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新刊『誤作動する脳』を読んで②

ツイッターに投稿された【あっきー@akky87195860】さん(医学系の本の編集者)の感想をご本人の承諾を得て、転記します。

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樋口直美『誤作動する脳』(医学書院)、読了。興味深かった。

ええと、「興味深い」というより、いいとかわるいとか細かいことを考えずにより素直な気持ちで言い表すなら、「おもしろかった」になると思う。

レビー小体型認知症と診断された著者の日常を、豊かな、とても豊潤な言葉を駆使して書き綴っておられる本。壮絶でもあるけど、豊かな世界観に浸るイメージ。

文章はパソコンで書かれているらしいですが、作中の言葉を借りれば、手書きでは「漢字を書く力は小学生レベル」「メモはほとんど平仮名」だそう。伊藤を「いふじ」、仏を「イ・ム」と認識してしまう瞬間もあるとのこと(しばらく経つと正しい読み方に気づく)。

作中でも繰り返し述べられているとおり、認知症は非常に多岐で多彩な症状が現れるので、安易な思い込みは厳かに慎もうと自戒して読み進めてはいたのですが、それでもやはり、文章を書くのにおそらく多大な労力が必要であろう人が、こんなにも濃厚な文章表現を実現していることにただただ驚嘆する。

そんななかで、個人的にうーんと考え込んでしまったところが1つあって、これは、今の仕事をしている限り、ずっと考え続けていかなければならないことなのだろうと思うのですが、以下、該当箇所を少し引用します。

「患者自身が読むことを想像すらしない専門家によって書かれた解説は、患者にとって凶器となります。希望も救いもない病気の解説が、そのまま患者自身のなかで確定してしまうからです」
「私たちを社会から切り離すのは、単純な無知や根拠のない偏見ではなく専門家の冷酷な解説だと私は感じていました」

医が、科学であり実学であるがための、ジレンマでありアキレス腱の一つなのかもしれない、と思う。

とはいえ、そのジレンマに対する答え(らしきもの)も、本書を糸口にして考えることは一応できて、著者が、某公共放送のテレビディレクターから取材を受けた際に感じた「敬意と知的好奇心」を持って、ことにあたる態度こそ、あらゆる潤滑油になるのだろうと思う。

単なる知的好奇心ではだめなのだ。凶器になってしまう。冷酷になってしまう。
単なる知的好奇心は、結果的に中立性が際立ってしまうがために、凶器になり得るのだ、冷酷に感じられてしまうのだ。
知的好奇心というするどい剣を納めるにふさわしい、敬意という名の鞘が必要なのだ。きっと。

それと、特に僕が「うーん」と考え込んでしまったことがあって、専門家(=解説の書き手)よりもよっぽど、僕のような「専門家ではないのに医の解説を世に送り出す一端をになっている立場」は、よりかなり厳しい戒めを胸に刻んで、専門書の編集に向き合わなければならないな、とあらためて思いました。

僕のような立場は、(臨床におらず医を実践しないので)患者さんという存在をいとも簡単に置き去りにし得る職種なのだろう、と。
たとえば「幻覚」「せん妄」「もの忘れ」「記憶力低下」といった単語を、「先生に書いていただいた原稿のなか」でしか把握していない状態に、容易に陥りがちだと思う。

これは本当に。本当に気をつけなければと強く思ったことでした。今後の自分のために書き残しておきます。

実を言うとめちゃめちゃ言葉を選んで感想を書いており、これ以外にも個人的にはバチボコ気づきがあった。それらは胸に秘めておく。

(文:あっきーさん)

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