見出し画像

(3)ショパン家の寄宿生たち

ショパン先生の寄宿舎

父ショパンは ワルシャワ高等学校のフランス語の先生だ。
一家は、学校敷地内の職員宿舎に住んでる。

先生の給料は薄給らしいが、宿舎の間取りは4部屋で、かなり広い。
ショパン先生は2部屋を高等学校の生徒の寄宿舎(下宿+賄い+家庭教師)にした。定員は6名。

清潔で規則正しい生活と、おいしい家庭料理、あたたかな家庭的な雰囲気の寄宿舎で、教育熱心でクールなショパン先生がフランス語と、紳士になるための上流階級のマナーを教える。家庭教師が来て、歴史・数学・教養として音楽のレッスンもある。

語学をものにするため、ショパン先生に話しかけるときはフランス語を使わなくてはならない。
でも、そのあと続かなかったら、ふだんのポーランド語で会話かな?


『清潔、おいしい料理』が売りになるということは、他の寄宿舎はそうではないのかもしれないね。ショパン先生の奥さんは、12人分…ショパン夫婦+子ども4人+寄宿生の食べ盛りの男の子6人分のご飯を一日3回、毎日作ってたのかな?(しゅごい)

生徒にとってショパン先生は父親のよう。厳しく優しく熱い。
親にとっては息子を安心して預けられる場所。
ショパン先生の寄宿舎は、ワルシャワで評価が高かった。
お値段も、ワルシャワで最高クラス。それでも希望者がたくさん。

そういえば、パリ時代のショパンのピアノレッスン料も、当時のパリで一番高かったが、生徒が絶えなかったという話がある。
教え上手に加え、自分が提供する価値にしっかり値段をつけて請求できるのは、父ショパンの影響かなって思いました。

寄宿生たちのイメージ画

仲の良い寄宿生たちのイメージ画

ショパン家の家族と日常をともにした寄宿生たち。
一緒にご飯食べて、勉強しておしゃべりして笑って泣いてとっくみあって、門限は厳しく、夜更かしして叱られたり?
模範生や優等生として表彰された子も多い。
みんな、高等学校卒業後はワルシャワ大学に進学した。

ポーランドは農業国で富裕層は地主が多く、広大な領地~農村とか地方まるごと~を持っている。学生たちは、その領地を継いで農場経営をするか、役人に就職するために、大学では法律・行政学部を専攻した。

寄宿生の中で知名度が高いのは、多くの手紙をショパンと交わしたティトゥス。『手紙』から、ショパンが彼をとても尊敬し友情と愛情を注いでる様子がわかるのですが、彼はいったいどんな人だったんだろう?

また、みんな領主の『息子』なのですが、ティトゥスは違う。
そんな彼がなぜワルシャワの学校に来たのか?次回はそのテーマで。


【マガジン】ショパン 



よろしければサポートお願いします!