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自分は正常なのか異常なのか?

友人や周りには面倒だからうつだと説明しているけど、本当は不安神経症だというのはあまり言っていない。

症状を説明してもわかりにくいだろうし、不安程度なら軽いんじゃない?って思われてしまうかもしれないので、鬱と言ったほうが楽だからこうして説明をしていない。今も治ったのかどうかわからないし、今自分が普通なのかどうかわかってない。

不安障害(不安神経症)とは、不安や恐怖の感情が、普段の状態とは異なって過剰に付きまとってしまい、日常生活に支障をきたしてしまう症状。過度のストレスや疲れなどをきっかけとして、感情のバランスが崩れてしまい、理由に不釣り合いな不安と恐怖が出つづけてきてしまう。

国分寺イーストニッククリニック様の説明を引用

コロナ禍や学校に馴染めなかったため(適応障害も併発していたんじゃないか?)実家に帰ってきたことは正解だと思うけれど、東京で仕事を探すという手段もあったんじゃないかと今は思ってしまう。
けれどそれは学費を出してくれた親に対して不義理だし、何より当時の自分はそんなこと出来るほど成熟した人間じゃなかったから不可能だっただろう。

地元に戻ってきてゲームセンターで働いていたがその頃は気分が落ち着いていた。楽だったというのもあるが、ああ言った娯楽に満ち溢れた場所が楽しくて好きだったのもある。今は閉店して無くなってしまい、自分もそこからは無職になった。今でもあの場所は懐かしくて、また楽しい場所に行けたらななんて考えてしまう。
無職になってからはずるずると仕事も見つけられず、何社も応募しては落ちてばかり。
自分は社会に適していない人間なんじゃないかと思うことがあるけれど、本当は自分が怠惰なだけなのかもしれない。
そもそも社会人経験も乏しく、スキルも対してない人を雇う会社がないのだ。


先日友人に会った時、ピエロの方が楽だから今は勇者をやってるなど言って平静を装った。友人は笑って、「真面目に就職しろよな。」と言ってくれた。ハイラルの平和を守れたらなと誤魔化したけどやっぱり実際は辛い。前に進んでいく友人を前にして自分が空っぽなのが透けて見えるからだ。

一度休んでも大丈夫と言ってくれた人もいたけど、休める状況じゃないしゆっくりでもいいと言ってくれた人がいたけど足踏みをしていることが辛い。ずっと不安で押しつぶされそうでここ数ヶ月、夜は無意味な自問自答を繰り返して自分の存在意義がわからなくなる。

けどきっとこうしているから、大丈夫なんだろう。今の自分はきっと不幸なふりしてるだけの怠け者。
本当に辛い時は動けないことを実際に知っているから今こうして動けて、平気でいられてる自分は多分平気でなんともないのだ。

でも、出来るなら早く楽になりたい。社会から離れていっている感覚がわかりたくないのにわかってしまうから。


「社会から離れれば離れるほど辛くなるのは自分」という言葉が脳裏にちらついて、さらに焦ってしまう。
離れたくて離れたわけではないけど、それを世間はわかってくれるわけではない。結局、周りからは自分に甘えているだけの怠惰なニートでしかない。実際、今の自分に責任という言葉は重すぎて背負える自信がないしその言葉から逃げたくなる。
その逃げてきた結果がこれなんだと思うと、本当に死にたくなる。


だからと言って死ぬ勇気なんて到底ない。
そもそも死ぬことは思考停止でしかなく、救いでも解放でもない。そもそも死んだところで、自分だけが楽になって周りに迷惑をかけるなんて嫌すぎる。
それなら自分という存在が全て消えて、みんなが自分を忘れてくれた方が嬉しい。それはそれで悲しいけど、自分以外に辛い思いをしないなら迷わずそれを選ぶと思う。
けどもしもボックスなんて存在しないし、こんな幻想叶わないから、こうして生きていくしかない。

毎日こうして自分の存在を考えて不安に苛まれることを反芻しているけど、これは病なのか癖なのかわからない。
みんなもこうしてやっている事なのなら、自分が弱すぎるだけだし、やっていないのなら異常者なんだろう。
わかりたいようでわかりたくない。知ってしまったらまた苦しくなる。

周りと比べることをやめれればきっとこんなふうに成らないのだと思うけれど、インターネットからは離れられないし人のために何かしてに認められたいという小さくて大きいこの承認欲求がより他人と自分を比べさせる。

今こうして書いている文章もチグハグで、とても読めたような文章じゃないのだろう。書いている自分が酷い文章だと思って書いている。面白くもなければ、文章もまとまっていない。考えたことをそのまま綴っているような備忘録のようなこの文字を誰が読むのだろう。毎日メモ帳に書いていることをこうしてノートにして、誰かに伝えたいというのにいつものように書いてしまう。
どうせこうやって書いたところで、数日後にはやめてしまうだろう。
辞めることを知ってる人間はその辞めることの簡単さを知ってるから、自分はきっと何も続けることは出来ない。仕事も勉強もゲームも、何もかも続かず中途半端。

ああ、またこうして卑下する。きっと自分を卑下することだけは続けられる。これだけが自分の才能なのかもしれない。

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