ショパンの音大同級生~ドブジンスキー作曲作品を聴く
ショパンの手紙は、意外と作曲仲間に関する話題がない。
もしかするとワルシャワ音楽院の同級生とレベルが違うとか違和感あって、積極的に音楽を語ったり友だちになったりはしなかったのかな?
そんなこと思ったけど、ワルシャワ音楽院時代の同級生で名のある作曲家がいることを知った。youtubeにあったので、さっそく聴いてみる。
ショパンの曲とよく似てる。
似てるけど少し違う。
違うけど、優劣ではない気がする。
ショパンみたいに泣きたくなったりしないから、むしろ聴きやすいかもとか思ったり。明るいよね。
この作曲家のことをもう少し調べてみる。
ポーランドの作曲家、フェリクス・ドブジンスキー
1807年生まれ。1825年からはワルシャワでエルスナーに師事。
最初は個人的に、その後1826年から28年にかけてワルシャワ音楽院で学ぶ。
(ショパンの同級生)
ドブジンスキーは、1835年ウィーンの作曲コンクールで2位を獲得。
この交響曲は後に「ポーランド音楽の特徴的な精神における交響曲」と呼ばれ、楽章はフェリックス・メンデルスゾーンによって指揮された。
英語wiki、ポーランド語wiki、ポーランド音楽ポータルサイトより。
エルスナー教授と、音楽院のふたりの生徒
ドブジンスキーに対するエルスナー教授の評価は「並外れた能力」。スゴイな。彼はポーランド~ウィーンでさまざまなジャンルの音楽を作曲し、オペラも多く作曲した。
ショパンに対するエルスナー教授の評価は「特別な適性、音楽の天才」。こっちは最上級だ。パリで成功したショパンに、教授は熱心にオペラ作曲を勧めたが、彼は作ろうとしなかった。
なんだか対照的。
1858年のドブジンスキーとティトゥス
1858年、ドブジンスキーはリヴィウ音楽協会の会員になった。
リヴィウと言えば、ショパンの親友ティトゥスくん。
かつて『リヴィウの想い出』を作曲するほどの音楽好きなティトゥスは、そのころドヴジンスキーと会ってるんじゃないかな。ワルシャワ→リヴィウの間に彼の領地ポトゥジンはある。地元の名士だし、招待しそうだよね。
ふたりとも同世代で50歳。
ショパンは亡くなって、すでに10年経つ。
思い出話に浸ったかもしれないね…。
4年後、ポーランド人による初めてのショパン伝記が出版された。
(カラソフスキー著:いろいろ問題になる本らしい)
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