遥かなるアウェイの地で見る異次元のサッカーを通じて、サッカーの奥深さとアウェイの恐ろしさを改めて思い知った、というお話
GWになりました。世間では今年のGWは◯連休みたいなのが組みにくいという評判ですが、だからといって何もしない訳がありません、こういうこそ「真価」が問われるのです(笑)。こういう局面ではむしろ「前半」と「後半」に分けて遠征を組むのが、真の遠征芸人!ということで、GW前半は28日に横河武蔵野のアウェイ、ヴィアティン三重戦で東員町まで行き、そのまま移動して翌日は長岡まで行ってプレミアリーグウエスト、帝京長岡のホームゲームを見に行く行程を組んでみました。なかなかハードな遠征になりましたが、実に充実した内容でした。
4/28 JFL@LA PITA東員スタジアム ヴィアティン三重 1-0 横河武蔵野FC
4月末なのにガッツリと暑い日でしたね。一昨年にここに来た時も10月なのにやけに暑かったように記憶してます。まあ、東海地区の暑さはよ〜く存じあげておりますので(笑)まあこんなもんだろうな〜と個人的にはそう理解しております。
と、会場に行く前に桑名市博物館で刀剣の展示があるということで、ちょっと早めに桑名入りして行って来ました。まあ、さすがは村正が生まれたと言われる土地に相応しいくらいの豪華なラインナップ。それに加えて詳しい刃紋の解説もガッツリされていて、もう今日はこれで十分!大満足といった感じでした←おいコラっ!(笑)
さて肝心の試合はというと、前半は互いに様子見、牽制、相手のいいところを潰し合うといった様相で、特に大きな見せ場はなかった展開。とはいえ、武蔵野は特に左サイドの鈴木の突破から、三重は元武蔵野の池田のロングスローからと、それぞれ効果的なチャンスはいくつか作り出していました。しかし、どちらも守備陣が冷静に対応するなどで得点を許しません。緊迫感はそれほどなかったとのの、ある一定の緊張感を保ったまま前半を0-0で折り返します。
後半、立ち上がりの15分くらいまでは武蔵野が押し込む時間が続きました。特に動きが目立ったのは、鈴木の石原のベテランコンビ。鈴木は左からだけでなく右に流れてもクロスを放り込む、大車輪の活躍。しかし、単純に上げたクロスは最も簡単にヴィアティンDFに跳ね返され、効果的なチャンスに繋げられません。苦しい時間を凌いだ三重は、攻撃の選手を一気に3枚交代させてから、徐々にペースを取り戻していきます。武蔵野も苦しい展開になりながらもDFの踏ん張りで凌ぎ、あとAT数分逃げ切れば0-0のスコアレスドローという89分。前半から再三苦しめられていた池田のロングスローから三重11番木戸のシュートに、ゴール寸前で軽く角度を変えた10番田村のゴールで三重が待望の先制点。そのまま逃げ切ってヴィアティン三重の勝利。勝点3を勝ち取りました。
武蔵野に蔓延する「ベテラン頼み」の空気感、三重の堅実感の裏に潜む「息切れ」の恐怖…
この日の武蔵野は珍しく(笑)シュートをよく打ってました。相手の倍以上(武蔵野14本、三重6本)打つなんて、いつ以来でしょうか?(笑)でも、打つシュートがどれだけ枠を捉えられていたかというと、実際は2、3本あったかどうかではなかったでしょうか。ある意味「打たされた」シュートもあったでしょう。それだけヴィアティン三重の方が一枚上だったということだと思います。また、攻撃のパターンも結局、5番の鈴木と18番の石原さえ抑えればあとは後藤のミドルに注意すれば怖くない。そう、ヴィアティン三重ベンチに見切られていたのかもしれないです。そろそろ、新しい攻撃の切札、出来れば若い子が出てこないと武蔵野はしんどいかな?と感じた一戦でした。
一方のヴィアティン三重。いかにも間瀬監督らしいなぁと言わんばかりの、実に堅実で安定感のある試合展開でした。元々、計算のできる中堅からベテラン選手が多く、彼らを上手く起用することで大崩れをしない試合展開とリーグ戦の進め方をやってくるのだろうな〜、ということが見て取れるような試合でした。選手交代も一気に3枚代えて攻撃へのスイッチを入れたりするあたりは、Jでの経験値が活きているようにも思えます。見ていておもしろいとか、一見強そうには見えないですが、最終的にこういう堅実なサッカーが一番強かったりするのです。
ただ気掛かりとすれば、主力の年齢層が高いこと。半年間のリーグ戦、特に疲れが溜まり始める6月以降に主力選手のパフォーマンスが落ち始めた辺りからが、このチームの正念場になるでしょう。その頃に、まだ苦しいながらも勝ち星や勝ち点を拾うような展開が続けば、今年こそは念願のJリーグ参入も見えてくるのではないでしょうか。選手の力量も、それを活かす監督次第ということで、今年のヴィアティン三重には終盤まで目が離せないことでしょう。
この日はそのまま名古屋に出て、特急しなのに乗って長野まで。さらにそこからは北陸新幹線に乗り換えて、上越妙高駅まで向かって「定宿」東横インで本日の行程は終了です。おつかれさまでした…
4/29 プレミアリーグウエスト@長岡市ニュータウン運動公園サッカー場B 帝京長岡 3-0 鳥栖U-18
前日の暑さから打って変わって、過ごしやすい朝。新潟の山間ということもあり、世間一般的な「春らしい」気候ってのはこれくらいなんでしょうね、などと思いつつ…。
この日は朝から長岡まで移動するのですが、実は目的地は長岡市内でも西の端に位置しているため、長岡よりも西に位置している上越妙高からわざわざ長岡の市街地まで行く必要もなく、また帰りもわざわざ長岡駅まで戻ることもなく、長岡に行ったのに長岡の街中には一切寄らずに帰るというのがこの日の全行程となります(笑)。
ここ、上越妙高にはJRは走っていません。正確には「新幹線以外のJR」は走っていません。整備新幹線の並行在来線に関する法律に則り、既存のJR在来線は民間へ移行されることになっています(一部例外を除く)。ということで、上越妙高駅からまずは第3セクターのえちごトキめき鉄道に乗って移動します。
えちごトキめき鉄道は実は2系統ありまして、上越妙高よりも南にある妙高高原駅からJRと接続する直江津駅までは「妙高はねうまライン」、直江津駅から富山県境にあたる泊駅までは「日本海ひすいライン」という名称になっています。ちなみに帰りは、直江津から糸魚川まで日本海ひすいラインに乗って移動することとなります。
まずは妙高はねうまラインに乗って2つ先の高田駅まで向かいます。
7:27上越妙高発の特急しらゆきに乗って高田まで向かいます。特急ということでたった5分の乗車にもかかわらず、乗車券とほぼ同額の特急料金を払っての乗車です。まあ、東日本のE653系の1100番台に乗れるのなら良しとしましょう(笑)
少し時間があったので、街中を行けるところまで行こうと思ったのですが、駅から高田城跡までそこそこ距離があったので泣く泣く途中で引き返しました。まあ、ここと春日山城跡とをセットでもっと時間をかけて来い、ということですね…。出直してきます(汗)。
駅前から雁木造りの商店街を歩きましたが、部活動の練習に向かうと思われる学生(高校生?)を何人も見かけました。実は高田城跡周辺には高校がいくつも密集しているのです。県立校だけでも高田高校、高田北城高校、高田南城高校、上越総合技術高校、そして高田農業高校と5つあり、理数科のある進学校の高田に昔でいうところの家政科に当たるであろう生活文化科のある高田北城、定時制もある高田南城とバリエーションも豊富です。もっと言えば、駅の反対側には私立の上越高校が、一つ北寄りの春日山駅の最寄りには国立上越教育大学もあります。
さらに、商店街の中に大手以外にも地元の学習塾がいくつも存在していて、街としてのポテンシャルの高さを感じました。なんでこんなに学校が多いのだろう?と思ったらなんてことない、直江津周辺の旧上越市には昔から工場が多かったようで、それが故に通勤に便利な高田駅周辺にファミリー層が多く住むようになったのではないかと思われます。新潟の高田といえば高田城の夜桜祭りくらいしか思いつかなかったですが、ここまでポテンシャルの高い街だとは、実際足を運んでみないと分からないことばかりだなと改めて感じさせられます。
直江津発新潟行き高速バスに乗ったのは8:50。このバスでこの日の現場近くのバス停まで移動します。乗った当初、4人掛けの車内に10人程度の乗客でしたが、途中のバス停から徐々にお客を乗せて行き、降りるバス停の少し手前には、ほぼ全ての列に誰かが座っているくらいにまで増えました。東京行きの夜行バスはコロナ禍で運休に追い込まれたようですが、それでも減便や休止にならなかったのにはやはり訳があるのでしょうね。
ということで、試合会場の最寄りのバス停である大積に到着。高速道路上のバス停で降りて、ここから約4.5kmほど歩くことに。機材とカートを持ってのこの距離はけっこう堪えますが(笑)20分くらい歩いて、まずは道中にあるコンビニで休憩。帰りはこのコンビニのそばにあるバス停から柏崎駅まで戻る予定です。
そこから少し歩き、幹線道路から外れて山の中に。そして現在舗装工事中と思われる道路を通ると(笑)今日の会場の名前にもある「ニュータウン」っぽい雰囲気になってきました。そこからさらに、長いダラダラと緩やかな坂道を登ること約10分。交差点の向こう側にようやくこの日の目的地の看板が見えました。やっと着きました〜!今日の現場、長岡市ニュータウン運動公園!
サッカー場は2面あって、どちらにもちゃんとスタンドが併設されていました。また、一部だけではありますが屋根もあったので、観戦するには申し分ない環境かと思われます。ちなみに試合があったのはBコートで、隣り合わせのAコートでは女子の高校生のサッカーをやってました(たぶんJAPANサッカーカレッジvs帝京長岡です)。
さて、試合の話題に移りましょう。今年、初昇格した帝京長岡ですが開幕から3戦で1勝2敗。勝ったのはホームでの神村学園戦、負けたのはいずれもアウェイの広島ユース戦と米子北戦。対する鳥栖U-18は2勝1敗。しかも、おもしろいことにこの両チーム。鳥栖が対戦したチームと、その次の節で帝京長岡が対戦するという順番になっています。
まあ、そんなことはさておき、試合は前半の序盤から鳥栖がフィジカルとスピードで帝京長岡陣内に押し込んでいきます。両サイドからガンガンとドリブルで切り込んで、クロスやシュートを放ちますがDFやキーパーのファインセーブに阻まれます。しかし20分も過ぎると慣れてきたのか、帝京長岡も鳥栖陣内に攻め入る時間が増えてきます。そうして迎えた23分、ボランチの4番池田が頭で落としたところにFW14番の安野が胸トラップからキープ、そして背中越しに後ろにいた10番柳田に浮き球のパスを出すと、それを体を斜めにしながらダイレクトボレーでシュート。トリッキー過ぎるプレーの連続にキーパーの反応も遅れ、先制ゴールが決まりました。
さらにその3分後には、右からのクロスにニアで待っていた先制ゴールをアシストした安野が鋭く振り抜くと、またしてもキーパーは反応できずにキーパーから遠く離れた逆側のゴールネットに入り、一気に2-0と試合を優位に進めて前半を終えます。
後半も帝京長岡のサッカーの前に、鳥栖U-18はなす術がありません。51分にエリア内でDFに囲まれながらも安野がマイナスのボールを出すと、それに走り込んできた2番遠藤がダイレクトでシュート。これまたキーパーはほぼ反応できず、お見事としか言いようのないファインゴールで3点目。これでほぼ勝負は決まりました。なんとか1点でも返したい鳥栖は、前半から何度か見せた24番池田のロングスローにチャンスを見出そうとしますが、帝京長岡DFの冷静な対応の前にどうすることもできません。そのまま試合は3-0で帝京長岡の勝利。ホームで2連勝となりました。
帝京長岡のサッカーの原点はクラブユースで培われたフットサルにあり!
今年、プリンスリーグからプレミアリーグに昇格したのは鹿島ユース、帝京長岡、岡山U-18、そして鹿児島城西の4チーム。唯一イーストに参戦している鹿島ユースは5節時点で1勝2敗2分、ウエストにいる鹿児島城西は4敗1分、岡山U-18は2勝3敗とまずまず健闘していますが得失点差では-3と苦しんでいます。そんななか、唯一勝ち越しているのは帝京長岡だけです。この試合の次に行われた同じくホーム開催の鹿児島城西戦も3-0で勝利。ホームでは圧倒的な強さを誇っています。
では、なぜ帝京長岡のサッカーがプレミアウエストで通用しているのか?ちょっと考察してみたいと思います。
その前にまずは新潟のサッカー、そして帝京長岡のサッカーについて見ていきたいと思います。
かつての新潟の高校サッカーを牽引したのは、新潟工業でした。J1新潟の強化部や取締役も務めた、元日本代表の神田勝夫の出身校でもあります。1990年代に入り、最初に頭角を表したのが東京学館新潟でした。その後、北越や新潟明訓、帝京長岡やJAPANサッカーカレッジの高等部の開志学園などが現れ、今は帝京長岡が県内トップでなおかつ全国でも上位に入るくらいの強豪校になりました。
社会人サッカーにおいては、Jリーグが出来る前は新潟イレブンというクラブチームがあって、何度か天皇杯にも出場した歴史を持つ、伝統あるクラブも存在しました。また社会人野球でも、新潟コンマーシャルクラブという、創部から100年以上の歴史を持つアマチュアクラブが存在します。こう見ると実は新潟は、昔からスポーツに対する熱意が高い地域だったのかもしれませんね。
そんな新潟の強豪、帝京長岡ですが近年までそんなに全国では強くはありませんでした。初めて全国大会に出場したのは2000年の選手権です。3回目の出場となった2012年に初めて初戦突破を果たすと、次の試合も勝ってベスト8の成績を残しました。そのまま全国の強豪になるかと思われましたが、その後は選手権でも初戦敗退が続き、次にベスト8に入るのは2018年まで掛かります(ちなみにその年の2回戦、旭川実業戦ではPK戦17-16という壮絶な試合も経験しています)。そして、その翌年とその次の年と2年連続してベスト4に入りますが、決勝戦の舞台にはまだ立てていません。でも、おそらくそれも時間の問題でしょう。近いうちに決勝に、そして優勝する日が来ることと思われます。
というのが、ざっと帝京長岡のこれまで歩んできた歴史になります。やはり転機となったのは2012年でしょう。それまでは「新潟県勢とやったら勝てる」と思われがちだったのが、一気にそうではなくなったのですから。近年の新潟サッカーの発展にはアルビレックスとこの帝京長岡が大きく寄与したと言ってもいいかと思います。
では、なぜその帝京長岡のサッカーが全国にまで通用するようになったのでしょうか?高校年代のサッカーの質の変化が考えられます。昔の高校サッカーといえば、清水商業などに代表されるしっかりと守りを固めて攻撃を仕掛けるか、国見のように圧倒的な運動量で相手を凌駕するかが主流でした。しかしJリーグが出来たことにより、静岡学園に代表されるような足下のテクニックを駆使したサッカーや、京都橘や野洲のような細かいパス交換をくりかえしてポゼッションするサッカーを趣向する高校が出てきました。その流れを敏感にキャッチしたのは、現在帝京長岡サッカー部の総監督を務める、当時の帝京長岡の谷口哲朗監督でした。
谷口監督は監督就任の年に初めて選手権に出場した、その翌年にその下の年代にあたる中学生を対象としたクラブを立ち上げます。それが長岡ジュニアユースFCです。この長岡JYFCですが、実はフットサル界では知らない人がいないくらい有名なクラブなのです。というのも、U-15年代の全国大会でなんと5度も全国制覇を果たしているのです。近年はさまざまな強豪クラブや、あるいはFリーグチームの下部組織などの後塵に配していますが、それでも今も現役のFリーガーも輩出し続けています。
長岡市を中心とした中越地方は、豪雪県として名高い新潟県の中でも特に雪の多い豪雪地帯です。雪国はどこも総じてそうなんですが、冬の間は外での練習はほぼ出来ません。みんなで雪掻きをしてからでないと外での練習はまず無理です。ですが、長岡クラスの豪雪地帯となると、まずもって雪掻きすら出来ないくらいに積もります。雪掻きなんてやってられません(笑)。なので、必然的に体育館など室内での練習がメインになります。フルコートの取れる屋内施設などほぼありませんので、必然的に屋内での省スペースでの練習となり、それに最適なのはフットサルということになるのです。長岡JYFCがフットサルの強豪になったのもある意味当然かと思います。
フットサル由来のサッカーは、西のチームにとっては「未知との遭遇」
そんな長岡JYFCと密接な関係にある帝京長岡のサッカーは、フットサルで培われたテクニックが存分に活かされていると言えるでしょう。それが特によく分かるのは3点目のシーンです。安野がDF3人に囲まれながらも絶妙なラストパスを出すシーン。ゴール方向は完全に2人に遮られていてどうすることもできない状態。そのうえ、背後からもう1人寄せに来て完全にボールを奪う体制が完了したと思われましたが、背後から来たDFが完全に寄せる前に生まれた僅かな隙間を察知して、そこをアウトサイドで軽く弾いてパスを出す。フットサルの狭いスペースで相手が寄せてきた時に、どのようにボールをキープすればいいのか、またいかにボールを上手く放すのかといったテクニックが存分に発揮されたプレーだったかと思います。
さらにこの後の走り込んできた遠藤のシュートですが、あれも普通なら勢い余って力強くミートしてしまい大きく噴かすことが多いなか、しっかりとミートしつつ、さらひうまくコントロールして、その上少し回転を掛けてカーブも掛けていました。フットサルをやっていると、キックフォームもフットサル特有のものに変化していくと言われています。サッカーではロングレンジのボールを蹴ることも多く、そうなると足を高く振り上げて蹴らないとなかなか遠くまで届きません。さらに足を高く振り上げることでボールに勢いも付けられるのですが、フットサルではそこまで長い距離のボールを蹴る必要がありません。また足を高く振り上げて蹴ろうとすると、その間に相手からボールを奪われるリスクも高いので、膝から下だけで蹴ることを余儀なくされます。そのため、ロングレンジの場合はともかく、それよりも少し短めの距離、だいたい10mくらいから長ければ15mくらいまでの距離であれば、フットサル経験者は膝から下だけのコンパクトな振りで正確にボールを蹴ることが当たり前となります。最近、長い距離のボールを蹴るチームが少なくなったと感じる方もいるかと思います。それは普段の練習がフルコートではなく、フットサルコートやそれよりもちょっと大きめのコートで練習しているからかもしれません。日頃から長い距離のボールを蹴る習慣が減ってきている、もしかすると長い距離を蹴るだけの足の筋力もない、そういった側面もあるかのもしれませんね。3点目のシュートシーンも、そんなフットサルで身についたテクニックが活かされたもののように感じました。
また先制ゴールのシーンの、ヘッドで落とした後のボールを胸トラップからボールをコントロールして、背後にいる味方に浮き球でパスを出す、という流れもボールコントロールに絶対の自信がないと出来ないですし、さらにボールを受ける前に味方がどの位置どの方向どんな距離感にいるのかを把握していないと、とてもじゃないとパスは出せません。しかも、それをほんの一瞬で判断してプレーしないといけないのです。これも、サッカーとは比べ物にならないくらい瞬時の判断力を必要とされるフットサルでの経験が活きていると思われます。恐るべし帝京長岡、恐るべしフットサル…
そんな帝京長岡の最大の敵とは…
と、長々と帝京長岡のサッカーについて書きましたが、少なくとも九州や西日本でここまで足下のテクニックに優れたチームはほとんどないかと思います。つまり、この日の対戦相手だった鳥栖U-18の選手にとって「未知との遭遇」と言えるのではないでしょうか。それくらいのインパクトはあったでしょう。
しかしホームでは圧倒的な強さを誇る帝京長岡も、アウェイではまだ勝てていません。考えられる要因としては、やはり移動距離の問題があるのではないでしょうか。昨年も横浜FCユースのウエストでの参戦で移動距離は半端なかったとは思うのですが、逆に横浜なら新幹線で移動できるし、九州のチームなら飛行機で羽田まで行けばそこからは楽なもの。距離の割には体への負担はそうでもなかったかもしれません。
でも今年の新潟、いや長岡はまあ行くのが大変です。ということで、ここからは私が今回、実際に帰った全行程をお伝えしようと思います。
まず、長岡市ニュータウン運動公園から先ほどのコンビニ付近のバス停まで約20分くらい歩きます。このバス停を14:00に出発、越後交通のバスに乗ること約45分、終点の柏崎駅前に到着します。
ここから柏崎駅15:11発の信越本線直江津行きに乗って直江津まで向かいます。直江津に着くのが約45分後の15:56です。約15分乗り換えで、今度はえちごトキめき鉄道日本海ひすいラインで糸魚川まで向かいます。16:12直江津発16:55糸魚川着になります。
ここまで在来線の各停のみでしたが、糸魚川からはようやく北陸新幹線に乗っての移動となります。乗り換え時間は約35分程度。とりあえず駅前をちょっとだけ散策。思った以上に海に近くてびっくりしました…
さて、ここからは新幹線なので一気にスピードアップといきたいのですが、実は乗ったはくたかはこれまた各停タイプで…(笑)。17:29に糸魚川を出て、終点の敦賀に着いたのは約2時間後の19:18でした…。ふ〜(汗)
敦賀でサンダーバードに乗り換え。世間では不評という噂の敦賀駅での上下ホーム乗り換え。実際にやってみたらそうでもなかったのですが…。まあ、乗り換え時間も30分以上あったし、そんなに人も多くなかったのもあるかもしれませんが…。そんなこんなで19:44敦賀発のサンダーバードで大阪まで。大阪に着くのが21:09、新快速に乗り換えて三ノ宮までに着いたのは21:42と、約8時間40分の長丁場でした。おつかれさまでした…
もちろん、これと同じような行程でチームが遠征するとは思いません。おそらく神戸ならバス移動でしょう。それでも同じくらいの時間は掛かるでしょう。
これが九州ならば、いっそ東京まで出てから飛行機で各地に行けばまだ負担は減るでしょう、お金はかかりますが…。以前にもお話ししましたが、新潟から飛行機という選択肢はほとんど使えません。使えたとしても伊丹に行くくらいでしょう。ここ2回の中国遠征(広島、米子)はおそらく東京まで出て新幹線か、もしくはバス移動でしょう。どちらにしてもほぼ半日ペースになるでしょう…
東海への移動も、実は公共交通機関を使おうとすると意外と大変で…。それでも名古屋ならまだ飛行機が使えるかも?ですが、静岡くらいならまあ4、5時間くらいのバス移動。北信越ならそれくらいはごく普通なので、彼らにとってはなんてことないでしょう。とはいえ帝京長岡の選手たちにとって、試合の前にまずはこの長距離移動との戦いがあるのです。
移動の大変さはむしろアウェイチームにとっても最大の敵に…
それは裏を返せば、対戦相手のアウェイチームにも同じことをが言えるのです。ましてや、対戦相手は1回しかこの長距離遠征を経験しないわけですから、慣れるも慣れないもないわけです。もっと言えばどのチームにとっても、全くの未体験なはずです。長距離移動だけで疲れてしまって、その上さらにあのサッカーを目の前でやられてしまっては、選手たちへのダメージは半端ないと思います。そりゃ、帝京長岡がホームで圧倒できるはずです。さらに帝京長岡にとって追い風なのは、直近のアウェイゲームだった5/12の岡山U-18戦になんと4-0で岡山U-18を撃破、アウェイ初勝利を挙げました。そろそろ未体験だった西方面への長距離移動に選手たちが慣れてきたのかもしれませんね。これで次の大津高校をホームに迎えての試合に勝つようなことがあると、帝京長岡のプレミアウエストでの快進撃が始まるかもしれませんね。
なぜ青森山田があれだけ強くなったのか?と考えた時、プレミアイーストでの過酷な遠征があると私は思っております。何せ隔週で関東まで移動して試合をこなすスケジュールの中、リーグ発足から1度もプリンスリーグに降格していないというのは、尋常なことではありません。そして今年、それに次ぐかもしれない過酷な移動を強いられる帝京長岡。今年1年で帝京長岡は今以上に強くなるかもしれませんね。ただ残念なことに、今年残留したとして来年も同じような過酷な遠征が待っているかと言えば、そうではないかもしれません。何せ、来年はイーストに入る可能性も十分にありますから…。
プレミアリーグの歪なリーグ構成の是非はともかくとして、それをプラスにするかマイナスにしてしまうかはそれぞれのチームに託されているかと思います。過酷な移動や、今まで対戦しなかった相手やサッカーとどう対峙していくのか?などの課題を、どう消化して今後のチーム強化に落とし込めるのか?それをちゃんと出来たチームは成長し、頭角を表していくでしょう。出来なかったチームはたとえ今は強かったとしても、いずれ弱くなっていくでしょう。長岡の地でそんなことに想いを巡らせるのでした…
そして最後に一言。今回の遠征、桑名→長岡と幕末でいえば「一会桑」の一角である桑名藩と、河井継之助とガトリング砲で名を馳せた長岡藩という「戊辰の役の負け組」を巡るツアーとなったことはナイショだ…(笑)
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