政治の終わりを生きて-忘却の淵から立ち上がる

 「政治の終わり」と言われると、保守政治家が権力を私物化したり反動的な政策を施行したりすることだと思う人もいるだろう。また、ある人はアニメ銀河英雄伝説から「政治家が賄賂を取っても、それを批判できない状態」と言うかもしれない。

 この世にはそれなりに経済力のある人で、まじめで比較的社会的な事項に関心があり、勇敢な人がいる。お金持ち全員が自分のことだけを考えている訳じゃない、利他的な人もいる。そのような人が一定数いれば、権力の私物化や反動的政策への反対の震源地となるだろう。けれども、この日本の中で比較的賢い人達が、正しいと考えて行っていることが、政治(ここでは「集団的な異議申し立てへの参加」と定義しておこう)を妨げる結果となるならば、それこそ「政治の終わり」ではないだろうか。

日本には抵抗の歴史がない?-忘れられたコミュニティ・オーガナイジング、忘れられた「市民運動」

 ちゃぶ台返し女子アクションというフェミニズムグループがあるらしい。そのグループのブログの中で、共同発起人でありかつコミュニティ・オーガナイジングの普及に取り組む団体も創設した鎌田華乃子氏へのインタビューがあった。

 その中で、日本の社会運動史と「抵抗の歴史がない」と言われてしまう理由について述べられている。しかし、彼女の関心のあるコミュニティ・オーガナイジングに直接つながるような話、それも現在にまでつながってくるような話が、ばっさり抜け落ちているのだ。衝撃であったが、今のまじめで比較的賢くて意識の高い人達を象徴するものがあるのかなと考えさせられた。

 社会文化人類学の伝統文化の研究においては、時代の変化とともに真正な伝統文化がなくなるという「消滅の語り」と時代の変化の中で伝統文化も変化しながら再生されていくという「生成の語り」という概念がある。鎌田氏は「消滅の語り」のトーンで物語る。

 この対談の中では、現在の社会運動には影響を与えていない江戸時代の一揆について多く語られるのに比較して、公害問題やウーマンリブ運動については軽く触れられているのみである。

 事実関係についてもあやしい。安保闘争の敗北と高度経済成長を社会運動離れの一つの契機として語るが、実際のところ、暴力的な党派が敗北することによって、非暴力的な活動はより支持されるようになった面もある。また、高度経済成長も地方から都市への移住を推し進め、生まれ故郷の地縁から解放された移住者たちが新しいコミュニティを形成する中で、様々な運動が生まれた(その中に公害運動やウーマンリブ運動も含まれる)。特に政党や労働組合から独立した運動は「市民運動」と呼ばれ、後の総理大臣である菅直人にも影響を与えた。

 70年代は、市民運動の時代でもあった。保育園・ごみ処理・高齢者福祉・障碍者福祉何を取っても足りない時代であり、性的役割分業で地域に主婦として残っていた女性達が、地域のつながりを作り行政に申し立て動かしていった。コミュニティ・オーガナイジングという言葉はなかったが、多くの実践者がいた。このような動きは都市部近郊の自治体に限られた動きであったかもしれないが、その結果生まれた独自の施策は国の政策となり全国に推し広められたという。運動の衰退の理由は要求が行政に受け入れられ、求めるもの自身がなくなったということも挙げられる。

 社会運動の歴史を何かにつけて安保闘争の結果に引き付けるのは、マッチョかつ語彙力の多い左翼党派の残党達(だいたいは男性)に典型的な歴史叙述である。彼らにとって68年は革命的でなければならない。また、安保闘争の敗北と高度経済成長を理由とする言説は、社会運動当事者でない方々、安保闘争で足を洗った方々の典型的な語りでもある。社会運動に携わろうとする人間が、当事者ではない、歴史を描く側≒権力側の視点のみで過去を見ているのは心配である。

権力・党派性・コンフリクトから目を背ける「J-政治参加」

 70年代の市民運動は、姿かたちを変え断続的に今の時代に繋がっている。小金井市においては10年前に市民の運動に背中を押されて「子どもの権利条例」が制定された。現在、理念法であるこの条例に実効力を持たせるための改正(子どもオンブズマンほか)を求める運動が展開されている。「生成の語り」として社会運動を語っていくことは十分可能である。

 ものすごく性格悪く穿った先入観にあふれ陰謀論的な言い方をするならば、コミュニティ・オーガナイジングという言葉を新たに日本中に広めようとする人達にとって、既にあるものは都合に悪い。無意識的なもの、潜在意識であろうが、昔の運動は既になくなっているか、古臭くて現在に訴求しないものであるか、関心を持つに値しないものであってほしい。

 それはなぜなのか。彼ら彼女らは、社会運動において必然的に発生する党派性・対立(コンフリクト)、特に公権力との関係を忌避するからである。過去の運動は、政党や労働組合から自由であったとしても、賛成派・反対派といった党派性と党派間の対立からは自由ではなかった。例えば先に挙げた「子どもの権利条例」においては、保守系の市長は条例名から「権利」という言葉を削ろうとしていたという。対決と対話を駆使しながら問題に向き合う実践の存在は、新しい概念の真新しさを奪うものである。

 彼女だけではない。政治参加の業界において、公権力と市民の間の問題をないものとして扱おうとする人間はたくさんいる。香港の話題がニュースになり日本政府も動くべきだと語るこの業界の人もいた。けれど、同時期に、日本の大学生が、選挙の応援に駆け付けた文部科学大臣に入試改革反対のプラカードを見せようとしたところ、警察により暴力的に排除されるという事件が起きていたが、この業界の人は誰も関心を示さなかった。英語入試の民間試験利用が見送りとなって、バタバタと動き出し慌てて両論併記的なシンポジウムを仕立てた政治参加業界の人もいる。

 現地の外である日本から明確に「正解」を言い立てることができる香港の場合と異なり、日本国内におけるコンセンサスが存在していない問題については、自身の立ち位置を問われかねず見て見ぬふりをするしかない。その結果、「正解」が明らかになるまで動くことができず、「正解」が上から降ってくるまで考えることもしないというのが、昨今のこの業界の人の姿勢であろう。党派性・コンフリクト・公権力を見ないものとする政治参加の運動を、ここで新たに「J-政治参加」と呼びたい。日本のポピュラー音楽「J-ポップ」の批判性の乏しさから転じて、あいちトリエンナーレ問題の公権力の問題をスルーしようとした日本の現代美術界隈を「J-アート」と呼ぶ向きが現れた。「J-アート」の政治版を「J-政治参加」と呼ぼう。

 冒頭に政治を「集団的な異議申し立てへの参加」と定義した。この定義というのはロバート・ダールのポリアーキーに影響を受けたものである。「J-政治参加」はこの政治の営みから「異議申し立て」を削りとるものであり、だからこそ私はそれが「政治の終わり」なのだと指摘したい。知識のある人達がなぜ盲目的にこのような価値観を支持していくのかというと、新自由主義化した社会が定着化し我々の精神性を染め上げていったからではなかろうか。水平な商取引ではない高度な資本主義社会の秩序(コンビニのフランチャイズ契約など)が既成事実というか疑うことのできない自然摂理として現れ支配している世の中において、それと対決することさえも思いつくことは難しい。その枠組みを否定しない中で何かイノベイティブなことをやろうとすると、こうなってしまうのだろう。

 もちろん過去の先人達とて100%闘争モードではなく対決と対話をうまく使い分け住みよい社会を作ってきた。鎌田氏のNPOであるコミュニティーオーガニゼーションジャパンの評議員には生活クラブ生協の関係者もいる。先人の闘いを忘却のかなたに追いやるのではなくて丹念に教わり血肉にしていく必要がある。しかしながら、某ベネッセ社の関係者として行政と密接につながり利権あさりをしてきた鈴木寛氏も評議員にいるので難しいかもしれないが。

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