歴史になるということ

 歴史という営みは、どの時代まで扱うのだろうか。明治維新以前までだろうか、アジア太平洋戦争の終結までだろうか、冷戦の終結までだろうか、もしくは昨日までだろうか。

 歴史上の人物との関係はどうだろう。徳川慶喜は教科書の中の人物であって、現在を生きる個々人が様々な感情を伴って評価する対象ではないだろう。それでは、小泉純一郎の場合であったら。構造改革の是非、ポピュリズムか否か人々が思い思い語るかもしれない。今から考えると不思議なことであるが、大日本帝国期において江戸幕府は朝敵であり、右翼の政治家への批判文句として「幕府」があった。この時代において、「幕府」はアクチュアルな感情を引き立てる存在であった。

 いつ、過去と現在の直接的な繋がりが切断され、過去は過去になってしまうのか。

 なぜ、この問いを投げかけるのか。それは、若者の政治参加業界における天皇についての言及が、明らかに昔と変わってきたからである。

11月9日、天皇陛下御即位をお祝いする国民祭典・祝賀式典へ学生メンバーで参加してまいりました。歴史、伝統、文化へ想いをはせると共に、令和という元号の意味を改めて考える機会でもありました。現在・未来の問題解決の主体である若者人材の育成「人づくり」に今後も注力していく想いを新たにしました。

 これは、意識の高い学生達による全国学生連帯機構という団体のウェブサイトのニュースに掲載されていた内容である。決して右翼団体じゃない。社会起業家ちっくなちゃらいけどちょっと真面目な集団のはず。政策提言とかしちゃう系の。

 私はここではっきり言っておく。ちまたの左翼の言うところの若者の右傾化という論を断じて受け入れない。もっと深く考えないといけないはずだ。この業界の一回り上の世代、30代前半の世代、例えばiVoteとYouthCreateの創設者の原田謙介氏や日本若者協議会の代表理事を務める室橋祐貴氏は、代替わりについて言及していない。それは、「中立」であることに重きを置く彼らにとって、リスク以外の何物でもないからだ。そのまま代替わりをことぶけば「右翼」だと思われるかもしれない。逆に天皇制と戦争責任など一言でも言及すれば「左翼」認定待ったなしである。

 干支が一つまわった今の学生たちにとっても「中立」であることが最優先なことは変わらない。しかし、もはや天皇制が党派性を伴ったアクチュアルな問いではなくなったことが大きな違いだ。上の世代と違って、天皇の代替わりをことぶいても党派性の色がつくことなく「中立」でいられる。たった10年でこの大きな差。いや、天皇の戦争責任を問うた女性戦犯国際法廷からもう20年も経っているのだ。

 今の意識の高い若い人々にとって、昭和天皇、あえてヒロヒトと書こうか、は大昔の天皇、例えば後醍醐天皇と変わらない存在、もっと卑近なたとえをするならばテレビゲームの「信長の野望」の織田信長と変わらない存在であり、女体化してスマホゲーの萌えキャラとして出てきてもおかしくない。そして、天皇制は「日本には四季がある」的な陳腐な観光メッセージの1アイテムとして愛でられていく。

 アジア太平洋戦争も天皇制と動員構造も侵略行為も全て現在とつながらない過去、単なる歴史の1ページになろうとしている。私達は生きながらにして急速に歴史の世界に追い立てられている。私達はこの現実に向き合いながら言葉を紡いでいかなければならない。

P.S. 小金井市議会において多くの市議が改元を寿く決議に反対票を投じたことは、なかなかロックだなと思った。1票差で可決したけれども。

 

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