき、姫木は今日の報告をとりあえずすることにした。どうせ明日になれば覚えちゃあいないんだろうが、言うことは言っておかないと気が済まない。
「牧島さんとこ行ってきたぞ。うまくやれって言ってた」
『え?お前牧島さんに言ったのか?』
「おめえが儲け話に乗ってくるって言えって言ったんじゃねえか」
 佐伯は
『そうだっけ?いや、もし今回どじったりして喧嘩にでもなったら、牧島さんに迷惑じゃねえかなと思ってさ』
「喧嘩になったならどのみち知れるじゃねえかよ。自分の言葉にくらい責任持てよ酔っ払い。まあお前が失敗するとも思ってないけど。その分ならうまく行ったんだろ」
 姫木の言葉に、電話の向こうの佐伯は妙に照れ出す
『愛されてんだな…俺』
 ニヤニヤしながら話している顔が想像できて、姫木は見えない相手に嫌な顔をすると
「愛しちゃいねえけど、まあ…多少は信用してる」
 と告げる。
『愛してるって言えよ!』
「うるせえ!もう寝るからな!邪魔すんなよっいいなっ!」
 冷たい言葉を吐き捨てられた後のツーツー音ほど虚しいものはない。しかし浮かれポンチな佐伯は
「照れやがってーこのー」
 とスマホを指でツンツンして、そして皆の元へ戻って行った。
 その瞬間 姫木の背筋がブルっと震えたかどうかは誰にもわからないことだった。

数回の呼び出し音に応えた声がいつもの元気な声とは違って、榊は目を細めた。
「友哉?どうした、元気ないな」
 電話口に出た男はーそうっすか?そんな事ないっすよーと笑った声で応える。
 電話の向こうの男は、新浜友哉という榊が面倒を見ている大学生だ。
 以前榊が非常に世話になった高遠の幹部の息子で、その人物が長期の懲役に服すことになり母親も病気で失って身寄りのなくなった友哉を榊が全面的に面倒を見ることにしたのである。
 いつもデカすぎるほどの声と自信に満ちたハリのある話し方で、聞いている榊まで元気がもらえそうな感じなのだが、その友哉の様子がおかしかった。
「ちょっと話があってな、今から少し寄ってもいいか」
 元気がない理由など、電話で聞いたところではぐらかされるのは目に見えていたので、用もあることだし行ってから聞こうとそう聞いてみた、がその返事さえ
「あー、えっと…10時過ぎなら…大丈夫です…けど」
 と、こんな感じだ。腕時計をみると、8時56分。10時過ぎるまでには小一時間ある。
 榊は眉根を寄せて電話の奥の音に耳を傾けた。シャワーの音がした。
 友哉の部屋は2LDKのマンションで、リビングに使っている部屋は廊下を出てすぐに浴室があり耳を凝らせば微かに水音が聞こえる。
 榊はその音に少し微笑んで10時頃に行くと告げた後、携帯をスーツのポケットへ流し入れた。
 友哉も大学3年生だ。彼女の1人くらいは居たって変じゃない。
 最初に会った時は、バスケに夢中な14歳で、元気が服を着ているような子だったのを覚えている。
 榊が友哉の父親の新浜に拾われたのが21くらいの時だから、6つ年下の友哉は弟のようでずっと可愛がってきた。「なんだか変な感じだな」
 友哉に彼女がいるようなのを確認してしまうと、榊の方が照れ臭くなってしまい1人苦笑してしまう。
「何笑ってんだ…?」
 帰り支度をしていた牧島が、立ったまま1人でニヤニヤしている榊を気味が悪そうに見ていた。
「あ、いえ、なんでもありません。お帰りは、真っ直ぐマンションですか?」
「いや、恵比寿に寄る。友哉の所に行くんだろ、送らなくていい」
 そんな牧島の言葉に、榊は曖昧に微笑んで頷く。
 ここのところ最近買ったばかりの恵比寿のマンションに頻繁に通うのだ。
 理由は榊も知っている。
 知っているからこそ、毎回曖昧にしか応えられなかった。
 柳井組の2代目を継いだ、柳井健二と会う場所だからだ。
 柳井組は、高遠とは敵対関係にある日本で2番めの組織で、少し前までこの二つの組は下の者でさえ街で合えば喧嘩になる程の仲の悪さだったのである。今は公安も介入した双方の組長同士の話し合いで休戦となってはいるが、いつその火種が燃え上がるかは誰にも予想できない状態でもあった。
 その跡目を継いだ2代目と高遠No.2の牧島が密会場所を持っている。
 このことは本人同士と、榊、柳井健二の側近山形しか知らないことだ。
 牧島は『組に迷惑はかけない』と言っている。
 それは勿論なのだが、牧島の腹心とも言える榊でさえも牧島の考えている事が理解できなかった。
 ー事務的に処理できる感情じゃねえんだから、頭で考えたって解んねえよ。俺達でさえよく解ってねえことを解られたら、そっちの方が気味が悪いー と、そう言って榊の納得も求めない。
 しかし、そう言われても榊には男同士でどうの、というよりはやはり組が大事だし何より牧島も大事なのだ。
「先に帰るぞ。まだ残るのか?」
 微妙な顔で自分を見つめる榊にできるだけ普通に話しかけ、腕をポンポンと叩いて問う。
「ええ、友哉の所に行くのに時間ができたので、少し残務やってます」
 牧島はー解ったーと片手を振って、部屋を出て行った。

 路上に車を停めて友哉の部屋へ歩く榊の息は、今年初の冬日というのを裏切らず真っ白に流れていた。
 言い訳として残務処理を言い出してはみたが、思いの外手間取って時間が23時に近くなっている。しかもここのところ続いた小春日和のせいで着ていた薄手のコートは時間も遅くなったことで増した寒さを身に凍みさせていた。
 そんな寒さに肩をすぼめて、あと10mほどの距離を足速に歩を進めていると知らず俯き加減になっていた自分へ、マンションから出て来たのあろう男がぶつかってきた。
「気をつけろ!」
 GUCCIのブルゾンに両手をツッコましていた男はそう怒鳴って歩いてゆく。
 榊もかなりな衝撃でぶつかられたのだが、ここで騒動を起こしても仕方がないので唾を吐き捨てる男の横顔を確認しただけでエントランスへ足を踏み入れた。
「さっきまで知り合いがきてたから散らかってるけど」
 と、散乱している雑誌類を片付ける友哉に、榊は笑ってーいいからーと丸いラグの上のクッションに座らせる。
「寒かったでしょう、コーヒーでも淹れますけど」
「いいよ、すぐに帰るから。それより再来年の就職のことで話がな…」
 就職氷河期とまで言われ、今の学生にとっては死活問題の状況に友哉自身も頭を悩ませていた。
「いい所あるんすか?」
 仕事が決まるならいつだっていい。早いうちに決めておけば安心だ。
「電機メーカーの営業なんだが、どうだ。大手の子会社だからそうそう小さな会社じゃないし」
 榊はコートの内ポケットから、企業名の入った封筒を出し友哉へ渡す。
「一応試験みたいなものも来年の6月にやるらしいけど、よっぽど悪くない限り入れるようにしておいた。まあ、要するに強力な“コネ”ってやつだけど、試験は大丈夫だろ?」
 親が懲役で、榊に面倒を見てもらっている手前、勉強だけはしっかりとやってきたつもりだ。試験は大丈夫だという自信はある。
「大丈夫っす。大丈夫じゃなくても、来年の6月までにはなんとかしますから。あ〜〜よかった!なんか一安心だな」
 友哉の父親、新浜の意思もあって友哉は父親の世界には触れさせないできた。榊が唯一その世界の人物だが、暴対法以降組織は株式会社を名乗っているので、側から見たら榊とてエリートサラリーマンにしか見えない。
 普通の子のように、真っ当な家庭の子であるように、と友哉の父親は自分から隔離して育てた子供だ。母親もまた複雑な家庭で育ち、銀座のクラブに勤めていた時に新浜と出会い妾という形で一緒になった。
 母親も新浜の意思を尊重し、自分もまともに親に育てられてきていないにも関わらず、それを反面教師にしてなのか友哉を極々普通の子供に育て上げてくれた。しかしその母親も、新浜が懲役を食らった先の大抗争の頃、大病を患い発見からわずか半年という速さで亡くなってしまったのだ。
 当時友哉は14歳。榊と初めてあった年齢だった。
「その会社な、実業団ではあるけどちゃんとしたバスケ部もあるらしいんだ。これを機にまた始めたらいいんじゃないか?」
 中高通じてバスケをやってはきたが、大学に入った時にきっぱり辞めた。代わりにアルバイトを始めて今では生活費くらいなら自分で稼いでくるほど熱心にやっている。
「榊さんに面倒を見てもらってるのに、自分だけバスケで遊んでらんないっす」
 へへっと笑って、友哉はコーヒーを淹れに立ち上がった。
「遊びじゃないだろう。そこで頑張ってれば、今はプロへの道だってある。バスケで飯食ってくこともできるんだぞ?夢だったじゃないか」
「いやいやいや、もういいんすよ。俺はちゃんと仕事して、榊さんに少しでも恩返ししていかないと」
 大ぶりのマグカップになみなみとコーヒーを注ぎ、慎重にそれを榊の前のテーブルへを持ってくる。
「俺のことは気にしなくていいんだぞ。俺は新浜さんに面倒見てもらってて、今の俺が有るのは新浜さんのおかげだと思っている。その恩返しをしているだけなんだから」
「榊さんの面倒見たのは俺じゃないからね。俺は俺の恩返しをするんだよ」
 随分と生意気な口をきくようになったもんだと呆れる反面、なんだか少し嬉しくもあって榊はどういう顔をしていいか判らなくなっていた。
 そして生意気で思い出したが…
「友哉、お前彼女できたのか?」
 せっかくのコーヒーが冷めないうちにとナミナミのカップに口をつけながら、友哉の様子を伺う。
「え?なんで?いませんよ」
「とぼけなくたっていいんだぞ。今夜10時まで空かないとか言われた時、シャワーの音ちゃんと聞こえたぞ。彼女返さなくたってよかったじゃないか」
 紹介してくれよ、と笑う榊の言葉に友哉の顔が一瞬曇った。
「友哉?」
「あー、うん。実はそうなんすよ。俺にもやっと春かなって。へへっ」
「そうか、よかったな。仕事も決まりそうだしいいことばかりだ」
「そう言えばそっすね。本当に仕事のことはありがとうございます。試験頑張るっす」
 ーおう、がんばれーと友哉の肩を軽く叩いて、榊はその後少し雑談をした後部屋を後にする。
 話は合わせたが、榊は友哉の顔が一瞬曇ったことを見逃してはいなかった。
 車に乗る直前に、タバコに火をつけマンションを見上げる。
「何か、隠してんな…」
 そう呟くと、車に乗り込み近視用のメガネをかけた。
 黒いレクサスは闇に溶け、真っ赤なテールランプが街灯の少ない坂道をゆっくり下ってゆく。
「裏から調べるか」
 こと友哉に関しては、知らないことがあるのが落ち着かない榊は、ゆっくりとハンドルを切り自宅へと向かった。

 ほっぺたを何かで叩かれ、姫木は不機嫌そうに目を開けた。
「ただいま」
 目の前に佐伯の顔があって、驚く間も無くチュッと唇にキスをされる。
「酒臭え……ていうか、降りろ。起こすなってさっきちゃんと言ったぞ」
 半分寝ている姫木の手に、4つの百万円の束を握らせて、
「今日の報酬」
 と言って佐伯はにっこり笑った。
「明日にしてくれ。眠くて…だめだ」
 と言いながら眠りに落ちていってしまう姫木を、佐伯は抱きしめて頬やら額やらにキスをしまくってくる。
「うぜえ、やめろって…」
「なあ、しようぜ姫木。なあってば」
 隆一たちの仕事がうまく行って機嫌のいい佐伯は、姫木の肩をゆすって催促などを始めた。
 こうして酔っ払うと、佐伯は姫木を求めてくる。2人の行為は元々とある条件下での物ではあるのだが、その時の快楽は何物にも代えがたく、佐伯は姫木に密かに夢中になっているのだ。あくまで密かに。
 その条件というのは姫木が主導で、自分がどうしても止められない衝動を佐伯が流してくれる。最初はそういう関係だったのである。しかしその衝動を流す目的での行為は佐伯でしかダメなで、女性で試したこともあったがその時は女性を傷つけてしまいそうになり一歩手前でどうにか抑えたことがある。
 しかし、姫木自体はその衝動以外の時はそうそうそういう気にはならず、お互いの気持ちがすれ違う毎日だ。しかもこう一方的に片方だけが酔っていると言うときになど特にその気にはならない。
ー今日は疲れてるから嫌よー と冗談で言ってやろうかとも思ったが、流石に気色悪いので姫木は背中を向けることで拒否の意思を示した。
 そんなことはお構いなしに周り込んできた佐伯は、びっくりしてじっと見てくる姫木に
「その目は、いいってことだな?」
 と都合のいい解釈でますます陽気になり、その場で上着を脱ぎ、シャツを脱ぎ始めるが、姫木は
「やなこった」
 と、今度は反対側に背を向けた。
「え〜、姫木ぃ…」
 と悲しそうな声で座り込んだ佐伯に、姫木は深いため息をひとつついて
「そんなに酔っ払って、できるんならいい」
 と起き上がる。
「え!まじ?そんなの大丈夫に決まってんじゃん!やっぱ姫木は俺のこと愛してんだなぁ」
 などと急に機嫌が戻った佐伯は、ベッドの脇に立って残った服を全部脱ぎ捨て某怪盗漫画の主人公のように布団へ潜り込んだ。姫木の温もりを感じながら、さあ!という瞬間
♪夢な〜らば、ど〜れ〜ほどよかあったでしょおぉお♪
 といきなりの米津玄師。つまり佐伯の携帯が鳴り始めた。
「はああ?」
 佐伯は半キレ状態で声を荒げるが、この歌が流れる相手は榊なので仕方なくー寝るなよ?ーと釘を刺しベッドから降りる。鳴っているのは玄関の靴箱の上。
「あれ、俺なんでそんなとこにおいたんだよ!くそ!」
 邪魔されたことと寒いのとで一気に不機嫌な佐伯は、歩きながら落ちていたコートを拾い肩に掛けながらスマホを取った。
「はい」
 少々機嫌悪い態度が出ていたかもしれない。
『あ、寝てたか?悪いな』
 榊は、今日の電話の相手は元気のないことが多いな、と不思議になっている。
「いえ、そういうんじゃないっすけど、どうしました?珍しいっすね」
 牧島のお付きということで顔を合わせることは多い榊だが、こうやって個人的にスマホにかけてくるのは、何年も付き合っているが2度目くらいではなかったか。
『明日時間取れるか?』
「明日っすか?これと言って別に何もなかったかと。なんです?」
『ちょっと調べてもらいたい事があるんだ。明日14時頃に事務所へ行こうと思うんだが』
「ええ、平気っす。揉め事っすか?」
『揉め事とかそういうんじゃないんだが、個人的なことすぎて頼みにくくてな。詳しいことは明日話す』
「そうすか、わかりました。明日14時っすね。お待ちしてます」
 スマホを切り、
「個人的な頼み事か……ほんと珍しいな」
 と独り言を言いながら本来の目的地へと赴く。
「姫木〜、待たせてごめ…」
 それなりに早めに戻ってきたつもりなのに、姫木はかーかーと寝息を立てて熟睡してしまっていた。
 佐伯は手元のスマホをキッと睨み、ああ!もう!とやり場のない怒りを口に出しながらシャワーを浴びに浴室へと向かっていった。

 一枚の写真を前に、佐伯と姫木は顔を見合わせた。
「新浜さんの息子さんでしょ。確か友哉…クンとか言いましたっけ…」
 2人は先の抗争の後に組に来たので、実際は新浜のことは知らなかった。牧島に面会に連れていってもらい新浜とのつながりをつけてもらっていて、その際息子と年齢(とし)が近いからよろしく頼むなと言われたことは良く覚えている。
 友哉とは何度か面識もあるし、護衛等の仕事の範疇で行動を共にしたこともあったが、立場上そうそう会うわけにもいかず、一見エリートサラリーマンに見える榊が面倒は一手に引き受けていたのだ。まあ、佐伯たちとて大学の友達くらいには見えるのではあるが。
 榊は写真を見ながら本当に申し訳なさそうに言う。
「個人的な事で本当に悪いと思っているんだが、あいつが何かを隠しているようでな。それを調べてもらいたい」
 そんな榊の頼みだが、2人は困惑する。
 榊が面倒を見ているとは言え、友哉ももう20過ぎている。隠し事などは友哉のプライベートだと思うのだ。そこまで干渉しなくても…と言いたいのだが、立場上憚られる。
 榊もそんな心情は察したらしい。
「いや…、これがプライベートな隠し事ならいいんだ。そこまで干渉する気はない。でもな、そういう感じじゃあないんだよな。これは言葉では言えないんだが、何か妙なことに巻き込まれてなければいいんだが…と疑う余地のある…」
 なにか言葉にできない苛立ちを榊が持っていて、何度も舌打ちをして伝えにくそうにしている。佐伯はーまあ取り敢えずーと写真を榊の方へ向け直し、
「調べてみますよ。なんか妙な事に巻き込まれていなければいい訳でしょ。児島にでも探らせてみます。俺たちは面が割れてるんで」
 いつもの榊と様子が違いすぎるので、佐伯は取り敢えず用件を受けることにした。自分でも言ったが、本当に何事もなければ榊も納得するのだから。
「若いもん使っちまって悪いな。礼はちゃんとするから」
 榊に頭を下げられて、2人は恐縮する。
「やめてくださいよ榊さん。礼なんていいですし、頭もあげてください。これが俺らの仕事なんで」
 佐伯が頭を上げさせてから
「きっと取り越し苦労に終わりますって」
 そう言う。
「だといいんだが」
 そう笑う榊ではあったが、心情は穏やかではなかった。自分のこういう勘は昔から当たってしまうから。

 その数日後、そんな榊の落ち着かない心情を逆撫でする情報が児島よりもたらされた。
 事務所の応接セットのテーブルにiPadを置き、そのテーブル前に座っているのは佐伯と姫木、その後ろに各々佐藤と戸叶が立ち、テーブルの前、佐伯と姫木の対面に児島がスマホを操作して画像をみんなに見せている。
「この男がですね、俺が張ってた5日間毎日新浜さんのマンションへ通ってました」
 事前にエアドロップしていた画像を見せながら、自分はスマホで説明をする。
 今映っているのは3枚の画像。一枚は今説明のあった毎日通っている男の画像、2枚目はマンションの外観。3枚目は、男が友哉の部屋へ入っていくものだった。
「確かにここは、友哉君のマンションだし、本人の部屋だな。この男が何者かは調べついてんのか?」
「はい、名前は金子太一といいまして、えと…その前にまだ…少し見ていただきたい画像があってですね」
 児島はスマホを操作し、ちょっと言いにくそうに話しながら
「今送ります」
 軽い電子音の後に、画面に映し出された画像を見て佐伯と姫木は同時に
「これは…」
 と声をあげた。
「張って3日目だったかに、2人で出かけたんすよ。それ追いかけてったら…ここに…」
 児島もどうしていいかわからない口調になり、後ろに立つ2人も動揺を隠せない。
 今映し出されている画像は、見る分には何の変哲もないビルなのだが、そこは知る人ぞ知る柳井組系黒狼会の賭場があるところだった。
「本当にここなのか…」
 矢庭には信じられず、悪いと思いつつ児島を攻めるような口調になってしまう。それほどこの場所は危険なところだ。
「もう一枚送ります」
 映し出されたのは、友哉と金子が並んでそのビルに入ってゆく姿。
「はぁ…」
 ため息のような声がもれ、姫木も流石にソファに寄りかかった。
 友哉が普通の子だったら、いや…だったとしてもよくはないが、友哉は普通の家庭で育った子供ではなく、高遠の本家幹部の息子だ。
 バレないように育てられてはきたが、敵対している組の中へ入り込んでもしその素性がバレでもしたら、大変なことになっていたはずである。しかも、いまだに出入りしている(させられている?)のならば余計に早く止めなければならない。柳井の上層部には友哉の顔を知っている者も居るはずなのだ。
「金子は、黒狼会の準構成員で最近参加した新参者でした」
「この2人が知り合った経緯は?関係性とか」
 それを問うのは姫木だった。
 新浜には息子と歳が近いと言って可愛がられていたからか、普段はこういう話し合いの場ではあまり話さないのだが、この一件は気になるところであるらしかった。
「それが関係性ってなると一寸わからないんすよね。俺は賭場に入って行けないし、金子周辺の飲み屋とかでも新浜さんの情報は聞かないんすよ」
「これは?」
 姫木が、児島の話を聞きながら何気なく見ていた画像に、今までの話に登場しない人物が写っているのに気づいた。「あ、それですね、確か後何枚か…」
 スマホをスワイプしながら探して、
「ありました3枚送ります」
 映し出された画像は、全部違う人物が友哉のマンションの前で金子と話しているものである。
 この男たちに関しては、調べようがなかったと児島は報告していた。
 佐伯は画像を見て少し思う所があり、姫木を見ると姫木も目を合わせて頷いた。きっと思っていることは一緒だろう。
「その4枚は、どれも男たちがマンションから出てきた直後の画像です。金子はエントランスで男たちが帰るのを待ち、そうやって少し話して見送った後エレベーターで新浜さんの部屋に行き、数分で戻ってくる。そんな事を違う男がやってくるたびに続けていましたね」
「男がエントランスに戻って来た時に、金子とやらは金とか受け取ったりしてなかったか?」
「それは、俺は確認していません」
 佐伯は少し首を傾げたが、再び姫木と目が合い絶望的な表情を浮かべた。
「売春(うり)やってんな…友哉君」
「え?」
 ため息混じりにそういう佐伯に、児島は慌てて聞き返す。
「お、男っすよねえ」
「そういう世界もあるんだよ」
 佐伯の後ろに立つ戸叶が、目は見開いてるくせに眉が寄るという面白い顔をした児島に言った。
 しかしこれからの問題は、友哉がウリをしているという事実とその理由だ。しかもそれを榊に伝えなければならない。
「どうするか…」
 佐伯は珍しく考え込み、姫木も腕を組んで天井を見ている。
「先に榊さんに報告するのが筋なんだろうけど、こっちが先にウリをしている理由を聞き出してから報告するっていうテもある。どっちか、か…」
 実際の話、榊に報告した後で榊と共に友哉を問い詰めればいいのだが、コトがコトだけに友哉も大袈裟になるのは辛いだろう。
 しばらくの間沈黙が流れ、その後佐伯がふうっと息を吐いて座り直した。
「俺がいくか。仕方ねえよな、姫木も来い」
 榊に報告する前に、まず友哉君から先に話を聞くことにする、と後に続ける。
 周りをコソコソと嗅ぎ回るよりは手っ取り早いし、相手が『柳井』の関連とするとやはりその周辺をうろつくのは休戦中であってもかなり危ない橋である。
「でもどうせ榊さんに報告しなくちゃなら、先の方が良く無いですか?」
 すでに立ち上がって行動を起こしている佐伯にコートを持ってきた戸叶がそう伺った。
 それは佐伯も解ってはいるのだ。しかし先に話したりしたら
「それだと榊さん、友哉君とまともに話できねえよ きっと」
 と、肩をすくめる。そして、姫木が
「その金子ってやつ、1時間後に蜂の巣だ」
 と続けながら、佐藤からレザーのコートを受け取った。
 榊は牧島の右腕として今はずいぶん落ち着いてはいるが、佐伯たちが初めて会った頃は抗争直後で随分ギラついていたイメージだった。
 公安も入っての半ば無理矢理の休戦状態に持ち込まれてからは、行き場のない怒りと体力を持て余しているような感じだったと佐伯は話す。
「今落ち着いてても生来の短気なとこは抜けてねえと思うから、先に俺たちが話を聞いた方がいいんだよ」
 戸叶と佐藤にはそんな榊は全く想像つかないが、高遠と柳井の抗争は結構激しく、その当時小学生だった2人も、集団登校したり用のない外出は控えるように言われていた記憶も残っている。
 あの抗争を生き延びた人か…とそこにいた面々は思う。
 そんな中佐伯と姫木は準備を終え
「じゃ行ってくる」
 と簡単に出かけようとした。
「え、待ってくださいよ。ダメですよ」
 と、佐藤たちも慌てて準備を始めるが、友哉の名誉のため2人で行くという。
 牧島から必ず一緒に行動するように言われてるので、それはできないと佐藤が伝えるが
「なんかあったら連絡して」
 と聞く耳持たずで、携帯を振って佐伯は部屋を出ていってしまった。
 それに続く姫木は、
「手が空いた時くらい美味いものでも食え。帰りはそのまま帰るから気にしなくていい」
 と佐藤に5万円を握らせ部屋を出ていく。
 ありがとうございます…と納得いかないまま頭を下げるが、5万を手渡すときの姫木の微笑みをそこにいた3人は見逃さなかった。
「姫木さん今笑いましたよね。こんな状況で笑うの初めて見たかも」
 児島が驚いたように呟く。
「ああいうときは怖いんだよ、あの人。相当頭に来てるなありゃあ」
 戸叶が見送ったドアを見ながら言う。
「歳も近いしな、ウリやってるなんて判ったら腹も立つか…理由はあるんだろうけど」
 この世界で生きている以上、そう言った事には寛大ではある。が、そういう現場にいるからこそ、売春の現場がひどいところだと理解しているし、させている方が最低だということも理解している。そういうものを扱う職種の一員だから、身内がしていたら絶望も感じるし何があっても辞めさせるに違いなかった。
 友哉は身内だ。
 佐伯も姫木も面識があり、塀の内と外ではあるが可愛がってもらった組でも最高幹部の人物の息子だ。その息子がうりをしていたという事実は、さすがの姫木も腹が立ったのだろう。しかも、休戦中の敵対組織と関わり、ことがバレれば一触即発にもなりかねない。
「幹部の息子相手に無茶はしねえと思うけど…」
 と戸叶が佐藤に向き直る。
 佐藤も同じこと考えていたらしく、児島を呼び
「あっちにいる連中と美味いものでも食って来い。俺らはやっぱばれないようについてっとくわ」
 と先ほど姫木から貰った5万を児島に渡す。
 双龍会は総勢10人の小さな組だ。しかし、少数精鋭の部隊みたいなもので今回の児島くらいの動きは誰にでもできる組織である。
「ゴチっす」
 児島は頭を下げて受け取り、2人は急ぎ後を追うために部屋を出ていった。

 夕方ということでバイトをしている友哉がいるかどうかが問題だったが、案の定佐伯たちは近くの小洒落たカフェで時間を潰すこととなった。
 最初は車で友哉の帰りを張っていたのだが、後からやってきてくれた戸叶と佐藤が張っていてくれるというので、ー来なくてもよかったのに〜ーなどと言いながら任せて店に入った。がそこで思わぬ収穫を得ていた。
 2人が座った席の姫木の後ろの席に、児島から画像を見せられていた金子がいたのだ。
 友哉の帰りを待っているのだろう。
「どうするか」
 違う話でもするように話しながら、コーヒーを啜る。ここのコーヒーは姫木の趣味に合ったらしく、満足そうに口にしていた。
「ここにいるってことは、今日も『仕事』があるってことだよな」
 佐伯の言葉にカップを口から離して、姫木はほんの少し口を歪ませる。
 金子がここにいる以上、佐伯たちは のこのこ と部屋に向かうことができなくなったということだ。
「今更こんなことで考え直すのめんどくさいな」
 少し苛立ってテーブルをトントンと人差し指で叩く佐伯を、姫木は上目で見て
「客にでもなれば…」
 と、ぼそっと言った。
「ん?あ、そうかその手があったか」
 ぱあああっと晴れたように表情が変わり、お前すげえな、という尊敬の眼差しを姫木へ向ける。
「新参だというから、俺らの名前はもちろん面も割れてないしな」
 しかしそう簡単に行くかはわからない。姫木はそっちも心配しろと続けた。
 簡単なシステムなどもあるかもしれないし、急に声かけたところで怪しまれるのがオチだ。…が
「まあ、声でもかけてみるさ。ああいうやつどうにでもなりそうだし」
 と佐伯は姫木の考えも意に介さず簡単に言う。まあ佐伯のコミュ力が化け物並みなのは重々解ってはいたが、今回はあまりにもリスクが高い。
 金子が激昂して暴れても、制圧することなどは自分らには容易いが金子の背景に柳井がいる以上、ことは慎重に運ばなければならないのだ。ー場当たりすぎじゃねえか?ーと問うような目つきの姫木に「まあ任せなよ」
 と立ち上がり、姫木の肩を一度ポンと叩くと佐伯は金子の席へ向かってしまった。
 いや、いくらなんでも…という間も無く行かれてしまったので、姫木はもうなす術もなくとりあえずなんかあった時のために革のグローブを取り出し、スマホもテーブルへおいた。
「金子さん…ですか…」
 今でも見た目で得をすると言われる人好きのする笑みを浮かべて、佐伯は金子の座る脇へと立つ。
「なんだお前」
 こういう態度なんだな、と認識してより下手(したて)にゆく。
「先日、三茶の居酒屋で知り合った人にこれの相手探してるって言ったら、金子さんという人が代々木上原にいると聞いて探してたんですよ」
 親指を立てて『これ』を表現すると、金子は座り直して「ああ」
 と言いながら、前に座れと促してきた。割とちょろいやつ。ちなみに三茶は、先日児島が画像を撮ってきた黒狼会の賭場と事務所があるところで、その辺で飲んで聞いたとしたらその関係だろうとすんなり理解したらしい。この状況で、金子が何人かにこのことを話しているという情報も得た。
「探すの苦労してんのかい」
「まあ、相手はいるんすけどマンネリでね」
 2人の会話は割と姫木にも聞こえていて、そんな会話を眉根を寄せながら聞いている。
「まあ、決まった相手だとな」
 ニヤニヤしながらそう言って、携帯の時間を確認した金子はわざとらしい明るい声で
「お!お客さん運がいいね。今空いてる子いるんだよ。連絡するからちょっと待ってて」
 金子はその場でスマホで連絡をとり始める。
「あ、友哉?俺。バイトは終わったか?」
 そんな会話をしている後ろで、姫木のスマホが震えた。佐藤からだった。
 姫木は立ち上がり、在席の証にグローブをテーブルに置いて店の入り口を出る。電話を取ろうとしたら店内から見えない位置に佐藤がいた。
「どうした」
 電話はやめて直接話す。
「新浜さん戻ってきました。まだ部屋には入ってないですが」
「そうか、わかった。こっちもちょっと事情が変わってな、今佐伯が」
「ええ、確認させてもらいました。なので姫木さんに連絡入れたっす」
 この組の暗黙の了解で、仕事中には現状が把握できない限り携帯への連絡はしないことになっていた。結構な修羅場の件もあるのが当たり前なので、そんな最中に呑気に携帯は鳴らせないからだ。
「しかしなんでまた、金子に直交渉なんてことに」
 店内をそっと覗きながらの佐藤の疑問はもっともである。
「偶然居合わせてな…。金子(やつ)が店(ここ)にいるってことは、俺らはもう部屋に行けなくなったってことだろ…だから…」 言葉を濁す姫木に、佐藤は首を傾げる
「客になって友哉君と会おうってことになってな」
 さっきの2人の会話を思い出し、少しゲンナリした顔をする姫木に佐藤も同情の笑みを浮かべながら
「ああ、そういうことっすね。でもいい作戦だとは思います。なんだか監視もついてるようなんで、そういう手段の方がリスクは低いかもです」
 ー監視?ー佐藤の報告に姫木は徐に嫌な顔をした。
「さっき新浜さん戻った後で気づいたんですが、マンションの外階段と内階段、そしてエレベーターのあるエントランスに1人ずつ、柄の悪そうなのいるんすよね」
 今度は姫木が首を傾げる。
「俺らはさっき部屋に行った時は、エントランスには誰もいなかったが」
 佐藤は少し考えて、
「ああ、じゃあ新浜さん個人についてまわっているのかもです。確かに戻って来てからっすもんね、俺らが確認したのも」
 逃げる隙も与えないゲスを極めたような行動に、吐き気すらしそうだ。どこまで食い物に…
「しかしですね、俺監視役3人見ましたけど、そのうちの1人は確実に黒狼会の人間でした。新参者の金子になんで組の人間使える権利があるんすかね」
 佐藤は何気なく言ったつもりだったろうが、それは言ってから気づくことだった。
「え、まさかそいつらまで…」
 言い出しかけた佐藤の言葉を姫木は片手をあげて止めた。これ以上もう、気分が滅入る話は聞きたくない。
「わかった。それも後で佐伯に言っておく。そろそろ話し合いも終わるだろうから、お前は戻っておけ」
「わかりました。俺らずっと外で待機してるんで、何かあったら連絡ください」
 気分を悪くさせて申し訳なさそうにして佐藤は戻っていった。
 佐藤に罪はない。全部事実だとはまだわかってないのだ。
 姫木が今電話が終わったようにスマホを操作しながら店内に戻り、中を確認すると佐伯と金子が立ち上がり、こちらに向かってくるところだった。
「金子さん、こいつがさっき言った俺の、これっす」
 そばまでくると、いきなり姫木の肩を抱き、佐伯が金子に姫木を紹介し始める。
 親指を立ててナイスーな指を見せてニコニコする佐伯の脇で、姫木も精一杯の愛想笑いをした。
「2人ともでけえなぁ。180は超えてるだろ。うちの商品壊さないでくれよ」
 と言いながら下卑た笑いを残し、金子は外へ出る。
 佐伯は会計書を2枚姫木へ渡しながら
「うまく話がついた。急すぎだが今からすぐに部屋に行けるってよ。これ払ったらすぐに追いついてこい」
 ついでに姫木が置いていったグローブも渡し、金子に続いて店を出る佐伯。
「俺…?」
 2枚の計算書をぐしゃぐしゃにしてやろうと思ったが、店に罪はないしコーヒーは美味しかったのでポケットから札を取り出し、レジへと向かった。領収書はもらっとこうと心に決めて。

 追いついてみると、金子は饒舌に話していた。
「あいつも運がいいぜ。今日客いなかったら、俺にヤられて金も入んなきゃやられ損だったからなあ」
 追いついた姫木を確認して、佐伯は並んで金子の後に続く。
 たった今金子まで友哉に手を出していた事実を知り、佐伯は特に顔には出さずいられたが。姫木は明らかに顔を歪ませてそっぽをむいていた。先ほどの佐藤との話も思い出し、胸糞悪いことこの上ない。
「このマンションの305号室だ。話は通ってるから、行けば後は向こうがやってくれる。三人てのはあいつも初めてだろうから、お手柔らかに頼むぜ」
 ニヤニヤしながら佐伯の背中をどついた金子は、エントランスまで一緒に入りエレベーターに入る2人をそこで見送った。
 姫木が周囲を見ると、エントランスの観葉植物の影に男が1人いる。やはり見張りは居るようだ。
「吐き気がする…」
 エレベーターの中で、姫木は本当に顔色を悪くしている。
 下卑た金子の笑みも、視線も全てが気色悪くて姫木は壁に身を預け天井を見上げた。
「俺もだ…。榊さんの頼みでもなきゃ、一生関わりたくなかった人間だぜ」
 佐伯もだいぶ腹が立っているようだった。
 姫木がカフェで佐藤と話してる間、間を繋ぐために色々話したが昔の女を風俗に落とした話や、男の風俗についてや聞きたくない話までつらつらと話しまくるので、目の前で話している男が何か変な塊に見えて気分が悪かった。
 そして姫木は、佐藤との会話の内容を佐伯に聞かせ監視役の黒狼会のメンバーも、友哉に手を出している可能性があることも知らせた。
 最初は、この一件に首を突っ込んだことを少し後悔したが、今は『金子、及び黒狼会のメンバーまでもがが友哉に手を出していた』という事実が、1番2人の神経に障った。
 友哉は何故、榊を裏切ってまでこんなことをしているのか、多少乱暴にでも突き詰めたい衝動に駆られていた。 が、実際はそうも行かないので、部屋の前まで来た2人は軽く深呼吸をして部屋のインターフォンを押す。
 チャイムがなり終わらないうちにドアが開き、俯き加減の長めの髪が迎えてくれた。俯いたまま顔も確認せずに
「どうぞ」
と招き入れ、
「鍵かけてくださいね」
 と言い残して奥へと歩いてゆく。
 友哉が来ているのは既にバスローブで、2人が入ってゆくと一つのドアの前で立ち止まり
「先にシャワーでも浴びるならここですから」
 と、相変わらず俯いたままで部屋の案内を始めた。
 佐伯はそんな友哉の腕を優しく掴んで
「何もしなくていいから、とりあえずリビングに行こう」
 と背中にそっと手を当てた。友哉はその言葉に顔を上げ、顔を確認して息を詰める。
 そして咄嗟に奥の部屋に逃げ込もうとした身体を、いつの間にか後ろに回っていた姫木に抑えられ、要所を押さえた掴みにみじろぎができない友哉は、もうこれ以上下げられないというほど頭を下げて顔を隠した。
「とにかく、話がある。リビングはこっちか?」
 もう一つのドアを返事も待たずに開けて、確認すると3人はそこへと入っていく。
「とにかく、座んなよ」
 上着を脱ぎながらソファの前のクッションに座り込む佐伯の前に、姫木がそのソファへ友哉を座らせた。
「なんで…」
 抗争後、しつこく狙われていた時に護衛をしてくれた2人。年が近くて気さくに相手してくれた、今では高遠の裏の看板になっていると聞く2人。
「どういうことなのか説明をしてほしい」
 タバコに火をつけながらそう問う佐伯だが姫木は気づいていた。佐伯は普段と違うタバコを吸っている。
 大抵は1mgとかを吸っているのだが、こういう事態になるとキツいタバコに自然と切り替わるらしい。今日はショートホープ。
「榊さんが心配してる。俺らは榊さんからの言いつけで、友哉君を調べさせてもらった。だから俺らはここにいる。わかるな」
 高遠の特攻隊がコトを起こす前に入念な調査を入れると聞いたことがある。ここにこの2人がいるのならば、今自分が隠していることもきっと知られてはいるのだろうと友哉は思う。
「そして調べた内容は榊さんに報告する義務があるんだけど」
 その言葉に友哉の視線が、佐伯に縋るように絡む。
「榊さんには、言わないでくれ、頼むから」
 そう言われてもな、と佐伯は少し困った顔で灰皿にタバコを押し付けた。「ちゃんと話してくれたら、内容によっては相談に乗る」 項垂れる友哉の脇に姫木が座り、そう言って背中を一度撫でた。

「借金?」
 佐伯と姫木の前で俯いていた友哉は、その一言を告げて黙り込んでいた。
「その借金は、博打でか?」
 やはりそこまで知られていたか、と友哉は膝の上で両手を握りしめる。
「まず不思議なのは、なんでまた賭場になんて出入りし始めたのかってことと、金子との関係だな」
 友哉に気を遣っているのか、極力静かな口調で佐伯は問うていた。
 友哉は一つ大きく息を吐き、ゆっくりと話し出す。
「バイト先の居酒屋で…金子さんがお客で来てて。ほぼ常連さんだったから俺も気を許しちゃったのも悪かったけど…お金が稼げるとこないかとか、別に紹介してほしいっていう意味で言ったんじゃないんだけど、そんなことを話してたら、いいとこあるよって…」
 やはり最初から金子絡みだったのか、と2人して同時にため息が漏れた。
「確か賭場(あそこ)のシステムは、サゲ銭(持参金)無しの全て貸付だったよな。それでやられちまったってことか」 サゲ銭なし;もとより自分が持っていった金で遊ぶのではなく、その場で取り敢えず貸元から金を借り、それで遊ぶということだ。個人財産があるものならば、そこでいくら借金をしようと後で返せるし、そこで大勝ちをすればそれはそれで帳消しとプラスになるはずなのだ。
 友也とて、そこまで金に困っているわけではなかっただろうし、最初の少しの借金の時に返しておけばこんな目に遭うこともなかったのではないかと佐伯たちは思う。
「で、いくらなんだ。借金」
「800万…」
「800万??」
 思わず声が出る金額だ。なんでまたそんなに膨れ上がったのか…。
「せいぜい2.3百万かと思ってたが…それは…」
「俺、何十万辺りでもう止めるって何度も言ったんだけど、金子さんがどんどん借りてきちゃって、借りてこられちゃったらやるしかなくて…」
ー気づいたら…ーと 再び俯いて、自分の膝の上に涙を落とした。
「あいつ、最初から狙ってやがったな」
 佐伯は吐き捨てるように言って、2本目のタバコに火をつける。
「それで、こんな仕事させられて借金返してると」
 友哉の肩が震えたが、その後ーはいーと小さく応えた。佐伯はーいいかーと言葉を繋げタバコを咥えてしたから友哉の目を覗き込んだ。
「借金は多分、そんなには返せてないと思う」
 友哉の目が上がって、佐伯と目があった。
「俺らの世界だと、真っ当には返済できないことになっててな。トイチって聞いたことないか。10日で1割の利息が付くってことなんだが、俺らはそれでやってる。それでもかなり良心的だ。だがな、悪どいところだとトゴと言って10日で5割つくところだってある。金子は良心的か?」
 そこまで言われて、友哉はもう隠そうともせずに涙を溢れさせる。
「だからこんなことして借金返してるつもりでも返せてなくて、ずっとこんな仕事をさせられることになるんだぞ」 あまり追い詰めんな、と姫木が途中割って入るが友哉は大丈夫、と姫木の足に手を置いた。その手を取って、姫木は
「もう、こんな馬鹿なことはやめろ」
 とその手をぎゅっと握り込んだ。吐き気を催すほどこの一件に胸を痛めている姫木だが、事はそう簡単に収まるものではない。事情はわかった今、このまま友哉をここにおいておくわけにはいかなかった。まずはここから脱出させることが先だ。まあ元々そのつもりできたのだが…
「お前何か考えあんのか?」
 少し思案顔の佐伯に聞いてみるが、
「うまくいけば…の案なら」
 という曖昧な返事に、姫木は嫌な顔をした。
「もう一か八かはやめてくれ。確実な方法はねえのかよ」
「今ここでできることは、戸叶と佐藤を呼びつけて騒動を起こすか、密かに友哉君を連れ出すかの2択だ」
 どっちも無理そうなんだが…姫木は嫌な顔をますます嫌な顔にして佐伯を見る。
「友哉君さ、たとえば俺たちが終わったよ、って下へ行くとそれからどういう動きなんだ?」
「あ、少しして金子さんがここに集金に来ます。お金は俺が受け取ることになってるんで」
「なるほどね…」
 佐伯は再び数秒考えてから、よし!と声をあげ、
「そしたらじゃあ、俺と友哉君で一緒にここを出るから、姫木は残れ」
 唐突にそう言って、佐伯は立ち上がった。そして姫木と友哉にお互いの服を交換するように告げる。
「え、でも金子さんはすぐにくる…」
 友哉の声に被せ気味に
「今救援呼んでる」
 スマホを取り出しやにわに電話をかけ始めた。
「おい、わかるように話せ」
 姫木も流石に苛立ってくる。
「あ、佐藤?俺だけど、お前さ、あと…そうだな1時間ぴったり後に、金子と接触して友哉君を買いたいって交渉をしろ。2丁目であったサラリーマンに話を聞いてきた、とかでも言えば多分大丈夫だと思うから」
 多分とは随分曖昧な…姫木はなんだそりゃ、と声に出す。ーまあまあ、大丈夫だってやってみなきゃわかんねこともあるし、な?頼むわー 多分電話の向こうの佐藤は、ごねにごねてるに違いない。
「一体なんなんだよ」
 佐伯が何をしたいのかさっぱり読めない姫木と友哉は、ちょっと楽しそうになってきている佐伯を睨んだり見つめたり。
「じゃあ説明しよう」
 佐伯は再び元のところへ座り直した。
「まずは、大体今から1時間くらいしたら、佐藤が金子に友哉君を買いたいと交渉することになった。その頃合いを狙って、俺が友哉君を担いで下に行く。さっきやつは俺らのタッパのこと見てたから、姫木と友哉君のタッパは誤魔化せねえだろ、だから無茶したら相方伸びちゃって〜くらい言えば担いでんのくらい納得するだろ。そうして俺らとすれ違いで佐藤にこの部屋に入ってもらって姫木と合流っていう作戦。佐藤にはどうしてもすぐにすぐにと言えと言ってあるから、集金は後回しになる かも しれん」
 2人は唖然。言いたい事はわかるが…いや、これは無理…そういう表情しかできない
「佐藤が来る前に金子がきたら?」
 姫木の真っ当であり素朴な疑問に、少し言葉を詰まらせるが
「お前なら、大丈夫だろ?」
 信用してんだよ、と笑う佐伯に姫木は他人事だと思いやがって、とは思うがまあ、佐伯も友哉を背負って金子と会うという賭けをするのだから、五分五分とは言わなくても仕方ないかと納得するしかなかった。
「で、なんで1時間も取ったんだ?」
「ここ来てまだ15分かそこらだぞ?普通はそんなに早く終わらねえだろ」
 考えてみりゃそうか…特にお前はしつこいもんな、という言葉が喉まで出かかって、あっぶねと咳き込むふりをして姫木は誤魔化した。

「なあ…」
 佐藤は戸叶から佐伯の指令を聞いて暫くは黙っていたが、何かを思ったらしく運転席の戸叶に顔を向けた。
「さっきの電話さ、佐伯さんお前にかけて来たじゃん?」
「? うん」
「なんで新浜さんを買うように交渉すんの俺なの?」
 佐伯は確かに佐藤に行くように言った。
「さあ、お前が適任と思ったんじゃね?」
「男を買うのが………?」
 お互い顔を見合って、色々考えたが、
「あまり深く考えんなよ、佐藤」
 と、戸叶が宥めるしかなかった。

 1時間後、友哉のスマホが鳴った。
「はい」
 電話をとる瞬間確認した名前は金子だ。
「はい、大丈夫です。ええ、もう。はい、じゃあ入れ違い来てもらってください」
 慣れた口調が、佐伯と姫木の胸を突く。
「佐藤さんて人、うまく話しつけたみたいっすね」
「お、流石だな。じゃあいくか」
 姫木のコートを着た友哉は、オオタニサンのエンジェルスのキャップを目深に被り佐伯の肩に担ぎ上げられた。
「じゃあ姫木、後は頼んだぞ」
「おう」
 見送ろうと玄関まで来た姫木に、
「あ、それと」
 と 佐伯が振り向く。
「くれぐれも佐藤とアヤマチを起こさないように」
「殺すぞお前!」
 かなり本気の声で姫木が唸る。その声に佐伯の肩の上の友哉の体が緊張した。
「友哉君怖がっちゃったじゃんか。あまりしろーとさんをおどすんじゃないよ。じゃあな」
 担いでいない方の手を振って、佐伯はドアを出る。
 姫木はその閉まったドアを思い切り蹴り、深さにして3cmほどの凹みを作成した。やべえ、とは思ったが 後で佐伯に払わせればいいや、と姫木は部屋へ戻って行った。

「お疲れ」
 一階に降りた佐伯を金子が迎えた。
 ちょうど佐藤をエレベーターに乗せる所だったらしい。
「どこで楽しんでたんだ?ベッドは使わなかったみてえだけど」
 その金子の言葉に、佐伯と佐藤が反応した。ーそういう事かー
「いやあ、俺たちでかいじゃないっすか、しかも3人って事でベッドは狭そうでね、リビングで盛り上がっちゃって」「その割に友哉は元気そうだったな」
「あの子はタフだねえ、いい子抱えてるよ金子さん。こいつなんかほら、伸びちまって。いい子を紹介してくれてありがとな。またよろしく頼むよ」
 できるならあまり長く金子と対峙していたくはない。気をつけてても、ボロが出る時には出てしまうから、できるだけ焦りを悟られないようにそれでいて迅速にこの場を去りたかった。
 言うだけ言って、佐伯はじゃっと軽く挨拶してマンションから出ようとしたが、
「おい」
 と金子に不意に声をかけられる。
「なんすか?」
 にこやかな顔を金子に向けて振り向いた。
「あんた、またよろしくって俺の連絡先知らねえだろ。これ名刺持っといて」
 金子はジャージのポケットからケースを取り出し名刺を一枚佐伯に差し出してくる。
「あ、そうすよね有難うございます。じゃあありがたく」
 片手ですんませんとか言いながら名刺をうけとり、
「また、連絡するんで」
 と手を振って、ようやくマンションからでることとなった。
「びっくりした…」
 背中で友哉が小さく呟く。
「俺も」
 名刺を一瞬眺めてー情報くれるよなーと一笑し、一応ポケットへとおさめた。
 マンションの敷地に入るまっすぐな道を歩いているときに、友哉が少し頭を上げて佐藤がエレベーターに乗るのを確認する。
「佐藤さん、エレベーターに乗りました」
「お、サンキュー。じゃあ今のところはうまくいってんだな」
 そう確認しあい、突き当たりまでいったところの道路にでると、佐伯は左右を確認した。左方向にレクサスが止まっていて中から戸叶がでてきた。
「お疲れ様です」
 と労いながら近づき、友哉を下ろすのを手伝ってくれた。ずっと同じ格好でいた佐伯の左肩がギシギシと軋み、限界だった、と笑う。
「それもお疲れ様でした」
 と戸叶も笑い、友哉はすみませんと恐縮していた。
「で、どうでした?首尾は」
「ああ、佐藤はちゃんと部屋に入れたみてえだな。エレベーターに乗るのを友哉君が確認してくれた。集金も後になったようだし、ラッキーだったよ」
 友哉を後部座席に座らせ、自分はナビシートへ入り込む。
「けどな、気づいたか?友哉君」
「え?」
「寝室にカメラ仕掛けられてるぞ」
「ええ?」
 今度の声は戸叶だ。友哉は息を詰める。
「え…それって…」
 行為を録画されて、多分だけど売られてるかもな、と佐伯がつづける。
 友哉は呆然とした。
「佐藤も気づいてたみたいだから、姫木に伝えるだろ。2組続けて寝室使わねえのはおかしいって、金子が気づくかもしれねえから。伝えられてたらその前に行動ができるな。だったら安心だ」
 佐伯の行こうか、の声でレクサスは静かに発進した。
「心配ですか?」
 戸叶はチラッと佐伯を伺う。
「あいつだからな、別に心配はしてねえよ」
 と言って窓を細く開け、タバコに火をつけた。
「佐藤もあの言葉で即座に反応したのは大したもんだ」
 佐伯が佐藤を褒めると、戸叶も嬉しそうだ。
「俺らですから」
 その言葉を発した戸叶の横顔を、佐伯は嬉しそうにみる。
「そのくらいできなくて、佐伯神楽と姫木譲のお付きなんてできませんよ」
 自信に満ちた声と、顔つきに佐伯は頼もしさを感じ、その肩を一つ叩いて
「これからも頼んだわ」
 とタバコを思い切り吸い込んだ。
 それから数分間佐伯はゆっくりと一本のタバコを吸い、車内は静かだった。そしてタバコを灰皿で揉み消すと、
「これからの友哉君の事だけど」
 と話を切り出した。
「姫木と佐藤が戻ったら、榊さんに連絡して明日にでも話をしようと思う」
 一度名前を呼ばれて身を乗り出していた友哉だったが、そう言われてシートへと沈んだ。「うりの事は黙っててやる。でも、賭場への出入りと借金のことはちゃんと自分で話しな」
 友哉は後部座席から小さな声で「うん」 と一言返事をした。
 自身とて、あの抗争の後に狙われてたことがあったのだから、少しは理解している。あの場で自分が高遠の幹部の息子だとバレなかったことは奇跡だと思うことにした。
 たまたまじぶんを知る人物が居合わせなかっただけなのだ。
 佐伯もいたずらに脅かすこともないなと思い黙っていたが、柳井は新浜に深い恨みをもっていて、その恨みを息子で晴らすことくらいはやりそうな組である。
「まあ、無事でよかったよな」
 取り敢えず、友哉を柳井から離せてよかったと安堵はした。だが、これからのけじめの付け方を考えると、佐伯自身も久々に血が沸る思いがしていた。
「まあ、今日は解放感に満ち溢れなよ」
 シートを倒して、後ろの席の友哉の頭をポンポンする。
 それに少し笑って、友哉はこくりとうなづいた。

 20時30分頃になって、戸叶の携帯が鳴った。
 戸叶は出る前に佐藤だと告げ、電話に出る。
「やっぱ見つかったか、早かったなー」
 今日は友哉のバイトも夕方終わりで、その終わって帰宅直後に佐伯たちが部屋へと入ったからその時点で18時半。そこで話をして、1時間後に部屋を出たのが大体19時40分くらいか。
 そう考えていくと、見つかったのは本当に佐藤が入って15分もしないくらいなんじゃないか。と思うくらい早かった。自分達もまだ事務所についてもいない。
「え?タクシーが拾えない?なんで、そんなのいくらでも」
 逃げ出したとなると、車移動ができないのは危険だ。 戸叶が運転中ということもあって、佐伯はスマホを受け取り姫木に変わるよう告げる。
「どうした?」
『どうもこうもねえ、とにかく乗り物での移動は無理だ。取り敢えず歌舞伎町まで歩くから迎えに来てくれ。トー横のガキに紛れとくわ』
 歌舞伎町なら高遠の系列がシマ張ってるから安全と言えば安全だが
「いったい何があったんだよ。なんで車移動できねえの」
 それに関して姫木はくればわかるとしか言わなくて、ついでに着替えを持ってこいとも言っている。
 佐伯と戸叶はますます訳がわからなくて、取り敢えずどこかで反転して行ってみることにした。その際に自分達のマンションが近いからと寄って貰い、姫木と佐藤の着替えを持って歌舞伎町まで急いだ。


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