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見方を変えると

私は昔
家事も育児もしながら
働く女性でありたかった。

それが叶わないと知った今でも
まだ自分に出来ることは無いのかと
模索している。


外に働きに出ていれば幸せだと
そう思い込んでいるのか
そう思いたいのか
お金のことが不安なのか、、、。


誰かの役に立てて
素敵な笑顔でありがとうと
そう言ってもらえた時の
幸せだなぁと思っていた記憶が
たまに蘇って来るんだ。


「しんどいなぁと思っていても
ここに来てヨガをすると
楽になるから。
だからレッスンに来るんですよ」

そう言ってもらえた時の
内側から湧き出るような温かい気持ちは
いつまでも私の中に残っていて。


そーゆう物を求めてしまう時がある。

だけど、子供たちと家の中で過ごす日々は
私が自分と向き合うには
とても必要な時間で。


そーゆう外側の刺激が無くても
じんわりと感じられる幸せがあると知りました。

そしたら
ますますこの19年と言う月日を
過ごして来られた奇跡に
気付けるようになりました。
忙しさやストレスに耐えられるように

自分で自分の感情に蓋をして
感じられなくなった感性、

繊細な感覚を 
少しずつ取り戻して来て
感じられる状態に
とても戸惑っている。

どう扱ったら良いのか。

それとともに喜んでる自分も居る。


わたしには本当はこんなにも繊細に
感じられる能力があると
やっと気づいてくれたね❣️

そう喜んでいる様にも
思えるんだ。

そのセンサーを自分のために使ってみて
愛のタンクが満帆になった時
自然と外側に溢れ出る物があり、
幸せの循環が起こる。


らしい。

今日は昔実家で食べさせてもらって
とても嬉しかった
鯛の昆布締めを作ってみたんだ。

納得いく美味しさには
ならなかったんだけど
何だか心と身体が軽くて
喜んでる気がした。


やりたい!に素直になると
心も身体も調子いいみたい。

そして、その気持ちは
そうしようと思わなくても
自然に自分の内側から
湧き起こって
自然に動いてる状態になる。


その流れはまだサラサラでは無くて
よく滞るのだけどね。
流れた時の心地良さを覚えておいて
それが持続するように
して行けたらな。
そんな風に思う。

そう思うと
子供たちがそれぞれに
やり方を見せてくれてる気がするのだ。

私よりも後に、
より次元の高い魂として
生まれて来た命。

がんじがらめの大人の価値観に
縛られ過ぎないように
一緒に歩む同士のような存在で
付かず離れず
ともに歩みたい。


思春期を迎え、数年過ごしてみて
今はそんな境地にいる。


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