なぜ低学歴=無能なのか

コロナウイルスの影響でどうやら多くの方が職を失っているようです。そしてもちろんそんな方々は、次の就職先を探すわけです。

ただ、ここで問題となるのが、「高卒」という学歴です。

挑戦してみたい仕事はあるし、興味のある仕事もたくさんある、しかし「高卒」であったがために、そんな仕事に就くことはできない。。

じゃあ今から大卒を取るのかといったら、それではあまりにお金と時間を無駄にしすぎてしまいますよね。

これまでの職場で十分活躍していたにも関わらず、不運で職を失い、「高卒」であるがために仕事が見つからない。妥協に妥協を重ねなくてはならない。。というのはあまりに理不尽ではないでしょうか。

なんなら優秀な人材だったとしても、ここに例外は少ないわけです。

今の世の中、なかなか再スタートというのは厳しいものです。

どんなに真面目に頑張ってきた人でさえも、仕事が見つからない。

それはその人たちが「低学歴」なのが悪いのでしょうか?
本人が大卒を取らなかったから自業自得なのでしょうか?

もちろん世間的にはそうなのかもしれませんが、それが常識であるからというのは、理由として不十分だと思うのです。

大卒の人がやる仕事は高卒でもできる

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新入社員に求められるのは、それまでに身に着けてきた「専門性」を発揮することではなく、与えられた仕事に対し、教わったことを使って、できるだけ効率的に終わらせることです。

もちろんすべての職がそうとは限りません。
ただ世の中の大半は、そうだということです。

古文・漢文の教養を深めていた人が、公務員で事務仕事をする。経営について学んでいた人が、営業職につく。ITを学んでいた人が、工場勤務。こんなことを全く少なくありません。

そしてそれらの仕事は、まぎれもなく「高卒」の人間にもできることです。

大卒にどんなスキルを求めている?

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よく大卒が高卒より優秀であるという話を聞きますが、高卒の人が大卒に進化する過程の4年間で学んだスキル、具体的にどのスキルを企業は欲しがっているのでしょうか。

大学と一口に言いますが、一方は機械工学を学び、一方は理論物理を学び、そして一方は法律を学ぶ。

このように大学で学ぶことは全く共通していないわけです。

中には、研究も論文もないような大学まであります。

なのに新卒一括採用では、共通して大卒であることが求められている。

彼らは具体的に大卒だけがもつ、どんなスキルを求めているのでしょうか。

百歩譲って大学は学生に何らかの素晴らしいスキルを共通して与えているとしましょう。しかし、それを真剣に受け取る学生はどれだけいるでしょうか。

私もまだ20代なわけですから、大学に進学した人の話を聞く機会はいくらでもあります。

そこで分かることがいくつかあるのです。
というか誰でも知っていることですよね。

・大学は授業が少ない
・誰も授業を聞いていない
・スマホをいじるのは当たり前
・出席すらしない
・それでも卒業できてしまう仕組み
・取りこぼすわけのない単位

よく大学は「人生の夏休み」なんて言いますが、数百万はらって、4年間の休暇を得る必要があるのでしょうか。

それでも就職実績は落ちることがありません。

それは大学での成績などたいして企業は見ていないからです。

それだけ大学で良い講義をしても、学生が受け取らなければそこには何のスキルも生まれないわけです。

そんな4年間を過ごした大卒が就職で有利になるなんて全く信じがたいことです。

大学卒業ではなく大学入学に価値がある

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そうは言っても大卒は優秀なわけです。大卒の方が待遇が良いです。

これは日本に学歴社会が浸透している以上、当たり前のことです。

そして高学歴の方が待遇が良いとなったら、もちろん学生は良い学歴を得ようと競争します。

厳しい受験を突破してきたんだから、高卒よりも大卒のほうが優秀な人間の割合はもちろん多いわけです。

それは大学で何を学んだかにかかわらず、受験というフィルターを通じて、経済的・精神的に余裕がある人間以外が古い落とされるからです。

それならば、大卒が優秀である理由は、大学生活が素晴らしいわけではなく、大学に入学できたからということになります。

そこからの4年間の学びには意味がないので、本当はこの入学試験が終わった時点で、その人が優秀であるかどうか判断しても何ら問題はありませんよね。

しかしこれまでそのやり方で高度経済成長してきたこともあり、日本社会はすでに大卒という資格を神格化してしまっています。

ここからは悪循環です。

大卒が優秀なので、企業は大卒しか好待遇で採用しないし、そんな待遇を手に入れるために優秀な人材はますます大卒を目指します。

今となっては、企業からしても、就活生からしても「大卒」というのは素晴らしい資格なわけです。

ここに学歴社会の大きな弊害があります。

大学に入学した人たちは、ほとんどが企業に入って活躍できるポテンシャルをもっているのに、強制的に4年間を犠牲にしてしまう点です。

たしかに4年間のキャンパスライフは楽しいかもしれません。

でも数百万の価値があるかと言われたら、きっとそんなことはないはずです。

少なくとも今の私にとってはそうです。

数百万を払ってまでこの不況の日本社会の中で、4年間も休暇を取りたいですか?

例えば手取り20万あるひとなら、4年間で単純計算なら960万稼げるわけです。大学に払うお金が200万だとしても、ゆうに1000万以上の差があるわけです。

さらにこの1000万を年利5%で運用した場合、年50万がプラスになるという可能性もおおいにありえます。

現在なら投資信託や、分散投資を行うことで5%を目指すのは、不可能だとは思いません。

はたして、奨学金という借金をしてまで、その4年間の休暇は必要でしょうか。

もちろん、そこに目的があるのであれば、全く問題ないと思います。

しかし、飲み会と遊びに明け暮れる4年間なのだとしたら、、、おそらく一度働いたことがある人は、絶対に通いたいと思わないでしょう。

残念ながら、そういったことは大学を卒業してから気づくものですが。。

社会にでてから気づく

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だから4年間の代償の重さはノンストップで当たり前に大卒を取得してきた学生には気づけないのです。

あとになって大卒をとって違うキャリアを歩もうとする人には、そんな代償がはっきりとあらわれてくるわけです。

何らかのことが原因で新しい仕事に尽きたいけど、大卒じゃないと仕事がないという壁にぶち当たった人は、その壁を乗り越えるために大金と意味のない4年間を支払うことを請求されるのです。

もし求められるのが、スキルだとするならば、人生を変えたいと思った人は新しいスキルや資格を身に着けて再挑戦できます。

求められるのが大卒だったら、違う人生を歩みたいと思った人は、数百万円とともに自分のやりたいこと以外のために4年間も捧げなければいけません。

高卒はまだ高卒認定試験というのがあって、合格する実力があれば、いつでも次のステップに進めます。

しかし、大卒には大卒認定試験がないのです。

理不尽な代償を支払うか、非常に限られた選択肢の中から、仕事を選ばされるわけなのですが、それは当人の自己責任によるものでしょうか?

余裕のあるうちに大卒を取得しておかなかった本人の努力不足でしょうか。

幼少期にほとんどが決まる

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東大生をたくさん輩出している学校のほとんどは、中高一貫校です。

良い中高一貫校に入れるかどうかで、自分の最終的な学歴は変わってきます。

東大にかぎらず、早稲田や慶応でも同じことです。

いい大学にはいれるかどうかが、小学6年生の段階で決まってしまうわけです。

私の知り合いにも、現役の慶応学生がいますが、やはり中高一貫校に通っていて、そして親は政治家で大変優秀なのです。

これは、知人が小学6年生にして、俺は中高一貫校に行くんだと言い出したわけではなく、当然のことながら親がきっかけを作っていて、また親に経済的・精神的な余裕があるからできたことだと思うんです。

であるのなら、小学生自身が努力して解決できるかどうかも疑わしい、というかほぼ不可能に近いことです。

親や環境しだいでは、小学生にうちに勉強しようというアイデアに至ることさえできません。

きっかけも与えられずに、「よし、中学受験しよう」と思える小学生なんて気が狂っています。

ゲームや遊びのほうが、楽しいに決まっているわけです。

そう、親の学歴は子供の学力を大幅に決定してしまう。ここには幼児教育の大切さがしみじみと現れています。やはり、賢い人にはそれなりの幼少期があります。

そして高卒の人の話を聞いてみると、やはり両親が忙しかったり、片親だったり、とても子供に数学や歴史を教える時間をさけるような精神的・経済的余裕はありません。

もしそんな時間があったとしても、そんな発想や考え自体持ち合わせていない人が多いですよね。

親だって、飲み会やドラマ鑑賞の方が、楽しいですからね。

私はよくこう思います。「もし自分が彼のような環境で生まれ育っていたとしたら、私の学力や思考力は今と同じだっただろうか。。」

今、高卒で仕事がないと困っている人たちの責任は、本人の努力不足にあるのだろうか。

正直、私は学歴も経歴もそこまで良いとは言えない、そして18歳、つまり大学受験に失敗して、高校を卒業するまで、勉強というものの面白さにも、本当の大切さにも気づかず、勉強をする意味さえも誤って認識していました。

低学歴と高学歴、どっちが良いとか悪いとかはありませんが、完全に社会はそこで分断されてしまうわけです。

学歴は驚くほど連鎖していくからです。

大卒は大卒の親の元に生まれ、高卒は高卒の親のもとに生まれてくる傾向があります。

中学受験や高校受験を通じて、それぞれは完全に分離されてしまいます。

お互いの影響を受けて、進路を変更することもできません。

当人たちの努力では、乗り越えることのできない目に見えない壁がそこにあるんだと思います。

日本は変わってない

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これは日本社会全体の大損じゃないですかね。

本当はスキルを身に着けて、新しい仕事に就けるはずのたくさんの人達が、大卒システムの壁に阻まれて就職できないでいる。

そもそも大卒の人たちがしている仕事の少なくない割合が、別に大学なんて出なくともできる仕事であるのにです。

スキルを持っているかどうかではなく、学歴を持っているかどうかを基準に採用活動を行ってきた日本企業ですが、それでも日本は成功してきたわけです。

今でも年配の方たちは、自分たちの成し遂げてきたことに鼻が高いだろうと思います。

それは本当に素晴らしいです。私のような若者が軽々しく評しているのが、大変恐縮なほどに。。

しかし、それはもう終わりました。
今それを真似ていることに問題があります。

日本企業の時価総額をご覧ください

世界時価総額ランキング

日本はもうかつて人々が言っていた意味での先進国ではないのです。

知っている方にはくどい話かもしれませんが、世界全体での日本企業の時価総額を比較すると、かつて上位を独占していた日本が、今や見る影もないわけです。

これは、世界の時価総額ランキング、平成元年と現在を比較して頂ければ、どんな方にも容易に理解して頂けると思います。

持っているスキルではなく、無益な4年間を尊重するシステムはもう機能しなくなると思うんです。

しかしそれでも学ぶことの意味がなくなるとは思いません。これまで何も学んでこなかった人に仕事がないのは当たり前の話です。

そうであっても若い余裕のあるうちに学歴をとれるかどうかは、本人の努力ではどうにもならないことの方が多いと思いませんか?

せめてもし新しいスキルを身に着けて新しい仕事に挑戦しようと思ったときに4年後ではなくて、その瞬間から挑戦が始められる大卒認定のようなものがあれば、個人も社会もより良いものになっていくのではないでしょうか。

私は大学生を馬鹿にしているわけではないですし、私より優れている人間は山ほどいることも知っています。そして企業が悪いわけでもありません。

彼らは現在のルールのもとで、最善を尽くしている優秀な方たちです。

これはあくまで、私の独創的な価値観であって、しっかりとスキルを学んでいる大学生もいることでしょう。

そしてそんな方だからこそ、この価値観は割と理解して頂けるのではないかと思います。

最後に

こんな記事の内容を偉そうに主張したところで、おそらく世間からはたたかれるかもしれませんので、そんな方たちに気分を害してしまったことをあらかじめ謝罪しておきます。申し訳ありません。

そしてこのようなことを言っても世の中は変わるわけではないので、私はこの記事に共感してくださる方がいれば、大変喜ばしいと感じますし、この思考から自分の人生に生かすこともできました。

様々な主張が飛び交うなかで、最も大切なことは、「自分のアタマ」で考えることだと思っています。

本やネットの情報に洗脳されるのではなく、その情報に、whyとhowをもって自分で考えてみるべきです。いや、皆さんにそうして欲しいわけではありませんが、私はそうするべきだと思います。

と、自己啓発本を読み漁って正社員を失った21歳が語ったわけですが、楽しんでいただけましたでしょうか。

最後まで読んでいただけたか分かりませんが、以下の言葉が目に入ることを願います。

「ありがとうございました。」


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