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キナリ杯がいかに優れたフォーマットだったか

約1年前、作家の岸田奈美さんが文章コンテスト「キナリ杯」を開きました。私も参加して、ありがたいことに受賞。

今年は開催されないそうですが、改めてこのコンテストは仕組みが良くできていたな、と思い出したので、その辺を真面目に書いてみようと思います。

そもそもキナリ杯とは

※知ってる人は読み飛ばし推奨。

・岸田さん主催の「面白い文章」を投稿するコンテスト
・ジャンル不問
・審査員は岸田さん1名
・面白い文書を読みたい!と言う岸田さんの願いのために、ご自身の一時給付金10万円を賞金に使った→協賛者が増えて最終的に総額100万円ぐらいに
・面白い人をどんどん褒めよう!という方針の元、賞金が増えたので受賞枠が53作品まで増加
・応募作が4200件以上集まった
・結果発表は半日ぐらいかけて実施(受賞作が多いため&全部に講評がつくため)

公式のまとめはこちら。

3つの仕組み

で、個人的にすごく良いなぁ…と思った仕組みが下記の3つです。

・授賞式の半日という長さ=拡散期間の長さ。多くのユーザーが参加しやすく、実際していた。当日はお祭り状態で楽しかったなぁ、という人多数。

・受賞者の多さ=拡散チャンネルの多さ。強くコミットした当事者がいっぱいいるので、どんどん拡散された。かっこよく言えばコンバージョンが極めて高いユーザーを多く抱えることができた。また、受賞者同士のコミュニティもできてそれがまた二次的な拡散を作る母体にもなった(かも?)

・「文句のつけようがない」審査形式。後述。

3つ目が一番伝えたいところです。ここがキナリ杯で一番私が好きなポイントであり、岸田さんの優しさだなと思っていて。

「文句のつけようがない」審査形式

人って、どんなに素晴らしい取り組みでも「なんかよくわからん」「こいつのこと知らん」という理由だけで文句を言いたくなる本能があるらしいんですね。まぁ確かに自分の縄張りに異物が入ってきたら警戒するのが動物の本能なわけで、これは仕方ないとして。

対してキナリ杯。受賞者にも、主催者サイドにも、文句が言えない構造になっています。もし文句を言われても対応できます。

では試しにディスってみましょう。

村上牛とかいう奴の受賞作、全然オモロくないやんけ!なんで受賞しとるんや!
→あなたの「オモロ」基準が岸田さんのそれと異なるからです。岸田さん1人が「オモロ」と思ったらそれが受賞する、という仕組みなだけです。もし岸田さん個人の「オモロ」基準を否定したいのであれば、それは普通に人権侵害。個人の嗜好は個人の自由です。ちなみにあなたの「オモロ」基準は誰も否定してないです。ご安心ください。
でっかいコンテストなのに1人の独断と偏見で受賞作決めてええんか?不公平!
→規模が大きくとも、主催者が「私の給付金出すから面白い作品書いて!」と言っているのがキナリ杯です。税金とか法人のお金とかから褒章される賞なら公平を求める声もまだ分かりますけども。

こんな感じで、誰も傷つけ(られ)ない仕組みになってます。
※悲しいことに、それでも受賞者や岸田さんを批判する声があったのも知ってます。ただその批判された方々にお伝えしたいのは、それらは全部「批判した人の無知、ないしは気のせい」であること。もしくはシンプルに嫉妬です。
※批判してしまった方々にお伝えしたいことは、「ご理解のほどよろしくお願いいたします」です。

先日の岸田さんのnoteに下記の1文がありました。

昨年4000件近くひとりで読んで「こんなにおもしろいものにわたしが順位をつけるってどないやねん」と打ちのめされてしまった(中略)

これを読んで、「そんなことないよ!!そんなことない!!!」という日向坂にマヂラブ村上電撃加入みたいな感想が出てきたので、このnoteを書きました。

この誰も批判できない仕組みがあるのは、「岸田さんが応募作を全部読んで、1人で賞を決めた」からです。ここがキナリ杯の最も素晴らしいポイントの一つだと、私は考えています。

ただそれにしても岸田さんのマンパワーエグすぎ。会社員なら労基がダッシュで抱きしめにくるレベル。もし今後キナリ杯的なことをやるのであれば、利点を残しつつ作業負荷を多少低減できるようなシステムが作れるといいですね。

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